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関西の粟おこし

Photo 大阪名物「粟おこし」”いけ大黒”で知られる、あみだ池大黒の初代・小林林之助氏は水の都、浪速(大阪)で船積みの米がこぼれる様子を見ていて”もったいない”と思った瞬間から、いずれ廃棄されるべき”こぼれ米”の利用を考え付き、商売につなげたと言うのだから、流石はケチの本家、大阪商人の本髄を見た感がする。

先週、6月24日付、日経新聞P.15。

これが日本最古の銘菓「粟おこし」、池だいこく(大阪西区)本舗では、弥生時代の出土物から穀物の加工品が出土、又、日本書紀にも粟を食べていた記述があることを揚げて、そのことを証左と考えているらしい。

それはともかくとして、このお店が江戸時代から続いている老舗であることは間違いない。

初代の林之助の出身地は、岐阜県安八群(美濃国安八群)、若いときから米の商売を学ぶために大阪に出た。

文化7年(1810年)に独立、先ず、米を蒸して、乾燥させ、それをさらに砕いて、香ばしくなるまで煎り、煮詰めた水あめなどで固めて成型するプロセスを考えた。

原料は米ながら、それを「粟おこしと命名した理由は”身を起こし、家を興す”と言う縁起の良い名で「縁起の良い土産」として人気を博し、珍重される名物を作り上げた。

日露戦争中では、兵士に贈る慰問品「恩賜のおこし」はわずか三ヶ月に35万個を売ったと言われている。

三代目林之助は、もし失敗したら切腹するつもりで夫婦して白装束で、親族縁者ともども頑張ったらしいが、戦地から凱旋した兵隊サンたちが、お土産にと「粟おこし」を買って帰ったというのだから驚きである。

四代目林之助氏は、昭和10年(1935)頃、大阪湾での観艦式に挙った、300隻余の艦隊に快速艇で乗りつけ、そこで注文を受けて、伝書鳩で伝票を送り”伝書鳩作戦”と言う誠にユニークなビジネスを展開したと言う。

そこから鳩は社長宅(芦屋市)に10分くらいで飛んで帰り、そこで社長は会社に電話で注文状況を知らしたとのこと。

五代目林之助氏の役目と言えば、先代達が培ってきた”即納”システムを守りながら海軍の信用をもらったとのことである。

戦争中、工場が被爆して全焼(その頃、4代目死亡)休業せざるを得なくなったが、旧満州重工業開発会社総裁だった、高橋達之助氏が公職追放中であったが、「助けてやろう」と援助の手を差し伸べ、有志を募って会社の再建を助けたといわれる。

それから約5年で再建した5代目、売り上げの半分をラジオとテレビの広告に賭け、大阪万博当時には再び、”粟おこし”は人気を取り戻したといわれるが、最近の景気低迷に加え、インフルエンザの蔓延で苦戦をしいられることになる。

「若い人たちが硬いものを嫌う」傾向から、最近では薄くしたり、チョコレートを混ぜたりして、イメージ・チェンジに努力中。

暖簾は傷つけたくない、先祖からの預かりもの、次世代に渡す大切な財産ということで、六代目、小林隆太郎氏、阪神大震災(1955)から商売を引き継ぎ、陸路が途絶えたために船便で製品を運んだことで信用をつないだとおっしゃっている。

そんなわけでこれまで度々訪れた苦境を知恵と忍耐で乗り越え「信用第一」のモットーを貫く根性こそが”大黒柱”とおっしゃっている。感服!

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