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植物の不思議発見

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草木が花や実をつける仕組み、誰もがあまり疑問を持ったことが少ない「不思議」。

今まであまりに身近な自然の現象であったため省みられなかった、言わば、近すぎて忘れられていた不思議が最近、日本人学者によって解明された。

果実をつけるのに重要な物質が相次ぎ見つかり、穀物やバイオ燃料抽出に適した品種つくりの道が開けたと言われている。

20世紀の大半に渡り世界中の植物学者が探し求めていた、花を咲かせる物質「フロリゲン」を奈良先端技術技術大学院大学の島本功教授らのチームが、その正体を突き止めることに成功したと言う朗報(日経平成21年4月26日)がそれである。

毎年、決まった季節に植物は実をつけたり、花を咲かせるわけは、気温や日照時間の長さなどを植物が感じ取り生長を調整する。

このような自然からの「刺激」を葉で受けながら茎を通して、栄養を先端まで運び、その結果、つぼみをつけさせるのが「フロリゲン」の働きであると言う。

1937年、ロシアの植物学者、チャイラヒャンが存在を予想して以来、長く発見できなかった「Ha3a」と言う遺伝子がつくる蛋白質が発見された。

島本教授らは、世界各地で開花時期が異なるイネ64種類を栽培し、フロリゲンを働かせるのに重要な遺伝子である「Hd1」を比較、それぞれが成長の過程で品種ごとに微妙な差が出る原因がフロリゲンの量で調整できることに注目した。

謎は、“おしべ”と“めしべ”の関係。

植物が花が咲いた後、実をつけるには、受精が必要であるが、被子植物では雌しべに付いた花粉から花粉管と言う細長い管が伸び、雌しべの奥の卵細胞にたどり着いて始めて受精する。

何故化粉管は迷わずに卵細胞まで到達できるか?―

これは19世紀以来の学者の疑問であったが、名古屋大学の東山哲也教授は今までに少なくとも2種類たんぱく質が花粉管を誘導しているのを見つけて、これらを魚つりのギジ餌にちなみ「ルアー1」、「ルア-2」と命名した。

園芸植物のトレニアの場合、卵の部分が飛び出していて観察しやすい。それでトレニアを人工授精させて卵細胞の近くにある「助細胞」がルアー1やルアー2を出し、花粉管を引き寄せる役割をしていることを発見した。

そこでトレニアの近種のアゼトウガラシにトレニアのオシベと卵細胞を入れ替えたところ、異なる種と組み合わせでは花粉管は引き寄せられなかった。-拒絶反応?―

又、奈良の田坂昌生教授は植物が枝分かれを促す遺伝子を発見したといわれる。シロイヌナズナで見つかった「CUC2[CUC3]と命名された。枝分かれは葉と茎の付け根の細胞分裂によって起きることが判った。この例では二つの遺伝子が互いに補いながら働いていたと言われている。

フロリゲンを働かなくする薬剤をイネやトウモロコシに撒けば、花や実をつける栄養が成長に働き通常より大きく育つことも判っている。

面白いことに、枝分かれ遺伝子を人工的に働かなくすれば、枝打ちの手間が省ける樹木や、実が大きい商品価値の高い果実も出来る。

老齢化や人手不足に悩む我が国の農業の救世主になるのではと注目を集めているらしい。

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人道的配慮に欠けたトルーマン大統領

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今から丁度64年前の今頃、7月末、日本を降伏に導くべく、連合国の巨頭たち、(アメリカ:トルーマン大統領、チャーチル英国首相、スターリンソ連邦首相)がドイツのポツダムに会い寄って「宣言」についての最後の詰めを話し合っていた。

しかし、その頃、日本と実際に交戦していた国はアメリカと中華民国でしかなかった。

この会合のお膳立てを考えたのはアメリカのグルー国務長官代理、スティムソン陸軍長官とバーンズ国務長官の3人と言われている。

グルーの最初の構想では、アメリカ大統領から、アメリカ単独で同年の5月頃に日本に伝達すると言うものであった。

ベテランのスティムソンはグルーの構想を入れて、柔軟な形の宣言案(天皇制の存続)をポツダムに旅立つ(7月2日)トルーマンに手渡した。

このスティムソン草案を往路8日間の船旅と、その後の会談中、バーンズとトルーマンは研究を重ね、それに誠に重大な修正を加えた。

それは「天皇制存続の保証」を削除、「日本国民の自由に表明した意思に従い」(第12項)と修正された。

筆者の知る限り、トルーマンは永年日本に関わってきたベテランのグルーの心情を知るすべもなく、ただアメリカの国内向け人気ばかりを気にかけていた凡人であったのではないかと思われる。

