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世界に禍根を残した会談

「ヤルタ会談」は1945年2月4日、対独戦後処理と、その後のソ連の対日参戦を詳細に、アメリカ、イギリス、ソ連の3国がソ連領ヤルタで行われた。

「ヤルタ会談」はまさに第二次世界大戦の終局を迎えるにあたって戦勝国3国が余裕をもって戦後の処理とその後の「世界分割」を勝者となるべき白人種三人の首脳が行った会談を指す。

ソ連の代表はスターリン、1905年ロシア帝国がアジアの小国の日本に屈辱的敗北を喫した日露戦争から数えて丁度40年になることを、スターリン自身は、よもや忘れてはいなかったであろう。

Photo ここで筆者が特に注目していることは、ヤルタに於ける諸々の三者会談の複線とでも言うべき話題として「ユダヤ人問題」がどのように討議されたかである。

これは周知の事実だが、ロシヤの土地には世界中のユダヤ人の三分の一が改宗を強いられながら半ば強制的に留められていて、ナチスのホロコースト以前より、ソ連時代を通して世界中でユダヤ人に対する迫害が最も過酷に続けられていたのである。

ユダヤ民族のもともとの故郷である”シオン”(エルサレム)に帰還するシオニズム運動が最高潮となり、いよいよシオニズムの帰還先がパレスティナに正式に決まった年が1905年であった。

それより半世紀弱後の1945年はロシアにとっても忘れがたい歴史的事実としてスターリン(もしくは、チャーチル、ルーズベルト)の脳裏に無かったとは言いがたいと思うのである。

以下のヤルタでの会話の様子(アルチュール・コント著、山口俊章訳、「ヤルタ会談ー世界の分割」P.361)から引用。

ルーズベルト、”私はパレスティナ問題の全てを研究することにしています”そこでスターリン、”ユダヤ人問題は容易ではありません。ユダヤ人は扱いにくいのです・・・・”、ルーズベルト、”私はシオニストです、貴方はどうですか?”

イスラエルが国連決議でパレスティナの地に建国されたのが1947年であった!

それから半世紀以上、中東で起こっている忌まわしい事実こそは戦後に臨んで、白人国家のエゴで衝動的に取り決められた、いわば取り返しがたい「ミステーク」のために全世界が苦しんでいる事実を我々は今「無言」で見つめている!(狭い鶏小屋に狼が放たれた!誰が?)

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