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力こそ正義(might is write)

日露戦争の終結でアメリカ第26代大統領テェオドール・ルーズベルトの仲裁でポートマス条約がもたれ、日露修交が実現した。

この戦争の結末はなんと言っても日本海海戦でロシアの誇るバルチック艦隊が東郷元帥指揮下の日本海軍に完敗したことが直接の原因であったが、両国がそれぞれ疲弊の極にあり、お互いに戦争の継続を望まなかったからであった。

戦前では西欧の超大国ロシアが極東の生まれたばかりの貧国日本に敗れるとは世界中の推測であった。

それが”マサカ”の結果に終わったことで一躍日本の存在が世界中に響き渡った。

この条約作成交渉の日本側の代表を務めたのが、たまたまルーズベルトのハーヴァード大学での同期生であった小村寿太郎であった。

どのような経過でアメリカが仲裁国になったのかは詳らかになっていないが、ルーズベルトが日本の将来にわたる存在を特に警戒して、ルーズベルトがこ

即ち、アメリカはキューバで起こった事件を理由にスペインに戦線を布告して、速やかにグアム島、ミッドウエイ島、フィリッピンとハワイ諸島を実質的に自国の制圧下に収めたが。

日本は既にその3年前、1895年に日清戦争の結果、支那及び朝鮮半島を制圧していた。

その間イギリスは南アでのボアー戦争(Boar War,1899~1902)に苦慮をして、その間の安全を鑑みて日本との同盟(1902)を結ばざるを得なかった。

これは当時これら関係国がそれぞれ問題を抱えていて将来の問題に苦慮していたさなかの緊張にあった。

話を日露の戦争の結末に絞ると、日本は戦勝国を自負していながら結果的には惨めな条件でロシアに譲歩しながら、アメリカの提案をそのまま受理した形に終わってしまった。

戦後問題になっている「北方領土」はそのまま日本領としてのこったが、間宮林蔵発見になる樺太島は半分ロシア領、千島列島もロシアに割譲、賠償金に至っては皆無に終わった事態、何の目的でルーズベルトが仲裁者として現れたのか解釈に苦しまざるを得ないのではなかったか?

アメリカは当時既に。太平洋と大西洋を両側に持つ世界一の大国を目指していたのである。

パナマ運河の竣工を目前にし、太平洋の中心、ハワイに軍港を築き、フィリッピンを太平洋とインド洋を見据える戦略的基地として維持するため、日本の朝鮮半島の領有を認めると公式に宣言したのである。

小村寿太郎はいみじくも日露講和の結果を省みて、”力の裏ずけを持たない外交戦は必ず敗れる”とキッパリと言い切り、善意や誠意などは外交においては期待すること事態無理であって、すべては”力”と断言している。

”Might is Right"(Power speaks itself)の彼の心情は100年後も変わっていない。

日本の国境線はイギリスと同様、海岸線である。自国の国境線を堅固に守ることは独立国の義務であり権利である。

北朝鮮に自国民をやすやすと「拉致」されることは独立国日本政府の国民に対する義務違反となじられても仕方がない問題なのである。

不法に他国民を拉致連行する行為を他国の国際法違反として国際裁判所に申し立て、世界の同情に期待するとは独立国の行為として情けない。

太平洋を力で支配するには日本は非力すぎるが、我が国の「庭」とでも言うべき日本海を防衛できないことでは問題にならない。

私は右翼思想家を標榜しないが、少なくとも日本海には10万トンクラスの航空母艦10隻に戦闘機、偵察機を搭載し常時不埒な国々の行動を見張ることは不要な高速道路を作り続けるより建設的ではないだろうか?

Photo それによって日本固有の領土の保持は勿論、最近問題化している「竹島」も無駄な配慮の必要がなくなることと推察するものである。

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