« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

親の年収と東大生の授業料の関係

親の年収が400万円未満なら東大生の授業料免除!(日経新聞8/30’07)

私は日本が未だに社会主義国家であることを再確認した。

東大は今や国立大でなく、文部省に関係なく単独で経営方針を決めることが出来る。自発的に勉学に努力する学生には家族の貧富にかかわり無く、必要な学生には奨学金で補助するべきである。

新聞記事では学生の生家が貧乏ならば東大は無条件で授業料を無料にするとの事。これは全く平等性に欠ける錯誤判断ではないかと思う。

東大の授業料は年間、53万5800円。これ自体、他の私立名門校に比較して安す過ぎるのではないだろうか?

果たして東大は年間どのくらいの奨学金を計上しているのだろうか?

Heavenly_reflection

学生の家族構成は東大には全く関係の無い事である。学校は一人でも多くの優秀な若者を育成するところであり、機会均等に配慮すべきであると思う。

授業料を少なくとも今の4倍以上に設定して、同時に勉学を希望する学生に大幅に奨学金を増額すると同時に、入学した学生の専門学部決定に際して(入学後2年)学生の能力が東大の平均レヴェルに適当でないと思われる学生には自己の能力にふさわしい学校を推薦し転校させるか、退学を勧告すべきと考える。

本日の日経記事では学校に入学した学生の家庭が貧困ならば成績に関係なく授業料を免除すると言う話なら学校経営にとって有益でないと思えるのだが。

これは若者自身の問題であって、家族を巻き込む事柄ではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

敵国語?

子供の頃、敵国語(英語)使用禁止とし「野球」=ベースボールも否定した時代があったことを記憶しているが、

その頃、アメリカでは反対に、ミシガン大、コロンビア大等に日本語の特別学科を設け、戦場での捕虜の処遇、や諜報機関の関係者の育成に努力していた。

これには、文明の差と言うか、理性的なアメリカと、唯、感情的に成り過ぎ、大局を見失っていた小国、日本との雲泥の差を見て取ることが出来る。

Bush_fire_1

これに似た現象として気にかかることは、韓国で未だに過去の心情にとらわれて、日本語を排斥していると言う、ヒステリックな現象である。

「毛布」「いっぱい」「分配」等を”日帝残滓用語”と認め使用禁止とした。

国民のアンケートでも3000人の内52%がこの運動に賛意を唱え外来語の排斥に賛成しているとのこと。

日本に対する昔年の恨みの事情は判らないでもないが、もし日本が敗北を喫しロシアが日本に替わって清国と朝鮮半島を併合していたとすれば、恐らく現在の日本の「北方4島」と同じ運命を辿って、永久にロシアの植民地のままの結果となりを誰が否定できようか?

スターリンがシベリヤに何の理由も無く何万人の日本人を終戦後抑留し、極寒の中で奴隷の如く酷使した非情な行為に対し日本政府は戦後62年間、なんらの抗議もしていない。「通らなかった道」は判らない。ロシアの道か、日本の道か?100年は全てを歴史の中に閉じ込める長い過去である。(朝日新聞8/28’07、週間アジア)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地球陸地の三次元画像

日経新聞、8/19'07紙面の”NASA”と”経産省”が共同で、今秋から高精細画像で陸地の全域を表現する事業を開始するとあった。日本が始めて開発した光学センサーにより地表が反射する太陽光の波長を調べて埋蔵されている地下資源を特定することが可能になるらしく、この方法により現地調査を行わなくても石油等の地下資源の埋蔵地帯を特定することが可能になるらしい。

画像を撮るのはNASAが8年前に打ち上げた人口衛星”terra”(テラ)を使って行う。

この事業を2008年中に終了させ、三次元画像のデーターベースは日米の共同管理とするとの事。

これを如何に使うかは、両国の安全保障に支障がなければデーターを資源探査業者に無償で提供する方針だが、その資料提供の条件等は両国政府で審議決定するらしい。

「テラ」には日本が民間委託して開発した光学センサー「ASTER」を搭載してあり、これで画像データーの質は大幅に向上すると確信している。Rainbow

例えばアメリカのグーグル社開発の衛星画像の地図サイト「グーグルアース」はスペースシャトルの撮影画像を使用しているといわれているが、今回の報道を信じれば、ASTERの利用で、画像の精度は一気に、三倍に改良されると思われる。

そのほか、地球の凹凸など細部の分析が出来るようになり、気象データーと組み合わせれば洪水などの被害規模の把握も可能となり、住民の避難経路の指示や、その他諸々のメリットが期待でき、これは最近珍しい朗報と思ったので、改めて寄稿することとした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ホワイトハウス占領、火災発生す!