グルーは終戦後この修正部分にこだわり、トルーマンを直訴までしている。

とにかく、グルーの提案により同年5月28日、ワシントンで会議され、凡その合議が成されたのだが、最終段階でマーシャル元帥が理由を述べないで「ある軍事的事情」で継続審議することを強調した。

この事情は7月中旬に予定されていた原爆実験に他ならなかった。グルーは、当時「マンハッタン計画」が何を意味するかを知っていたが、マーシャルの趣旨は、これも秘密裏に進められていた陸海軍の沖縄進攻ではないかと考えていた

それでグルーは、沖縄戦の終了を見はからって「対日宣言」の提案を大統領に具申した。

筆者がトルーマンが愚直な平凡な人物であったと思う理由は沢山あるが、先ず、ポツダム会談の先にルーズヴェルト、チャーチル、スターリンが行ったヤルタ会談で、ルーズヴェルトが承諾した、ドイツ降伏後に「ソ連の参戦要請案」(同年2月)を実直に行うことが自分がルーズヴェルトから引きついだ義務と思っていたのではないかと思うからである。

2月→7月の約半年の間に世界の情勢は変わっていた。グルーにしてもバーンズにしても、ソ連に信用を置いていなかったし、ヤルタ会談の内容を中国にも説明せず、放置していたことも「配慮に欠ける」外交であり、マーシャル元帥から「新型爆弾開発」の時期も確かめずポツダム会談の開始を呼びかけたこと事態失敗であったと思う。

中国代表は、我々こそが永い間、日本に関わってきた「被害者」であり、三大強国のみでヤルタに寄って、中国を除外した場で、ソ連に介入の理由を与えたことに憤怒していたことは当然と思える。

それに加えて、原爆の投下とあわせて、戦後、あろうことか、ヤルタで話し合われたと言う「イスラエル建国」を自分が主役となって推し進めた罪は大きい。

いずれにしてもヤルタ会談時には「新型爆弾」は生まれていなかった

そこで語られたのは連合国の勝利を確実にするためと、アメリカ軍の人的損害を少なく抑える意味で、ソ連の参戦を要請したのであったが、ポツダム会議が始まる翌日、1945年7月16日にはトルーマンのもとに新型爆弾実験成功のニュースが届いていた。

そこで、トルーマンはこの爆弾実験の成功によって、アメリカの戦局の展開が変わったとは映らなかったのだろうか?

ソ連の参戦はアメリカにとってむしろ迷惑とは思わなかったのだろうか?

ポツダム宣言は1945年7月26日に行われた。(その時点で、スターリンは原子爆弾の仔細についてはソ連のスパイからの報告で知っていた)

何故か、トルーマンはワシントンに電報を送り、8月2日まで発表(release)を遅らすように命令している。

爆弾は広島に8月3日、長崎に8月9日に投下された

何故2度も投下したのかは、日本が態度を決めかねて引き伸ばしたので「駄目押し」の意味を持っていたと考えられる。以上、人道的配慮に欠けたトルーマンアメリカ大統領の行動。   以上、仲晃著「黙殺」参照。

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「定価」とアウトレット

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アウトレット(outlet)といえば「出口」、我が国で言う家庭用の電気「コンセント」のことを指すが、既に日本語化して「安売り」の標語となっている。

価格破壊という言葉が出現して“一昔”以上になるが、そtれから小売市場の構造が根底から考えなをされるようになった。

未だに「定価」を守ろうとしている部門には「タバコ」、「新聞」、「雑誌」部門があるが、これらとても個々の牙城を何時まで守り通せるか不明である。

最近、「大衆薬」が自由となり、間もなく、これらがコンビニでも手に入ることが出来ると話題になっている。

筆者のように古い人間には「定価」と言うターミノロジーが理解できるが、今の若い世代の人にはわかり難いと思われる。

戦争中、政府が経済統制を引いて物価を決めた時の名残の言葉と考えれば判りやすいのではないかと思う。

朝日新聞、2007年10月8日によれば“「売れ残り本」半額に”の見出しで、出版17社が近くネットで本格販売することが報道されている。その趣旨とよって来たった因縁が書かれているので、それを拾ってみるとー再販契約で定価販売を義務付ける出版業界で、「売れ残った本」ヲインターネット上で値引き販売をしようと言う試みが、10/12日から本格的に始まるーとの報道。

