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葬られた仏サン

今朝の京都新聞(P.15)に蟹満寺(木津川市)の国宝銅製釈迦如来坐像(奈良時代、8世紀)が紹介されていました。頭部だけが特大で写っていましたので、私は咄嗟に違ったものを想像してしまいました。

それと言うのは1937年奈良、興福寺東金堂の修理の際、偶然に須弥壇の下から発見されました、一見して奈良時代の作と判るかなり大きな薬師如来の頭部でした。

奈良時代の銅製の仏でこのように大きなものは、東大寺の大仏か、蟹満寺の釈迦如来か興福寺で発見された薬師如来(国宝)の頭ぐらいしかないからです。この薬師サンの頭には明らかに火災によって出来た傷跡がみられます。

興福寺の建立は710年、東大寺は752年ですが、不幸にも両寺とも平重衛の焼き討ちにあい1180年に消滅し、興福寺もその伽藍の殆どを失ってしまいました。

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周知の如く奈良にはこれら二寺よりもっと古い寺院がたくさんありました。勿論、法隆寺もその一つです。

浄土寺、別名は山田寺は現在は寺跡を残すのみとなっていますが、興福寺と約25キロ程しか離れていません。

山田寺の建立は641年といわれています。その当時山田寺講堂に金銅薬師如来三尊(685年開眼)があったそうですが、現在の学説では、1187年に興福寺が山田寺を襲い、これを持ち去ったと言われています。ところが1411年に落雷による火災でこれら三尊も大きく毀損し薬師如来の頭部だけが無残な姿で残ったといわれています。

中世では京都でも延暦寺や本願寺が他寺を巻き込んで紛争が度々起こっています。悲しいことです。

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