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ウイリアム・カーティス(william Curtis,1746-1799)

ウイリアム・カーティス(William Curtis,1746~1799)は18世紀末のイギリス植物、昆虫学者である。

幼少期より昆虫に興味を持っていたが、25歳を境に、自然科学専門家に転じ、植物学の専門家として名声を博した。

.ロンドンに個人経営の植物園(London Botanic Garden)を1779年に設立(33歳)、最初の植物誌:フローラ・ロンディネンシス(Flora Lopndinensis)を発刊した。

これは、ロンドン近郊10マイルに自生する一切の植物を銅版におこし、全て手彩色で432種類に及ぶ草花を6巻にまとめ出版した。

ビュート公の援助で始められた、このプロジェクトは、大半の購読者がエキゾティックで、当時では入手困難な珍しい草花を望んでいる現実を知り、このシリーズを中止し、1778年、改めて、”Curtis's Botanical Magazine"の出版を始めた。

このシリーズは購読者に絶賛でもって迎えられ、現在(2009年)まで、231年間、途切れることなく続いている大ヒットの出版物となった。(但し、その間、数回名称の変更があった)

カーティスの死去(1799)の時点で13部が完成、その後、友人、シム(Johm Sim)が引継ぎ、26巻を完成させた。

その後、ウィリアム・フッカー(William Hooker)に引き継がれ(1826)、フィッチ(Water Hood Fitch)が専属のイラストレーターとして、又、主幹として40年に亘って活躍した。

ウイリアムの子息のジョセフ(Joseph Dalton Hooker)が事業を受け継いだ時点では、彼がキュー王立植物園の最高責任者であったことから、その後はマティルダ・スミス(Matilda Smith)が次の主幹として採用され、彼女は2300種の挿絵を完成させている。

スミスは最初のキュー王立植物園の正式画家としてむかえられ、同時に、リンネ学会の会員に認められた。

その後、リリアン・スネリング(Lilian Snelling,1879~1972)が主幹となり、それまで永く続いていた手彩色の手法は写真を取り入れた製法となった。

この後、一時、The Kew magazineに変わったが(1984~1995)、1995年からは再び知名度の高い、Curtis's Botanical Magazuneに戻され、それからはThe Royal Botanic Gardens,Kewが出版元となって、今日に至るまで多くの読者を楽しませている世界で最も著名な、A_page_from_flora_londinensis 稀有な専門誌である。

Flora Londinensisのページより:

(筆者蔵)

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