この段階のでは、絶版の一歩手前の「在庫僅少本」を提供し、半額で通念販売する。その理由は、

1.     出版不況で書籍の4割が読者の手に届かず返品となる。

2.   価格を拘束しない「第二の市場」を創設して本の復活を図る。

最初、大手4社で始める予定だったそうだが、他者にも協力を呼びかけたところ、最終段階で17社が呼応したらしいが、如何にも日本らしいと思った。

再販制度のもと「定価販売」を呼びかけていた出版業界では「値引き」に強い抵抗感があった。

それでも2003年秋から年に2回、期間限定で、ネット上で定価の半額で「謝恩価格本ネット販売フェア」を続けた。これには定価販売をしていた、一般書店の強い抵抗があり、現に多くの小売店が沈没した。

そのとき、昭和図書の推計では書店から返品される書籍は年間5億冊を越え、そのうちの約2割の1億冊が断裁処分になり、その総額はなんと、820億円だったと言う。そんなことならば値引きして在庫減らしをしようと考えた決断だった。

お陰さまで筆者も今では簡単に安く買える「古書」をネット上で読ませていただいている。

前書きが少々永くなったが、これを計画した主目的は、古書籍の第二の市場の創設で、これは正しい行動であったと思考する。

電化製品のアウトレット化から何十年もたつが、今では百貨店で家電製品の展示はみられなくなった。書籍のフロアーを直接持っているところも見かけなくなった。その他、カメラやパソコン、文房具等なんかはどうなっているのか判らないが、諸品の価格は購入者が決める時代に移りつつある。アオウトレットの本家のアメリカでは、全国各州のアウトレット・モールがパソコン上で検索でき、地図上で見たい州の場所をクリックすれば詳しい説明が検索でき、しかも近隣のホテルやレストランまで知ることが出来る。(挿絵参照)

筆者本人、価格破壊と言う言葉には違和感を持つが、資本主義→自由競争社会の流れは今後押しとどめることは益々難しくなるのではないだろうか?

新聞の定期購読は我が国の特殊なしきたりであるが、国民各自の自覚によって、新聞=定価の悪弊は打破できると信じる。

新聞は今のところ、いつも同時に値上げして、同じ日に休刊することが何故許されているのか?

政治家がメディアに支配されている証左としか考えられない。

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インサイダー取引?

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“ダイアセレクト日本株オープン”と言う投資信託は違法―合法スレスレ線上の取引約款の上にあることは確か。{(日経7/28(火)「一目均衡」欄)

アメリカやイギリスでは販売できないと日経新聞は断定しているほどのキワドイ商品。

三菱東京UFJ銀行が去る21日から取り扱いを始めた株式投信、譬え違法でなくともメガバンクが取り扱うべき代物ではないと結論つけている。

しかし、筆者としては興味を引かれる魅力的商品と映るのだが!

その内容は以下の通り:

東京海上アセットマネジメント投信と言う三菱系の運用会社が、昨年の12月に設定し、三菱UFJ証券や地方銀行が販売していたが、今回販売力のある銀行本体が取り上げた。

既にトヨタグループの企業が運用・販売している「トヨタグループ株式ファンド」も似たような投信だが、運用成績に別段の疑問はない、と日経新聞。

“しかしこの種の投信は”と続けて、“健全な証券市場の発展を妨げる恐れがある”として「問題がある」と述べた三菱と「問題がない」としたトヨタの投信を同類に扱っているところ曖昧さが目に付く。

そのことは別問題として、ダイアモンドセレクトは純資産の8%が三菱UFJF・Gの株式。銀行員が内部情報を知って買ったとしてもインサイダー取引とはならない。(日経)

投信の購入者(受益者)の利益とグループとの利益が対立する恐れがある(Friction of Interest)のことが気にかかる。(日経)

理由①株主総会では常に与党になるのではないか?②グループ企業への敵対的買収の防波堤になりかねない。➂グループ企業の公募増資にスンナリと応じる潜在的ファクターと考えられる。と述べ、将来に心配の種は尽きないと断定している。

東京海上アセットでは、「株価総額(現在)と配当(予想?)を基準にして数値をコンピューターで処理するので、その予想にはなんら恣意的なところは無いと弁明している。

しかし、「資料」の組み込み作業=大株主(三菱東京UFJ)、従って株価が下がって決算上、損失処理を迫られた場合には問題あり、とする専門家もいるらしい。

顧客用の目論見書作成の表現には「伝統と信頼の三菱グループ企業に投資」とあるが、信頼が出来るかどうかは投資家がどう考えるかにあるとしている(日経)。

三菱グループの代表として14社の名を列記しているが、その中には、過去に再三リコール隠しをした三菱自動車(純資産の4%)の名前がないのは如何に?と日経の評価は手厳しい。

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日本過てり!

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明治37年(1904)2月4日の御前会議で、日本はロシアとの国交断絶を決定した。

しか政府も軍部もこの戦争に勝てると言う自信はなかったといわれる。

御前会議の後、伊藤博文は直ちにアメリカ事情に詳しい金子堅太郎を呼び「近い将来、ルーズヴェルト大統領に講和の調停を依頼できるよう工作してもらいたい」と告げた。

戦争を始めると同時に、それを何時どうして終わらせるかを考えていたことになる。

その他、明治政府は国債を発行して戦費を外国から調達し(高橋是清)、ロシアの背後から諜報工作をして、霍乱を図ったり(明石元二郎)、ロシアの地理を綿密に調べ上げて(福島安正)約10年ほど前から準備を怠らなかったことが判っている。

つまり日本の思考は日露戦争以前では正しく働いていたと言える。

問題は日露戦争以後、全権大使であった小村寿太郎の帰国後から何故か、それまでの思考路線から次第に変わり始めた。

それは戦争に勝ったことで増長を始めた国民の感情もあるが、軍部の思い上がり、と大国主義への傾倒が主たる原因としか思えない。

何といっても、小村が帰国後、「桂・ハリマン会議」で調印済みの満州での鉄道敷設事業の撤回から、ユダヤ系であったルーズヴェルトが日本に対して不信派側に立ち、マハンをして40年後の第二次世界大戦の基礎準備「オレンジ計画」発案をせしめたところにあると信じる。

ここに外部から眺めながら日本の将来に危惧を持ち、第二次世界戦争勃発の直前にアメリカ大統領をして昭和天皇に親書を送り付けさせた人物、淺河貫一(1873~1948)がいる。

今朝(2009年7月27日)の京都新聞、「日本近代考、歩み来て、未来へ」の記事を見かけたので、日本では意図的に報道されなかった淺河貫一の足跡を少し紹介したい。

「日本の禍機」は唯一日本で刊行された淺河貫一の著書である

淺河は福島県に生まれ、日本人最初のエール大学教授(歴史学)となった。

1896年にアメリカに渡り、帰国することなく、終生彼地で学究生活を送った。

1904年に英文で「日露衝突」を出版、日本の立場と主張を世界に知らしめるべく運動したと言われている。

しかし、日本では不思議なほど彼の存在は無視され続けた。

京都新聞はその辺の事情を“淺河が官学の伝統から無縁であったこと、戦後日本がマルクス主義一辺倒になり、彼の主張と会わなくなった為”と伝えている。

彼の唯一の日本語著書「日本の禍機」は日露戦争が終わって3年後の1明治41年(1908)に出版されている。

ここで注目したいのは、淺河はその時期、既に世界の日本を見る目が如何に大きく変わってきているかを忠告の意味で祖国に書き送る為筆を染めたと思わざるを得ない。

その内容は;

「日露戦争以後の世情の変遷」(前編)、「日本国運の危機」(後編)では、①「米国の日本に関する感情の変遷」、「日、清、米の重大なる関係」、④「米国為政者の東洋に関する思想」に分けて彼地から客観的視野に立って祖国に「世界に目を向けるよう」忠告を発している。

日本政府が国民に陳謝すべきは、ワシントン駐在の大使が宣戦布告詔書伝達に時間を取りすぎて、実際の戦闘開始時刻を過ぎてもそれを送りつけられなかった大失策を犯したことにあると思う。

無駄に時間がかかった理由が「詔書の英訳」だったとすれば世界の笑いものになるのは当然。

戦雲急を告げる頃、淺河は遂に戦争の回避に動き出した。彼は国会図書館にいた知人を通して大統領に昭和天皇に“陛下、私を信じたまえ”と言う内容の親書を送るよう依頼した。(京都新聞、浅河草案は現存)

そのアメリカ大統領親書が昭和天皇に届けられたのは、真珠湾攻撃寸前の、日本時間12月8日未明。日本の艦載機が空母の甲板から飛び立とうとしている時であったらしい。

淺河の望みは裏切られて、開戦となったが、淺河はそれを知ったとき泣き崩れたと言われている。

明治天皇が1912年に崩御、病身の大正天皇の代がその後13年半続いたが、その間、日本は軍部のイニシャティヴでますます“西洋”と対峙することとなり彼らの「罠」にはまってゆく運命を辿った。その様子をつぶさに傍観していた淺河貫一の胸の内は如何なるものであったか想像に余りあるものがある。

最近“「奢る日本と」戦った男”の著者、清水美和(55)は“各国がナショナリズムを掲げて台頭する今のアジア情勢は、淺河が警告を発し始めた20世紀初頭とどこか似てきていませんか?”と述べているとか。(挿絵:真珠湾)

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国産マツタケ誕生?

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1999年、スエーデンの E・ダネルという学者がDNA解析によって、ヨーロッパ産のきのこ(Tnauseosum)と、われわれの知っている松茸と同じであることを突き止めたとのこと。(グーグル辞書)

最近日本でもバイオ技術でフラスコの底から生まれようとしているマツタケに熱いまなざしが注がれている。(産経新聞7/1‘09“不可能を可能に”欄)

マツタケ菌の培養実験を始めてから3ヵ年が過ぎた昨年6月、

大津市

内のタカラバイオの研究室で、酒井武・主幹研究員が、マツタケがキノコ(子実体)に成長する前段階の「子実体原基」を発生させる技術を確立した。それによってマツタケの開発まであと一歩に迫ったと言うことになる。2006年12月にマツタケのゲノム(遺伝情報)の解読に世界で始めて成功してから3年弱経過したが、次に越えなければならないハードルは、子実体原基からのキノコの発生であり、登山に譬えれば「登頂アッタク」の段階に来たという、全国民にとっても嬉しいニュースである。

林野庁に拠ると国産マツタケの卸売価格はほぼ1KG当たり5万円、中には15万~20万円の高値のものもあるとのこと。つまり圧倒的に売り手市場の状態。

今では需要の95%を輸入に頼っていることは周知の通り。森林綜合研究所の村田仁・主任研究員によれば、国産マツタケは1941年頃の出荷量は年間1万2千トンもあったが、その後の乱獲や地球温暖化、松枯れ等で現在では年間100トン程度にまで激減している。

言うまでも無く、現在では各地でマツタケ開発競争は日ごとに激しくなっている。

キノコ大手の「雪国まいてけ」は4月、玉川大学の関連ベンチャー「ハイファ・ゼネシス」や東京家政大学と連携、マツタケの成長に必要な約8千個の遺伝子を解読したという。

遺伝子工学の発達で、これまで不明な点が多くあったマツタケの研究開発は確実に進歩していることが判る。

筆者もどうにか、もう少し生き延びて、美味しい「国産マツタケ」を味わって見たいと願うことしきり。

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日本の行方?

日系二世のミネタ元米商務長官は日本の将来に就いて疑問符を投げかけた。

「日本が何をしたいのかがわからない」と言い、「民主党がインド洋での給油中止を唱えてもかまわない、アメリカ海軍はすでに一昨年来、日本がインド洋からいなくなった場合を想定して準備を始めた」と日経新聞のインタービューに答えている。(日経7/25

米軍幹部は(日本が)“いれば助かるが、いなくても困らない”との見解

流石の民主党も、最近現実路線を視野に入れて、「給油継続」を表明したが、アメリカはその辺の事情は既に見透かし済みらしい。

同米軍幹部は、“嫌々来られても嬉しくない。参加したいのか、したくないのか、態度を明確にせよ”と言っている。

合意から10年が経過しても結論が出ない沖縄の普天間基地の移設に就いても、“日本人は約束を守らない”と厳しい。

終戦以来、ただアメリカの後ろを付いてきた日本、だが冷戦終結から20年、自身で進路を決める習慣は政治家も国民も身につけていない

今年の一月、米中国交30年を祝う席で、ブレジンスキー元大統領補佐官は両国主導による世界秩序樹立(G2論)を提唱した。日経報道は、アメリカは日本民主党は「脱米入亜」を考えていると見ている。(まるで次期政党が自民党政府とは思っていない証拠?)

しかし、民主党事態、具体的に中国と如何に付き合うかを決めかねていると報道。「米国か中国か」、二者択一で考えがちな日本を尻目に世界はどんどん先に進んでゆくとも警告している。

「北」の脅威に対抗するべく韓国は6月の米韓首脳会談でアメリカに「核の傘」の再確認を求めたらしい。日本も今月来日したキャンベル国務次官補と「核の傘」の問題を協議することで同意している。

ホワイトハウスは真剣にオバマ大統領が11月の来日の際、広島を公式に訪問すべきかどうかを検討中らしい。

しかし本当に心配なのは日本の態度であると筆者は考える。

オバマの広島訪問は、加害者アメリカの大統領が戦後初めて原爆投下のシンボル「ヒロシマ」を訪れる「一大事件」と言える。どのような結果になるかは予想も付かないが、先ず警護をどうするかは日本の問題である。

「北方領土」返還問題ははかない夢となってしまった感がある。

日本共産党や民社党がいかにも金科玉条のように唱えていた「非核三原則」も日本がアメリカの核の傘を容認したことでまるで「泡」のように消えてしまった。

世界の情勢を高所から眺めないで、ただ「北」の拉致問題だけを主張していたのでは、今後どの国も日本に同情しなくなる。(国境を満足に守れない国は独立国家ではない)

クオバディス日本!

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中国のエニグマ

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北朝鮮を交えた「6カ国会議」は事実上存在感をなくした。最近の中国の北朝鮮に対する態度は曖昧である

韓国の北朝鮮民主化運動の若手のリーダー響哲煥氏(40)は先日7/11の産経新聞のインタービューで、中国、北朝鮮の国境付近の近況を述べ、、“北朝鮮軍が脱北者を後ろから狙撃する銃声、又、賄賂を取って国境から人民の逃亡を助けた官吏の公開処刑の銃声が毎日のように聞こえる“と延べ、”最近、北朝鮮の食糧難はさらに深刻になり、脱北者の数は今後増加することは必至で、国民は餓死か、逃げるかの二者択一を迫られている“と答えた。

もし、中国による脱北者の強制送還がなければ、100万人が北朝鮮からいなくなるだろうとも述べている。

さらに“食糧難の影響で、昨年頃から、軍が穀倉地帯に移動して、住民から食料を奪っている”と、正に軍と住民の生存競争の地獄絵の様子について語っている。

姜氏によれば、韓国入りした脱北者は現在約1万8千人、間もなく「北」の崩壊は時間の問題ではないかとの意見である。

姜氏は北朝鮮生まれで10年間、政治犯収容所に収監された後、1992年に脱走、現在は「北朝鮮民主化委員会」のの副委員長、「朝鮮日報」の記者、最近来日、その間、東京、大阪等で講演した。

さて、中国は何故、脱北者を送り返すのだろうか?「窮鳥懐に入れば、猟師もこれを撃たず」の譬えに反するむごい行為である。

送り返せば、彼らを待っているのは処刑だと言うことは中国は充分承知のはずではないか?

その点、中国は北朝鮮の協力者だと言える。

「北」が瓦解すれば、もとの形、即ち「南北統一」が自然な形。そうなれば韓国は何のためらいも無く、統一達成を主張するだろうが、果たしてスンナリとこの問題が収まるとは断言できない。世界の均衡は「力」が決める。

しかし、もし、北朝鮮の金正日総書記長が中国或いはロシアに亡命したとすればどんな事になるのだろう?北朝鮮の人民が韓国の支配を拒否して他国の庇護に入る事を決議したとすれば、事態はますます一筋縄では行かなくなるとも考えられる。

事実、数年来続いている、所謂「六者会談」ではキーマン役として中国が選ばれた。

実際、昨年の中国の「北」との貿易額は28億ドル(韓国政府統計)で、この金額は「北」の総貿易額の40%を占める。2006年には18億ドルだったから、2年間で50%以上増大したことになるらしい。

「北」は中国からの食料とエネルギー援助で生き延びていることは本当で、米国のワシントン・ポスト誌の6/2付記事によれば“中国はやろうと思えばいつでも「北」を崩壊に導ける。石油の供給を止めればいいのだ、”(アン・アップルバウム記者談)

ところが現在何が起こっているかと言えば、脱北者を捕獲して「北」政府に送還している、つまり国境を越えて難民が押し寄せることを危惧しているのである。

「北」が崩壊しても、中国の「北」への影響力は絶大で、どの国連安保常任理事国も中国には口出しできないと思われるが、中国は依然として「北」の核計画阻止の確固たる姿勢はとらないどころか、「北」との貿易関係を維持、石油を供与して金政権の存続を助けながら、国境は閉ざし、「北」の核実験には完全NOとは声明していない。

これは、どの角度から考えても“中国のエニグマ”といわざるを得ない。

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北海道の明るい未来

我が国の食料自給率はほぼ40%と低い、特に大都会周辺では無限にゼロに近い。ところが、北海道は195%の自給率、もし北海道が独立国家ならば食料輸出も考えられるところである。

今まで北海道では米の収穫が望めないと思っているひとが大半だった。

しかし、最近では「おぼろずき」というお米が出現して、新潟のコシヒカリに勝るとも劣らないという評判だそうである。

これは何故?これには永年の地道な研究によるところが多いとの事

しかし、正直言って「地球温暖化現象」によるところがある事実は否めないと思われる。

去る5月20日から、首都圏、関西、北陸の郵便局が「夕張メロン」を「ふるさと小包」の名称で「産直」で販売開始した。

北海道生キャラメルは全国的ブランドになっている。とにかく食に関する限り、北海道の名前を冠する名産品は実に多い。

地球温暖化現象は北海道に関する限り「嬉しい現象」ともとれる。今まで東北地方が米作に適していると言われていたが、今ではそれがそのまま北海道に移動したと思えばわかりやすい。

昨今北海道の「食」を求めて本州から企業の進出が相次いでいる。富良野のラヴェンダーは有名であるが、全国に展開するソバの老舗の原産地では北海道が多い。広大な太地に地平線まで続くソバ畑の風景は実に雄大で美しい。

パンの原料の小麦粉、バター、チーズ、ビールの原料のホップ、日高コンブ、花咲ガニ、松前漬等も有名である。

「ブランド綜合研究所」が昨年行った「都市魅力度ランキング」では、一位札幌、2位、函館、5位小樽、7位富良野と十位以内に北海道の町が4市も入ったのは脅威である。

朝日新聞が調べたところでは、全国のデパートで開かれる「物産展」の日数でも北海道はダントツで、この不況の中、いつも前年度売り上げを更新している程人気がある。

歴史的に見て、北海道から炭鉱の火が消え、ニシン漁もなくなったが九州の約2倍の広さを持つ北海道は最近の「食ブランド化」の流れにのって潜在的可能性を秘めていることは確かである。

来年に完成が予定されている羽田第4滑走路が実現し、新千歳からの早朝、深夜の輸送便が実現すれば、新鮮でブランド価値の高い農水産物が短時間で首都圏に届けられることとなり、夢がさらに膨らむこととなる。

今まで配送が出来なかった、サロマ湖の牡蠣、利尻、日高のうに等も北海道の珍味として全国の食卓に届くことだろう。

今後は北海道に限らず全世界に於いて「地球温暖化」の影響のため地域的に、メイrット、デメリットが起こってくることは予想される。特にメリットを受けると思われる地域は、スカンジナヴィア諸国、ロシア、カナダとイギリス等が考えられる。Photo

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NUMMIとトヨタ

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NUMMIは(ヌーミと発音する)、正式にはNEW UNITED MOTOR MANUFACTURING,

INC.でトヨタとGMがカリフォルニア州に1984年に設立した合弁会社の名称である。

1980年代に入り、GMがトヨタのカンバン方式に刺激されて、低コストで効率的経営を目指して作られたのがNUMMIであった。

もともと1982年にGMが閉鎖した工場を譲り受けて発足したもので、その後、アメリカのほかではオーストラリアにも進出した。

2009629日、GMの産後、国有化された「GM」からトヨタとの合弁事業の解消が発表された。

このことは、謂わば、アメリカ政府からの通告と取るべきだと考える。既にGMと言う会社は存在しないのだから、破産の後、NUMMIはもはや旧GMとは何の関係も無い。

アメリカ政府が60%の株式を持つ「新生GM」から切り離されたのだから、旧GMの出資分の買取が最後の問題として残っているに過ぎない。

そこでトヨタがこの問題を如何に乗り切るかが問われているのだが、カリフォルニア州自身が財政難でその存続が危ぶまれているのであるから、これはアメリカ政府が何とかしなければならない重大な問題となっている。

