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「ナポレオンとプーチン」

1804年5月18日、ナポレオンはフランス皇帝となった。

戴冠式は半年後の12月2日、パリのノートルダム寺院において執り行われた。

そのとき、特命でローマからピウス7世法王をその場に出席させた。ナポレオンは自ら作った法典に手をのせ、本来ならば法王から授けられるべき王冠を自らの手で頭上に掲げ、女王となるジョセフィーヌにも自らの手でティアラを授けた。

この場の様子は、彼のお抱え画家のデーヴィッドによって克明に描かれて、現在もパリ、ルーブル美術館の壁面を飾っている。

戴冠の儀式に法王の手を煩わす必要がなければ、何故法王をパリに呼んだのか。

これは明らかにナポレオンが自らの立場が法王を凌いでいることを国内外に知らしめるため以外には考えようがない。

デーヴィッド画はナポレオンの後ろで頭を垂れて屈辱に耐えている法王の容姿を如実に描いている。

フランス革命後、コルシカ出身のチビのナポレオンが実権を掌握したのが1799年の11月ころであったから、その後約3年で最高の位にのぼりつめたことになる。

最近になって報道されるロシア大統領プーチン氏の行動、言動の様子を見て、なんとなく彼をかってのナポレオンに重ね合わせて考えるとき、ひょっとするとプーチンの頭の片隅にナポレオンがいるのではないだろうかと思うことしばしばである。

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プーチンが前任のエリチンに代わって大統領に就任したのが2000年であった。

したがってロシアの法律により彼は来年の3月に退く運命にある。

そこで、最近、選挙があり、後任者はプーチンの属する「第一国民党」のメドジェーエフが次期の大統領に確定した。プーチンはそこで自分は首相になることを決めたといわれている。

幸か不幸かロシアでは、すでに何事もプーチンの思い通りに事務が運ぶことを自他共に認めている様子に見える。

ナポレオンは1812年に攻め込んだロシア戦線で敗北、それ以来、急な坂を転げ落ちるようにして、その3年後セント・ヘレナ島に流刑となり、1815年、51歳の運命を終えた。

しかし、現在のプーチンの行動を観察していると、彼の身の回りは硬くKGBのOBたちで守られ、自信に満ち溢れているように見える。

ひょっとするとプーチンはナポレオンのような終身執政の身分を夢見ているのではないだろうか?こんな制度は他の先進民主国家では考えられないことなのだが、生まれながらにして共産国家思想の中で育ったプーチン氏には、これが、そんなに突飛なことと思っていないとすると、今後のロシアは全く我々の想像も及ばない国になる可能性を秘めている様にも見えてくる。

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