独立戦争後、アメリカは再びイギリスに宣戦布告、1812年戦争が始まった。

1814年4月に強敵ナポレオンが退位して爲、兵力を裂く余裕が出来たため、イギリスは大挙してカナダに大軍を送り、南下して首都、ワシントンに迫った。

アメリカ第4代大統領ジェーム・マディソン(James Madison,1751-1836,アメリカ第4代大統領)はその前日に首都を退去したのでロバート・ロス率いるイギリス軍はワシントンを占領し、議事堂及び、他の政府建物に火を放った。

その時、ホワイト・ハウスの一部が焼け落ちた。従って見苦しくなった火災の跡を隠すため改修され、建物は真っ白に塗られた(1817年10月17日)。

White_house

それ以後、この象徴的建物は何回も改修されているが、その時の「真っ白の家」は象徴的建物として当時のイメージを残している。

しかし、この事件を境として、アメリカ側が猛反撃に転じ、シャンプレイン湖上(Lake Champlain)の海戦と、ニューオリーンズ(New orleans)でのジャクソン将軍(Andrew Jackson、1824-63、アメリカ第7代大統領)の大勝利で戦況は逆転、1814年12月24日和平条約が結ばれ戦争はアメイカ側の勝利に終わった。(Treart of Ghent)..

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アメリカのシンボル"Uncle Sam"

アンクル・サム(Uncle Sam Wilson)は普通アメリカ政府のあだ名として受け取られているイメージである。

それは第一世界大戦前の1916年、ジェームス・モントゴメリー・フラッグ(James Montgomery Flagg)の造ったイメージで、山高帽にアメリカ国旗の模様をつけ髯をはやし、鋭い眼で右手の人差し指突き出して"I want you for the US army"(軍隊は君を求めている)の科白つきで配布された徴兵ポスターであった。

Unclesam

しかし、或る説では、1812年戦争中、ニューヨーク州、トロイで政府に肉を納めていたサムエル・ウィルソンのあだ名がアンクル・サムで、いつも彼の商品にUS(アンクル・サムの略)のスタンプを使用していたところから由来したとされる。

しかしモンゴメリー・フラッグの図がアメリカのシンボルとして適当だとの説が有力となり、ついに1961年の国会で正式にみとめられーアメリカが世界の監視者と言う意味を加味してーアメリカのシンボルとして、時あるごとに使われる様になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

20世紀最初の革命のヒーロー

Pancho Villaは1000人に忌み嫌われながら100万人に愛された無法者であった。

彼の本名はドロタオ・アランゴ(Doroteo rango,1878-1923)。性格は残虐で、冷酷無比ながら何処となく憎めないところがあり、貧民層や百姓からはメキシコのロビンフッドといわれ慕われた。

16歳のとき、大農場で小作人として働いていたが、ある日、帰宅して妹が農場主に乱暴さtれているのを発見し、彼を射殺して山に逃げ込んだ。

その後、馬泥棒の仲間に加わり多くの悪事を働いた。

Francisco Pancho Villanoの率いるギャング団に加わったが、ある日、そのグループが警察に急襲されボスのFrancisco Pancho Villaが殺された。

そこで彼は自分の前歴を隠すためPancho Villaを襲名して、ギャングのボスに納まった。

彼は見かけより聡明で、盗賊のリーダーであったと同時に、政府からもクーパー・キャニオン鉄道の請負人にも指名され、ビジネスマンとして真面目な仕事もしている。

1910年、マデロ大統領の選挙違反を引き金にメキシコ革命が勃発(11/20)したと同時に彼は革命のリーダー:エブラハム・ゴンザレス(Abraham Gonzalez)の要請を受け北部メキシコの指揮官となり数々の戦功をたてる。

Villao

1916年には支払い済み注文の武器が届かないのに腹を立て、国境を越えで、ニューメキシコ州のコロンバスに行き注文の品をとって引き返す途中、アメリカ軍の追い討ちを受けたがどうにか逃げ失せたという武勇談もある。

1920年に革命は終わるが、ヴィラに殺害された被害者の追跡を受け逃げ回っていたが、1023年7月20日彼は車を運転中射殺され死亡。犯人は未だ不明。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

20seiki

| | コメント (0) | トラックバック (0)

五山の送り火

京都に生まれながら町の東部に住んでいたので「舟形」の送り火を見る機会がなかった。

今年それを見る機会に恵まれた。新居のベランダから、丁度良い距離、にビルの間にはめ込まれたように美しい舟の形を垣間見ることが出来た。

この船の形が少ない線でくっきりと暗闇に赤々と映し出された時、幻想的で美しいと思った。

Photo_2

あかあかと燃える火の簡潔な描線が帆に風をいっぱいに受けて進んでいる美しい船を想像させてくれた。

そのシルエットはエジプトのナイル河を行き交う帆船を見ているようにも思えて短いながらも楽しい夏のひと時を楽しむことが出来た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

