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1812年

1812nenn_2 1812年は世界中で大事件が起きた年である。

日本では、文化3年11月4日(1812)、午後2時頃関東地方で大地震が起こった。

震源地は現在の神奈川県、保土ヶ谷、戸塚近辺。

地震は直下型で井戸水にも異変がおこり、保土ヶ谷近辺の民家の半数程が被害を受けたらしい。

震源地は生麦村(生麦事件で有名なところ)、横浜市鶴見区生麦。その地方の庄屋(?)関口家の主人がつづった「関口日記」によると、多くの家屋が倒壊して、亀屋という旅籠が壊れて、下敷きとなった人々が亡くなったと書いている。

保土ヶ谷近辺の代表者がこぞって代官をたずねて、復興の目的で借金して証文を差し出したとのこと。(保土ヶ谷本陣文書)。

戸塚宿の被害も大きく、群馬県桐生市の織物商、書上家の「役用日記」にも数十軒が倒壊した様子が記されている、又、現在の横浜港南区最戸付近にあたる最戸村でも「大地震百姓家大破書上帳控」によると、来迎寺、その他、19軒が被害にあっている。

このほか、川崎、千葉、木更津市でも大きな被害の報告がされ、江戸市街地全般、藤沢、厚木、府中、埼玉近辺まで大きく揺れたとのことである。

地震の規模は6.5程と推定される。それから数えて殆ど200年が経過している昨今、自民党の去就とあわせて我が国での心配の種は尽きない。以上、2009年6月29日産経新聞、”温故地震”より、

ここに掲載した挿絵は、1812年6月3日(水)のNew York Spectator誌のぼやけた写真である。

偶然先日、整理中の古新聞の中から筆者が見つけたものである。

この記事に拠ると、当時の国務長官であったジェームス・モンローが対英戦争(15日後勃発)に就いて所感を述べている。

言うまでもなく、1812年戦争は英米間で始まった、最初で最後の戦いで、結果的にアメリカの勝利で終わった、あまりパットシナイ小競り合いである。(1812年6月18日~1815年2月18日)

それ以前、1756~1763の所謂、7年戦争ではアメリカは未だ植民地であったが、イギリスとともにインディアンとフランスの混成軍と戦った。(この結果、フランスはカナダとミッシシッピー以東の領地を喪失)

1812年戦争では、アメリカがインディアンを後押しするイギリスを向こうに回してカナダに進攻して始まった戦争であった。

当時イギリスはナポレオンとヨーロッパで戦っていたのでアメリカに充分な手勢を差し向けられず苦戦した。

それでも、最初はカナダの五大湖近辺での局地戦であったが、戦線が南下してニューヨーク→ワシントン周辺にも及び、大統領官邸をもイギリスが一時占拠、火を放った事態が起きた。(その修理のため白いペンキで塗られた官邸がその後、ホワイト・ハウスと呼ばれる事となった)。

この戦争でアメリカはイギリスの不慣れなゲリラ戦を展開して敵を苦しめ、、最終的にはアンドリュー・ジャクソンが率いる艦隊がニューオリンズで、イギリス艦隊を殲滅、1814年12月26日にベルギーでの「ガン条約」で講和がもたれた。(その頃では知らせが届くのが遅く、実際は戦争は既に終結していた)

又、1812年は、ナポレオンが最後にロシアに攻め入り、大敗を喫した年として(実際は1815年)ロシアの大作曲家チャイコフスキーが交響曲を”1812年”の題名で発表した事で有名である。

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