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奇人が残した偉大な資産「ハワード・ヒューズ医学研究所」

今日は日経新聞、の記事(4/29/09)に注目したい。

"不眠や肥満 脳から迫る”のタイトル、同誌「独創性と探究心」P.12、に、米テキサス大教授、柳沢正史氏の記事を見つけた。

日経のこの欄の見出しは、”一流目指すなら早く独立を”となっている。

柳沢氏によれば”早熟な才能を自由に任せて磨くことが出来るアメリカの雰囲気が肌に合う”、さらに彼は、彼が渡米の最大の動機を尋ねられたとき、”早く独立したかったから”、そして、(我が国では)若くして良いアイディアーを披瀝出来ても、教授になれるまで10年も他人の下で働けば自分の仕事は出来ない”

さらに彼は、後続への忠言として、”もし一流を目指したいのならば一日も早く若手の研究者は、独立を考えるべきだ”と力説している。

”早熟な才能を自由に磨くことが出来るアメリカの雰囲気が肌に合うと感じたので、東大や京大からの教授就任の要請を断って渡米した”と言うことらしい。

柳沢氏が筑波大の大学院に在籍中、血管を収縮させて血圧を上げるホルモン、「エンドセリン」を見つけた。

それは、後日、新タイプの高血圧薬開発に繋がる大発見となったらしい。

この記事を、1988年、英科学雑誌ネーチャーに発表すると、海外の専門家はたちどころに彼の才能を見抜き、同分野でノーベル賞を受けたジョン・ベイン博士も認めることとなり、彼の評価はすぐさま世界を駆け巡ったという。

そこで私が注目したのが、過去に10人以上のノーベル賞受賞者を輩出している米テキサス州のハワード・ヒューズ医学研究所である。

ハワード・ヒューズに就いては、以前にこのコラムに紹介したことがあるが、本日は、この謎に包まれた人生を送った、大富豪、ヒューズ氏の紹介(第二弾)は後日に譲り専ら柳沢教授の話題に留めたい。

柳沢正史(やなぎさわ・まさし):

1960年生まれ、88年、筑波大基礎医学博士課程終了。筑波大、京大講師を経て、91年、テキサス大、South Western Medical Center準教授兼Haward Hughes Medical Center準研究員。96年から同所教授兼研究員。

渡米後、5年で、柳沢氏はこれまでの研究テーマをアッサリと止めて、98年に彼の発見になる、他の物質「オレキシン」の名で知られる脳内タンパク質の研究に没頭する。

日経の記事によると、このタンパク質は、食欲や睡眠の制御に関係が深いことが判明しだしたの事。

”これからは、脳の中で眠気がいかにコントロールされているかを究めたい”と柳沢教授の弁。

このテーマはテキオサス大が今後、存在感を示せる好機と捉えて、激しい競争の後、人の体内時計遺伝子を見つけたノーベル賞クラスの専門家(名前不詳)のスカウトに成功したとの事。

テキサス大によれば、”「体内時計の謎明かし」+「睡眠研究」(柳沢)との相乗効果を目指して、今後、睡眠障害やメタボリック症候群などの生活習慣病克服研究で世界をリードしたい”と目標を鮮明にしている。

”面白くて、エレガントで、さらに、エキサイティングな探求が出来るかどうか”が柳沢氏の原動力になっている。

さらに彼は、”研究グループのトップとして研究費の獲得に勤めることで、初めて自分のストーリーを展開できる”と振り返る。

柳沢氏は日本の優秀な若手の研究員について、彼らが教授の下から独立したがらない現状を見ると「歯がゆくて仕方が無い」ともおっしゃっている。

私も柳沢氏のように、若くして祖国を飛び出し、海外に”What I can do"(自分の可能性)を試す度胸の必要性を痛感する。

残念ながら、私個人の意見だが「この国は変革を躊躇している!」。

マラソンに譬えれば、前後左右にばかり気を配って、自分の走ることを忘れかけているようにも映る。

つまらない法律(憲法)に自縛されて、無益に時が過ぎてゆく「日本」に向かって、「いい加減に”小田原評定”はやめにしろ」と叫びたい。

小生は医学に付いては門外漢、しかれども、歴史や世俗的な”Old News”Howard_hughes には興味を持っているので次回は謎の大富豪Howard Robert Hugues Jr.のさらなる掘り起こしを試みたいと思っているので、”乞、、ご期待”。

写真:

謎の大富豪:

ハワード・ヒューズ

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日本に就いて、同邦人として恥ずかしく思うこと

私が本日投稿することにはあまり気の進まない事柄ですが勇気を持って私の本心を吐露することにしました。Photo

それは戦後、我々の心が素直でなくなっていることと、日本人の持ち合わせている「心」の複雑さです。

誠に大人気ないとお叱りを受けるかも知れませんが、このたび、日本の選抜野球チームがWBCに優勝を果たしたことは、私も嬉しく思います。

しかし、私はそれを本心から手放しで喜べない複雑な気持ちでいます。

何故かというと、アメリカの場合、少なくともベストメンバーで臨んでいなかったことは明らかですが、負けたアメリカはあえて、それの結果に就いて発言はしていません。

そんなことにお構いなしで、「勝った、勝ったと」とうるさく報道することは相手の立場になって遠慮すべきでないかと思います。

日本の相撲がモンゴルの二人に牛耳られても黙っているように、アメリカも国技の野球に敗れて黙っている心情を慮って、沈黙しているのが大人の国民だと思います。

NHKのMJBの放送に就いても、私が申し上げたいのは、たとえイチローやヤンキーズの松井がプレーしているとしても、一度外国に出てしまったプレヤーは、娘を嫁に出した親父のように泰然と黙っているべきふだと思います。

NHKの放送の真の目的は、全く、MLBには関係のない次元のことと私には映ります。

日本人のプレヤーが如何にそれぞれが所属するチームで立派に働いているかを報道しているだけで、MLBをプロモートするために行っているのではないことはハッキリと判ります。

さぞや、あちらでは日本人報道陣が子供ポク見えて、うるさがられていることは明らかだと思うのですが・・・。

戦後、日本の教育界では日章旗や国歌が否定された時期がありました。

学校の入学式でも卒業式においても国旗はタブー視されました。

日本の若者は今になって、スポーツ・イヴェントにだけは「ニッポン、ニッポン」と連呼しています。

又、最近、アメリカ、ジョージャー州のオーガスタでのマスターズ・ゴルフ大会でタイガー・ウッズより上位の4位を勝ち取った、片山新吾君は、最終日では自分の背中に日の丸を張ってプレーする気持ちで頑張ったと発言しています。

これをTVで見て、彼は典型的日本人の心の底にある心情を吐露していると思いました。

事ほど左様に私は、”それで当然”と思うのですが。マッカーサーサが戦後日本に進駐軍司令官としてやってきて早々に「日本人は未だ12歳の子供」と表現しました。

辛口の外国の評論家の批評では、日本は戦後60年以上経過しても、東アジア人特有の精神を引きずっていると映ると書いています。

これの最も顕著なのは、現在の北朝鮮でありましょう。これを西側、WASP国家の表現を借りれば”Infantile Aggression”(小児的攻撃性)と言うとのこと。

東洋では近世において、西洋のスタンダードを意識しすぎて、この辺のメンタリティーへの配慮が欠けているように感じます。特に日本のメディアを司る諸兄に行動を起こす前の配慮を要求したいと思っている次第であります。

スポーツの選手を個人技として褒め称えることには異存はありませんが、そこに国家的意識を持ち込むことは控えたほうが良いと思います。

従って、アメリカに出稼ぎに行った選手を彼地まで追いかけてNHKが国を上げて騒ぎ立てていると思われない様考慮すべきと思います。

日本には毎年、何十人と言うお雇い、出稼ぎ外国野球選手がやってきますが(主にアメリカから)彼らはすべて国籍に関係なく亘ってきた、言わば個人の営業マンなのです。

MLBを放送するならば、日本選手だけを取り立てて紹介することはやめて欲しいと思います。念のために!

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ショウチャンの別稿「近世日米通年史」

このたび私は、かねてより疑問を抱いていました、日本では通念的に理解されていました近世における「日米」の関係を、別稿「近世日米通年史」にて、私の知りうる範囲で、解きほぐして記述したいと思いまして、できる限り順序を追って「ブログ」の形で残したいと思っています。

浅学非才の私が挑むにはあまりにも壮大なサブジェクトではありますが、機会あってお読みいただいた方々から忌憚の無いご意見や、ご批判を頂戴できれば幸いです。

但し、これは私個人の意見でありますので、たとえ偏った意見と思われることが御座いましても、何卒ご寛容にお許しいただきますようお願いいたします。

私の理解します日米関係とは、ペリー提督が率いるアメリカ東インド艦隊が江戸時代末(1853)、来日して開国を迫った事件の周辺からはじめたいと思っています。

それはアメリカが南北戦争で混乱いたしておりました頃のことで、イギリスが清国を攻め屈服させました、”アヘン戦争”後にあたります。やがてアメリカでは欧州よりの多数の移民を引き受け、人口が大きく増加して、人々が西を目指して移動した”最後のフロンティア”と言われた時代のことであります。

アメリカは間もなく、マーク・トウェインが皮肉をこめて表現した”金ピカ”時代を迎えます。世界で唯一の、東に大西洋、西に太平洋にまたがる大帝国の構築に向かっていた頃であります。

19世紀はアメリカが、先ずナポレオンより大陸の略三分の一の広大な地方を購入し(1803)、アメリカは初めてイギリスを打破して(1812)、世界の強国として飛躍を遂げ、自国の産業革命を起こして、近代機械文明の「魁」的国家を築きました。

やがて大陸横断鉄道が世紀の半ばころに完成し、太平洋に向かって羽ばたくことを新たな使命として拡張を始めたことは周知の事実でありますが、アメリカが近代帝国主義国家を自ら標榜するにいたり、おのずからアメリカ独自のモンロー主義から一転して、排他的思想を持つようになっていくことは結果的に世界列強から是認される事実となりました。

その様に世界の一大強国になっていくアメリカと、太平洋を挟んで対峙する運命を甘受しなければならない運命を背負った小国日本の運命は自ずから厳しいものになって行きます。

アメリカの”砲艦外交”は伝統的なものであり、力によって、こじ開け、棍棒で殴りかかる手段が彼らの常識であったことを、どの程度まで我が国の為政者が理解していたか?第二次世界大戦の芽は何時ごろ芽生えたのか?

我が国は如何にして生き延びる手段を見出せたのだろうか?

Paciofic_ocean 私は「自国の将来を見誤った」日本の悲しい運命をさかのぼって考察しながら今後の国の進むべき道を考えたいと願っています。 乞う、ご期待!

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ジョージ・ワシントンの住家再建

ルイザ・D.バード・カニングハム(Louisa Dalton Bird Cunningham)がポトマック川を舟でマウント・ヴァーノンのワシントンのマンションのあるあたりを通りかかった時、彼女は乗っている舟のデッキから、丘を見上げ、お化け屋敷同然の姿になっている初代大統領の住んでいたな家の現状を目のあたりにして”ショックを受けた”とサウス・カロライナに住む娘、アン・パメラ・カニングハムに書き送っている。Ann_pamela_cunningham 1853年の晩秋のことであった。

そのとき、彼女の胸をよぎったものは、初代大統領の棲家をこのままにしておくには忍びない、男性が出来ないのなら、女性の力で復活させてみたいという抑え難い渇望であった。

ワシントンが1754~1799年(没年)まで住んでいた処は、今は甥の子で弁護士の、ジョン・A ワシントン3世(John Augustine Washington lll.)の所有であった。

しかし、彼はその時、毎日押し寄せるツーリストの世話にくたびれて、その所有権を総額20万ドルで売りに出していたところであった。

その話を母親から耳にした21才の娘のアンは(Ann Pamela Cunningham )は永く車椅子での生活を余儀なくされていたが、自分の不自由な体を省みず、一念発起して、この歴史的資産"マウント・ヴァーノン”(Mount Vernonn)"

の再建を決心する。

この運動はアメリカでの最初のN.P.O.の団体組織となり、「マウント・ヴァーノン女性(募金)団体(The Mt.Varnon Ladies's Association)と命名されたのであった。

現代ではあまり珍しくない運動ととられるかもしれないが、当時の、しかも、封建的なアメリカ南部地方に於いて、女性がこのような慈善運動を計画することはごく稀であった。

従って彼女は遠慮がちに自分の名前を公にするこを避けて、只、”南部の女性("A Southern Matron")とだけサインしている。

この募金運動はやがて全国的となり、有名女優や、フランスの貴族女性、有名作家ワシントン・アーヴィング等も刺激をうけて運動にこぞって参加したと言われている。

1858年(安政5年)、遂にアンの女性団体の募金活動団体は18万ドルを支払い、その二年後、全額支払を達成して所有者から「家の鍵」を受け取った。そして、1860年2月22日、正式に団体の所有に帰した。

今日では(1960、12月19日)この場所はナショナル・ヒストリック・ランドマーク(National Historic Landmark)となっている。若い女性であっても勇気をもってタックルすればことが成就することを身をもって示した武勇談であるが、意外と知る人が少ないことは残念である。

Mtvernon_washingtons_home_2

マウント・ヴァーノンは全てを含めての面積は4エーカー(16万平米)母屋(写真)の他12のビルディングからなっている。年中無休で、当時の生活様式を学ぶためにも貴重な歴史的資産である。

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歴史を助ける自然科学

考古学を学ぶ生徒にとって一番重要なファクターは対象物の年代の測定である。

日本の木造の建物をどのくらい古いか(何時の年代?)を推し量る決め手になるのは、使われた材木の年輪から推し量って知ることが出来る。

さて、古文書の時代考証の場合はどうかというと、残念ながら、最近までは鑑識者の知識による判定に頼るしかなかった

最近、名古屋大学の年代測定綜合研究センターが、日本で最初にはじめた「炭素14年代測定法」を頼って全国から古筆切や古典籍の類が続々と運び込まれているとの事(産経新聞4/10’09)

炭素14年代測定法:炭素14は5730年の半減期に従って、時間の経過とともに一定の割合で減るらしい。

この性質に着目して、1980年代から、大英博博物館がオックスフォード大、米アリゾナ大、スイスチュウリッヒ工科大、などと共同ではじめた収蔵品の時代測定をはじめたのがきっかけらしい。

紙料を約1ミリ幅で切り取ればそれで時代測定には充分とのこと

この精度について、名古屋大学では、2000~3000年前までならば+-、20年~30年ほどの誤差で測定可能(小田寛貴助教授)。

この技術を確認するべく、書写年代がすでに確定している古筆切3点を測定。複数回繰り返したが、結果はすべて「誤差」の範囲におさまったので、続いて、藤原俊成筆の伝承を持つ「願広切」の測定を試みた。

残念ながらこれは、年代が伝承のものと合わず、後世のものだと判明。

「御家切」は俊成の晩年作、又は後世の作者?、その内、唯一「了佐切」だけが、1161年頃の原本に近いことが判明している。

Photo 西行筆といわれる「源氏物語、「宿木巻」はこれまで鎌倉初期と言われていたが、それは室町初期の写本と言うことになった。

ここで池田教授は”書写年代を客観的に確定することは見果てぬ夢だったが、炭素14法の確立で実現しつつある、今後も研究を重ねたい”と言われている。

(写真:平家納経)

稚拙な質問と受け取られるかも知れないが、紙料の年代が測定出来ても、そこにしたためられた「筆跡」の鑑定は如何に?

贋作者は原作者より真剣に「製作」に励んでいることは事実、紙料のことより作者についての厳密な研究努力が大切?(ブログの筆者弁)

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断層がん検査+ロボット

Mrikennsakiこの写真はMRI)

聞くところによると、非常に大まかに言って、骨疾患や、肺疾患、救急での大量の出血が伴う場合、「MRI」より多くの場合「CT]が優れているとの事。

その一方で、脳腫瘍や子宮、卵巣、筋肉の疾患では「MRI」が優れているらしい。

しかし、いくら天才と称される優れた医師でも、人間のすることには見間違いと言うこともしばしば起こる事は止む終えない。

「見間違い」を保険する意味で、ロボットに助けてもらう事を考え出したのが、この度、富士フイルムが目指しているソフトである。

富士フイルムと静岡県立静岡がんセンター(静岡県長泉町)は、コンピューター断層撮影装置(CT)などの検査機器を使った画像撮影で、がん発見を支援するソフトを共同開発した。(4月7日’09日経)

この目的は、蓄積した過去の症例のデーターから、似ている画像を自動的に検索して医師のより正確な診断を補助することを目指している

この機械の名称は、「画像診断支援ロボット」。

静岡がんセンターの持つ約500の肺がんの症例画像をデーターベース(DB)化して富士フイルムの画像処理know-howを組み合わせた。

これにより、医師がパソコンに表示された検査画像から、がんと思われる陰影をクリックすると、形や大きさ、位置などが似ている過去の症例を自動展示してくれる仕組みになっている。

日経によると、これまで画像診断はすべて医師の目視による判断のため、経験の違いで診断の内容に差が出やすかったとのこと、しかし、このロボットで、過去の類似症状例と比べやすくなり、医師の診断に際してその精度が高まる。

日本のロボット技術は大変進歩している。今後ロボットを使っての技術開発は有望である。人間の不得手な部門や危険を伴う実験や、探査(例えば海底探査等)には今後ロボットの使用が期待される。

科学の進歩は日進月歩で、今まで達成が不可能と思われていた分野が征服されてゆく。

自分の置かれている「現状」に失望することなく「希望」を捨てることなく「期待」を持ち続けることが肝心と思う次第。

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核兵器廃絶を訴える米、テポドン2は衛星だったと言うが・・・

昨日、北鮮がテポドン2号を日本海に発射、それは日本の上空を飛び、はるか太平洋の彼方に消え去った。

はたしてそれが衛星だったのか弾道弾だったのかさえはっきりとしない誠に頼りない話。

しかし、北鮮が日本の領土侵犯を犯したのは確かな事実。

本日、アメリカのオバマ大統領は今後、世界は核武装はやめるべきだと自国の過去に犯した罪を忘れたかのようにシャーシャーと呟き、ロシアは、これもシャーシャーと、北鮮の発射したものは軌道衛星だったと言う始末、彼らは日本の悲痛なる声が全く聞こえなかったと言いたげな発言をしている。

Nuclea_weapon 北鮮は声高らかに「勝利」を歌い上げ、日韓は問題にしないと言明。これに対し中国は沈黙を守っている。

三文オペラの筋書きか?

しかしこれは我が国にとっては良い材料と思うべきだと考える次第、何故なら、政府は国会で野党に対して将来の自国の方針を今までより気楽な姿勢で「皆さんこの事態をいかに考えますか?」、「今後日本はいかに外敵に備えれば良いか知恵を下さい」、「勿論、自民党としましては自論はありますが先ず皆さんの意見を聞かせてください」と言える場面が想定される。

「戦後仕方なくアメリカの造った憲法を護持して60有余年やってきましたが、ここに至って、このままの憲法ではアグレッシブな外敵に対応するには無理があることがハッキリとしたので何か現実的な施策を討議しましょう」といえる場面がやってきたと思う。

北鮮の拉致問題も自力で解決できずアメリカに泣きつき、今度はテポドン2号の実力を見せ付けられて、世界に対して無様な発信をしている姿は見苦しい限りである。

私見では今の北朝鮮の背後にはロシアがついているように感じる。古くから朝鮮民族は支那の属国であった時からロシアの援助を心待ちにする傾向が見られる。キム・ジョンイルもロシアから引き込まれた鉄道で何回かモスコウに出向いている。