1世紀先を読んでいたアメリカ

1741年のベーリング(Vitus Bering)の探検を皮切りに、ロシアはロシア・アメリカ会社(Russian-American company)を設立して東に勢力範囲を広げ、海獣の毛皮交易を行った。

ところが土着民を交えて、イギリスのハドソン湾会社(Hudson's Bay Company)の干渉に会い、毛皮交易の支配力を維持できないことを悟り、ロシアは1867年、アラスカ全土ならびにアリューシャン諸島をアメリカに総額720万ドルで売却した。

Map

アメリカがメキシコからカリフォルニアを購入した1848年の翌年、1849年に金鉱が発見され、所謂「ゴールド・ラッシュ」でにぎわったが、アラスカに於いても1890年代に入り金鉱が発見され一大ブームとなった。

チャールス・チャップリン主演の映画「ゴールド・ラッシュ」はこのときの事柄を主題としたものである。

アラスカ併合を取り仕切ったのはヘンリー・シュアード(Willian Henry Sewward,1801-1872)、元リンカーン大統領の国務長官を勤め、彼もリンカーンの暗殺現場に居合わせて同じく負傷している。(次期の大統領、ジョンソンの国務長官となる)。

シュワードのアラスカ併合当時では「愚行」として罵られたが、最後のフロンティアーと呼ばれる、この広大な土地は、豊富な地下資源は勿論、漁業、林業をはじめアメリカの戦略防衛にも重大な位置を占め、1951年には第49番目の州となった。

現在、もしロシア領土として残っていたならば世界の勢力バランスは確実に今と違ったものになっていただろう。因みにこの土地価格は1エーカー(4046.平米)米価2セントであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

音楽家は短命?

世界中の誰の心にも残る名曲を作ったアメリカの作曲家,フォスター(Stephen Collins Foster,1826-64)が以外に短命だったのには驚いた。

彼の生地はペンシルヴァニア州、ピッツバーグ。1862年の独立記念日、7月4日に生まれた。

彼は名曲を多く世に出したが、歌詞の中に人種的差別語が多く使われているので最近では昔ほど歌われなくなったようである。

Gone are the days when my heart was young and gay.

Gone are my friends from the cotten field away,

Gone from the earth  to the better land I know,

I hear their gentle voices calling " Old Black Joe"

-My Old Kentucky home-

音律は穏やかで、ひとの心を揺さぶるようであり、その歌詞は黒人奴隷の悲しい運命と心を見事に歌い上げている原語で無ければ真に解釈できない歌である。

フォスターはニューヨークに出て下町で貧しい生活をして多くの名曲を作り上げたが、その間、アルコールに取り付かれ、結局は妻子にも見捨てられて淋しく37歳の若さで世をさった。

このOld kentucky home はケンタッキー州歌に、Old Falks at Homeはフロリダ州歌に、Carry Me Back to Old Virginiaはヴァージニア州歌にそれぞれ指定されている。

Lavender_bee どちらかといえばフォスターの曲は土地に浸み込んだ心を歌っている感があり、バラード的なものからリズミカルな陽気な表現のものまで網羅して、我々にも如何にも”アメリカ”を感じさせる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

燃えるインドの近代工業化

IT立国で知られるインドの台頭が注目されている。

既に周知となっているインドの近代工業の発展は、これからさらにそのテンポを速めそうだ。

8/14日経新聞、日本企業のインドへの進出の様子を特集している。

ジェトロの調査では、2006年度の日本企業のインドへの投資額は5億1200万ドル、04年度の3、6倍強に達したとのこと。Big_tree_at_liffey_1

進出企業数は362社で昨年度の1割増、世界的に見て今のところ日本は9位、今までの進出企業はクルマと弱電等の消費財関連が主だったが、今後はインフラ整備需要への需要喚起にシフト、消費財産業をも加えて今後の日本産業の現地進出は欧米企業軍を相手に熱気を増している。

その中でも川重のインド国鉄との合弁事業のセミ新幹線事業や、日立、コマツの建設機械、油圧ショベル、鉱山開発用ダンプトラック生産、三菱重工、東芝等による火力発電所用ボイラー、発電機とタービン生産等に自動車の合弁生産等どれをとっても日本のお家芸の活躍には充分に広い場所と、労働力には事を欠かない安定した将来有望な競技場に映る。(イラスト:タスマニアのユーカリの大木)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

