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日本に就いて、同邦人として恥ずかしく思うこと

私が本日投稿することにはあまり気の進まない事柄ですが勇気を持って私の本心を吐露することにしました。Photo

それは戦後、我々の心が素直でなくなっていることと、日本人の持ち合わせている「心」の複雑さです。

誠に大人気ないとお叱りを受けるかも知れませんが、このたび、日本の選抜野球チームがWBCに優勝を果たしたことは、私も嬉しく思います。

しかし、私はそれを本心から手放しで喜べない複雑な気持ちでいます。

何故かというと、アメリカの場合、少なくともベストメンバーで臨んでいなかったことは明らかですが、負けたアメリカはあえて、それの結果に就いて発言はしていません。

そんなことにお構いなしで、「勝った、勝ったと」とうるさく報道することは相手の立場になって遠慮すべきでないかと思います。

日本の相撲がモンゴルの二人に牛耳られても黙っているように、アメリカも国技の野球に敗れて黙っている心情を慮って、沈黙しているのが大人の国民だと思います。

NHKのMJBの放送に就いても、私が申し上げたいのは、たとえイチローやヤンキーズの松井がプレーしているとしても、一度外国に出てしまったプレヤーは、娘を嫁に出した親父のように泰然と黙っているべきふだと思います。

NHKの放送の真の目的は、全く、MLBには関係のない次元のことと私には映ります。

日本人のプレヤーが如何にそれぞれが所属するチームで立派に働いているかを報道しているだけで、MLBをプロモートするために行っているのではないことはハッキリと判ります。

さぞや、あちらでは日本人報道陣が子供ポク見えて、うるさがられていることは明らかだと思うのですが・・・。

戦後、日本の教育界では日章旗や国歌が否定された時期がありました。

学校の入学式でも卒業式においても国旗はタブー視されました。

日本の若者は今になって、スポーツ・イヴェントにだけは「ニッポン、ニッポン」と連呼しています。

又、最近、アメリカ、ジョージャー州のオーガスタでのマスターズ・ゴルフ大会でタイガー・ウッズより上位の4位を勝ち取った、片山新吾君は、最終日では自分の背中に日の丸を張ってプレーする気持ちで頑張ったと発言しています。

これをTVで見て、彼は典型的日本人の心の底にある心情を吐露していると思いました。

事ほど左様に私は、”それで当然”と思うのですが。マッカーサーサが戦後日本に進駐軍司令官としてやってきて早々に「日本人は未だ12歳の子供」と表現しました。

辛口の外国の評論家の批評では、日本は戦後60年以上経過しても、東アジア人特有の精神を引きずっていると映ると書いています。

これの最も顕著なのは、現在の北朝鮮でありましょう。これを西側、WASP国家の表現を借りれば”Infantile Aggression”(小児的攻撃性)と言うとのこと。

東洋では近世において、西洋のスタンダードを意識しすぎて、この辺のメンタリティーへの配慮が欠けているように感じます。特に日本のメディアを司る諸兄に行動を起こす前の配慮を要求したいと思っている次第であります。

スポーツの選手を個人技として褒め称えることには異存はありませんが、そこに国家的意識を持ち込むことは控えたほうが良いと思います。

従って、アメリカに出稼ぎに行った選手を彼地まで追いかけてNHKが国を上げて騒ぎ立てていると思われない様考慮すべきと思います。

日本には毎年、何十人と言うお雇い、出稼ぎ外国野球選手がやってきますが(主にアメリカから)彼らはすべて国籍に関係なく亘ってきた、言わば個人の営業マンなのです。

MLBを放送するならば、日本選手だけを取り立てて紹介することはやめて欲しいと思います。念のために!

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