今回のテポドン2号の発射を軌道衛星だとふざけた発言をしているところから、この件には真剣に取り合うことに積極的でない。

アメリカはミサイルがアメリカ迄届くまで彼らの技術が到達していないことから一安心というところであり、日本がやかましく北鮮に抗議して欲しいという要望に関しては、それが日本の問題であるためアメリカのコンサーン(concern)では無くもし不服ならば自分で行動を起こせば?(mind your own business!)というところだ。日本が今後如何にして失った威信を取り戻せるかが問題である。Satellite_image

我々はアンテナを張り巡らせて世界の情報を取り込み完全独立国家を目指すべきではないだろうか?

それには自衛力を持って他国を当てにせず、国家の威厳を取り戻すことからはじめなければならない。「非武装中立」は無理な相談である。

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日本女子ゴルフ界に新星

彼女の名は黄アルム、韓国からやってきた新人、先週行われたヤマハ・レディース(静岡県葛城GC山名=6485ヤード、パー72)で2位、原江里菜に9打差をつけて堂々の優勝を果たした。

黄選手は日本のプロゴルファー達が、只、夢だけを追って外国(主にアメリカ)に憧れているところを尻目に、実に合理性に基づいて行動しているところに驚いた次第。

作夏のプロテスト一位合格の実力を存分に見せつけたといえる。

彼女は「初めての最終組に入って緊張の連続だった」と言いながら、18ホール中でフェアーウエーを外れたのはたったの一回だけ、

新聞報道によれば、この日のグリーンは夜来の雨で2日目迄とうって変わって軟らかだった。それで「グリーンが止まり易かったので積極的に攻められた」と言うほど状況によって様々な攻め方が出来る術をすでに身につけている。ー日経新聞評ー

彼女の何処がユニークなのかと言えば、彼女は中学生の時代から既に将来を見据えて「日本で働く」事を目指して一生懸命に練習し、その傍ら独学で、日本語の勉強を怠らなかったらしい。

既に彼女の日本語は流暢で、日本語の新聞も読める実力があるとのこと。プロゴルファーとしての道も、最初から日本ツアーに照準をあわせていたというところが日本の若い女子にも聞かせたところである。

韓国の女史プロ協会の正会員になると、最初の2年間は海外の試合に出られない規定があるため、自国のテストを受けず、いきなり日本ツアーのテストに挑戦したというところも彼女がいかに綿密に自分の将来を見据えて行動しているかを物語っている。

現在、韓国の龍仁大学ゴルフ学部4年生で、そこで、コースマネージメントや芝質、ゴルフの歴史を学んでいるという。

彼女によると米ツアーに参加するつもりはなく、日本の第一人者になることを目標に定めているとキッパリ表明しているとの事。なんと現実的で、しかも、浮ついたところがなく、足がシッカリと地面についているなーと感心したしだ次第。

ところで、アジアのどの国よりも日本がぬきんでて金持ちなので、チャンスを求めて各国から他流試合を試すためやってくる若人の安住の場所と考えられるのは有難いことであるが、日本の若者が外国の選手に歯が立たず希望をたたれないように鍛錬を重ねる必要があるように思う。19

国技の相撲も、東西の横綱がモンゴル出身に占められている現実に加え、日本の柔道も今や影が薄くなりつつある。

反面、日本がこれだけ懐が広くなったと思えばよいのであって、これで今更、目くじらをたてることは大人気ないと思う次第。

翻って考えると、本日、4月7日がアメリカが中国にピンポン外交団を送った記念日らしい。ニクソン大統領の時代の事柄だが、わざわざ負けることで相手を喜ばせ友好を勝ち取る外交手腕にも今更ながら驚く。

先日のWBCで日本を喜ばせ、MLBではイチローやヤンキーズの松井に代表される日本選手を雇って自国の魅力を売り込むアメリカはやはり一日の長を兼ね備えた兄貴分の国だなーと言わざるを得ない。

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