北極海の利権の行方

北極海は世界にある五つの大海の中で最も小さなオーションであるが、(5大オーシャン:①太平洋②大西洋③インド洋④南大洋ー最近設定ー

その面積はアメリカ合衆国の約1倍半で140億5600万平方キロもある大海なのである。

ヨーロッパ、アジア、北米と北極を取り巻く海域を指し、90 00N,0 00Eに位置している。

周知の如く、南極とそれを取り巻く海域は各国の協議の上で、1国で領有することは出来ないことは勿論、商業利用も禁止され、汚染物を放棄できない、言わば「聖地」化された場所であるに反して北極海に就いてはこれまで世界の常識に委ねられた僻地の海域に過ぎなかった。

ところが最近になってロシアの潜水艦が北極点近くの深さ4000メートルの海底に穴を掘って自国旗を突き立てて領有権を主張すると言う「快挙」に出た。

ロシアは以前にも北極海々底の占有権を国連に申請したことがあったが、それは国連に却下された経歴だある。

Ice_01

朝日新聞によると、ロシアはこの周辺で、7年前の8月、原子力潜水艦”クルスク”が沈没して118人の乗組員を失っていある。

その頃のロシアはソ連邦崩壊後の過度期で経済の低迷に喘いでいた頃であったが、現在では国力を取り戻して国連での発言力も増しているところである。

従って今回の探検はロシアの国威の掲揚をも目指しているとも取れる行動で、決して過小評価できない世界的出来事に発展しかねない要注意事件と解釈する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

久馬防衛庁長官の発言

アメリカ訪問から帰国した久馬防衛庁長官が長崎で演説した際ウッカリ、アメリカの原爆投下も今となっては仕方がないと発言したことで問題となり、結果として大臣辞任となった。

発言したところが長崎だったので、これは失言以外の何ものでもない。

そもそも「ポツダム宣言」は1945年7月26日連合軍の最後通告として日本に示された宣告であった。

硫黄島、サイパン島、沖縄の戦いでアメリカ軍にも少なからぬ人的損害がでていた。

彼らはルース・ベネディクト著「菊と刀」を読み日本人を最後まで追いつめることの危険を充分予測して、本土上陸までに双方の人的損害を最小に留めるために「新型爆弾」の使用を考慮していた。

Photo

それらを何処に使用するかは未定だったが、4個の爆弾を準備していたと言われている。

ところが当時の鈴木内閣はポツダム宣告を拒否するとの表明をなし、黙秘を貫いて返答をしなかったので8月6日に広島に第一弾が落とされた。

これでこの爆弾の威力を身をもって経験したにもかかわらず、さらに一週間が過ぎ、今度は長崎に使用された。

これで日本の当時の首脳陣(天皇を含む)は無条件降伏を受け入れ戦争状態に終止符が打たれたのであった。

アメリカの主張は最初から戦争終結には味方の損害を最小限に抑えることが主眼であったことには間違いない。

それともう一つの理由、はソ連の参戦が予想されていたことで、戦後処理に際してなるべくソ連の発言力を抑制したいこともあったのではないかと思われる。

原子爆弾の性質はほぼ把握していて、それを如何なる理由があろうとも実験に使用したことは人道的に許されるべきではない。

しかし戦争終結についての日本政府の判断の曖昧さ、決断時期の誤認は同じく、その責任を追求されるべきものであったと考える。

アメリカを訪問して当時の敵側の差し迫った事情に耳を傾け”そうか、相手にもそれなりの事情があったのでは、それも致し方なかった”とお思いになった久馬長官であったとしたら、まるっきし的が外れた発言でもなかったが、「場所」が適当でなかった。

私も国民玉砕に終わる結果よりはまだしもbetterではなかったろうかと存ずる次第です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雲は何故落ちてこない?

空に浮いている雲は何故落ちてこない?

ニュートンがリンゴが地上に落ちるのを見て、それは地球に引力があるからだと断定したが、彼はそれをどうして説明したのか?

自然には不思議なことがいっぱいあるのに、小生は中学時代にはそんなことに興味がなかった。

そんなことを気にしなくても生きていられるから、ホットケ、心配いらん!と言う連中と、研究しなかったら生きてゆけないと思う人とどっちが賢明か?

Rainbow_shack_woodsdale それはその人の年齢によると思う。60-70才になってそんな高等物理みたいなものを真剣に考えだすことは止めたほうが良いが、15歳なら図書館に行って自然の謎を究明することは大切である。

しかし小生は馬鹿な年寄りである。先日、佐藤文隆氏の題名「雲はなぜおちてこないのか」を購入した。読んでいくうちに眠たくなって、そうだったのか!と思ったが最後まで読み通す気力を失ってしまった。ご興味のおありの方は岩波書店までどうぞ。(2300円+税)     フォト:タスマニアの風景

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »