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セント・ルイス ブルース(St.Louis Blues)

Saint_louiss_blues 戦前生まれなら、この曲を知らない人はごく稀であろう。

セント・ルイスブルース。この曲が世に出てから80有余年、作曲者:ウイリアム・クリストファー・ハンディーの書いた不滅の名曲と言えようし、現在でもそのポピュラリティーは衰えるところを知らない。

現在に至るまでに何百万ドルを売り上げ、しかも、初期の映画産業の繁栄の兆しを作り上げた程であった。

しかしどんな場合でも見られることだが、初期の頃ではこの曲のプロモーションには随分苦労したと言われている。セント・ルイスの街角を歩いていた時、Handyはたまたま、夫に逃げられた黒人の女性に遭遇、そのとき耳にした彼女の悲壮な独り言からインスピレーションをもらったと告白している。

Handyによると、黒人女の悲しそうな独り言があたかも、ラグ・タイムのシンコペーションらしく聞こえたのではないだろうか。

St Louis BluesにはHandyが以前、立ち寄ったキューバで耳にしたアフロ・スパニッシュに影響されたハバネラのリズムが取り入れられていると言われる。

これは同時にスパニッシュタンゴと無縁とはいえないし、むしろ(この源流はアフリカ”Tangana"にあるとされる。

しかし作曲者Handyがこの曲のベースとして用いたのは厳格に言えば"Jogo Blues"の調べだったらしい。

最終的には、このブルースは史上最高の名曲となったが、初めの段階では誰もこれをプロモートしようとする客は現れることなく、遂に彼は自費で出版したのが1914年9月のことだった。これには作曲者の親友のHarry Pace(ハリー・ペース)が後押しを買って出たくらいであった。

しかしその2年後ペースとハンディーは事務所をニューヨークに移した。この曲は最初ブロードウエイでGilda Gray(ギルダ・グレイ)によって1918年にニューヨークのウインター・ガーデンシアターで世に出たと言われている。

これ以来St.Louis Bluesは堰を切ったように、アメリカだけにとどまらず全世界のフェヴォリット曲として歌われ続けることとなった。

主なミュージシアンではLouis Armstrong,Benny Goodman等が1930~40年代に渡って取り上げ、Earl Hines(アール・ハインズ)に至ってはこれをブギウギ調に編曲している。

お陰でHandyの平均ローヤルティー収入は年間ほぼ25000ドルをくだらなかったと言われている

特別な話題は1920年台においてイギリスノエドワード8世がスコットランドのバグパイパーズにこれを編曲させて演奏したこともあったらしい。

もう少し後になってもエリザベス2世のお好みになったり、1930年代ではイタリアに攻撃を受けたエチオピアの軍隊が行進曲としてSt.Louis Bluesを採用したとのこと。話題に事欠かない世界を席巻した名曲と認められることとなった。

勿論、一度だけでなくこのメロディーを主題にミッシッシッピーを背景に映画も作られていることは言うまでもない。この曲のリフレーン"Oh,I hate to see the evening sun go down"は誰もご存知だが、実際にこの曲にはサンセットが訪れることはないだろう。Saint_louis_blues_photo

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