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久馬防衛庁長官の発言

アメリカ訪問から帰国した久馬防衛庁長官が長崎で演説した際ウッカリ、アメリカの原爆投下も今となっては仕方がないと発言したことで問題となり、結果として大臣辞任となった。

発言したところが長崎だったので、これは失言以外の何ものでもない。

そもそも「ポツダム宣言」は1945年7月26日連合軍の最後通告として日本に示された宣告であった。

硫黄島、サイパン島、沖縄の戦いでアメリカ軍にも少なからぬ人的損害がでていた。

彼らはルース・ベネディクト著「菊と刀」を読み日本人を最後まで追いつめることの危険を充分予測して、本土上陸までに双方の人的損害を最小に留めるために「新型爆弾」の使用を考慮していた。

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それらを何処に使用するかは未定だったが、4個の爆弾を準備していたと言われている。

ところが当時の鈴木内閣はポツダム宣告を拒否するとの表明をなし、黙秘を貫いて返答をしなかったので8月6日に広島に第一弾が落とされた。

これでこの爆弾の威力を身をもって経験したにもかかわらず、さらに一週間が過ぎ、今度は長崎に使用された。

これで日本の当時の首脳陣(天皇を含む)は無条件降伏を受け入れ戦争状態に終止符が打たれたのであった。

アメリカの主張は最初から戦争終結には味方の損害を最小限に抑えることが主眼であったことには間違いない。

それともう一つの理由、はソ連の参戦が予想されていたことで、戦後処理に際してなるべくソ連の発言力を抑制したいこともあったのではないかと思われる。

原子爆弾の性質はほぼ把握していて、それを如何なる理由があろうとも実験に使用したことは人道的に許されるべきではない。

しかし戦争終結についての日本政府の判断の曖昧さ、決断時期の誤認は同じく、その責任を追求されるべきものであったと考える。

アメリカを訪問して当時の敵側の差し迫った事情に耳を傾け”そうか、相手にもそれなりの事情があったのでは、それも致し方なかった”とお思いになった久馬長官であったとしたら、まるっきし的が外れた発言でもなかったが、「場所」が適当でなかった。

私も国民玉砕に終わる結果よりはまだしもbetterではなかったろうかと存ずる次第です。

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