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別格「大統領」と「ファースト・レディー」

アメリカ大統領の中で人気NO.1はリンカーンである。大統領夫人は「ファースト・レディー」と呼ばれ何時も話題にのぼるのが常識となっている。

ところが、リンカーン夫人については、これまであまり話題に上ることがなく、わが国でもご存知の方は少ないのではないだろうか?。彼女の名はメアリー・トッド・リンカーン(Mary Todd Lincoln,1818-1882)ケンタッキー州、レキシントンの生まれ。

そこは、北部に近い南部の「奴隷州」であった。ケンタッキーは南部でありながら南北戦争中「中立」を貫いたが、とかく問題の多い場所にはちがいなかった。

Ablaham_lincoln 彼女は銀行経営者の娘で当時の女性としては最高に近い教養を身につけ、フランス語も話せる町では花形の社交女性であった。

彼女は丸ポチャで行動派の陽気な女性であった。メアリーの姉が州会議員の夫と北部、イリノイ州、スプリング・フィールドに住んでいたので、しばらく、その姉の家に世話になっている間に、将来の夫となるリンカーンと知り合ったと思われる。

周知の通り、リンカーンは歴代大統領中最も長身で、背丈6フィート4インチ、ところがファースト・レディーの背丈は5フィート3インチで丸ポチャの体格、それだけでも似合いの夫婦と言えるものではなかった。

リンカーンは常に仕事優先で忙しく、メアリーが誘った舞踏会、音楽会には興味が薄く、社交界向きでない人柄であったのでメアリーは常に「イライラ」に悩まされ続きであったという。

リンカーンは1841年1月1日に予定されていた結婚式に姿を現さず、結局、その約一年半後改めて式を挙げたという不思議な関係であった。(リンカーンがホモであった噂は今でも支持されている程である)

しかし、二人の間にはロバート、エドワード、ウイリアム、トーマスの4人の息子が生まれている。メアリーは南北戦争中、最も可愛がっていた三男のウイリアムを腸チフスで失ったとき落ち込んで、ふさぎこみ鬱状態になってしまった。それほど彼女は感情の起伏豊かな女性であった。

1865年の4月9日長かった戦さ(南北戦争)が終わり、その僅か5日後の4月14日、晩餐後に近くのフォード劇場でコメディーを観劇することになっていて、グラント将軍夫妻も出席することになっていた。その日、夫婦は馬車で郊外をドライブして帰宅し、リンカーンが自宅で疲れを癒しているとき、メアリーがその約束事を思い出し、リンカーンに声をかけたが、彼は全く乗り気ではなかった。しかし、メアリーの要請に応じて観劇についていって不幸にもそこで凶弾にたをれたのであった。

Mary_todd_lincoln1846 その状態を見たメアリーは錯乱状態となり鳴き悲しんだといわれている。それ以後、彼女は自責の念にとりつかれ、明るかった彼女の性格は消えうせ、64歳で他界するまで回復することはなかった。

これはあまりにも有名な出来事でありながら、その後、あからさまに語られることなく、過去に埋もれている一片の事実である。

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