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ポツダム宣言と遅すぎた返事

1945年7月26日連合軍は日本に対して「ポツダム会談」の合意による日本国に対する無条件降伏勧告をおこなった。

日本の政治を取り仕切っていた当時の鈴木内閣は降伏条件を即座に受理しなければまさに国の運命が99%以上の確率で終末を迎えることを知りながらそれを理由なしに「無視」し返答を拒んだ。Photo_2 

はたして連合国軍はその11日後、広島に、14日後に長崎に原子爆弾を投下して多くの国民が死んだ。この爆弾投下の行動は末永く全世界の人々からの非難の的となっている。

これは全く非人道的行為であった。しかし、その悲劇より3~4ヶ月以前にも戦争行為を中止できるチャンスはあった。一日でも早く降伏の決断を当時の日本帝国の責任者が下していれば、沖縄において多くの国民の尊い命が救えたであろう。これは敵の責任ではなく、滅びることを予知できる立場にあった大日本帝国の権力者の決断力の欠如がもたらしめた重大なる責任といわざるを得ない。 黙祷

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