アメリカ全体で平均9.5%の失業率、その中にあって、自動車産業の中心地、ミシガン州では15%と言われている。

カリフォルニアでは先日州知事、シュワルツェネガー氏が「非常事態」を宣言(7/1)州事態がデフォルトに近い状態と言われている。

NUMMI工場には5000~6000人の労働者が働いているが、カリフォルニアの平均労働賃金が高いためトヨタとしてはその採算性から工場の継続に慎重にならざるを得ない事情があると思われる。

先日の「ブログ」で述べさせてもらったが、トヨタはアメリカの雇用問題の救世主になれるチャンスを逃してはならないと考える。

カリフォルニア州は日本にとって因縁の深いと千歳一隅のチャンスと捉え、問題解決に当たっては日本の政府をも巻き込んだ「国対国」として訴える覚悟をするべきと思うのだが。

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世界で始めての気球飛行

ジーン・ピエール・ブランチャード(Jean-pierre Blanchard)は1785年に世界で始めて気球を発明、フランスからドーヴァー海峡を越えて一気にイギリスにバルーンで渡ったフランス人である。

それから44回のテストの後、1792年の12月9日、当時アメリカの首都のフィラデルフィアーに到着、アメリカでの興行を試みた。

時にブランチャード39歳、早速彼は新聞にもし、天気さえ良ければ、翌年1月9日に水素気球で空を飛ぶという予告を発表した。

彼の予定は同市の監獄の中庭を利用して飛び立つとの事だった。監獄の高い塀は予期しない突風による事故を防ぐためであった

しかし切符の売れ行きは遅々たるモノであったらしい。英語が殆ど話せないブランチャードには最初、その理由がはっきりと判らなかった。

彼は先ずワシントン大統領を招待することとし、幸い、ワシントンも彼の招きに応じた。

しかし、切符の売れ行きがはかばかしくなく、彼は3ドルの観覧料金を一人2ドルに値下げしなければならなかった。

彼のこの「偉業」についての人気は大変なもので、中には馬で気球を追いかけるというサムライが現れるに及んで、ブランチャードはフェデラル・ガゼット誌の広告に“途中には川も森を越えて飛ぶ気球を追跡することは危険”なのでやめるように訴えた。

当日がやってきた、夜明け前には15分間隔で空砲が監獄の近くで鳴り響き、監獄の庭ではバンド演奏が始まるという賑やかさで、これから始まる大イヴェントの様子を待ち構えた。

暫くして、鳥の羽で飾りつけた大きな帽子と、派手な青色のコートで着飾ったブランチャードが監獄の中庭に姿を見せた、続いて、9時45分に大統領の馬車がマーサ婦人同伴で到着、副大統領、ジョン・アダムス、フランス大使がそれに従って入場するや、15発の礼砲が鳴り響いた。トーマス・ジェファーソン国務長官他多数の高官が姿を見せた。

大統領はブランチャードに直々に安全飛行のためのメッセージを手渡し、観覧席の一員からブランチャードに黒い子犬が渡された。

その日の新聞報道によると、気球が監獄の中庭から飛び立つ頃には4万人の観衆が集まったとの事、ブランチャードが上空からその様子を眺めていて、始めて、何故前売り券の売り上げが少なかったのかが判ったらしい。

初めて上空1200フイートを人間が飛んだのをはじめて見た人々の驚きは大変なものであった。下方に流れるデラウエアー川がまるで青いリボンの様に見えたらしい。

現代の宇宙飛行の際の実験のように、そのとき上空に上った人間の呼吸数や脈が如何に変化するか等も調べられたとのこと。この飛行は成功裏に終わり、ブランチャードはそれから数週間フィラデルフィアーに逗留してアメリカでの知遇を広めた。

イギリス侵攻に道を閉ざされたナポレオンが後日真剣に、ブランチャードの気球を使って英国攻めを策略したといわれている。

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コピーは許されるか?

日本はやはりChinaの弟分?

中国のコピー文化には世界中が悩まされている。

彼らの考えでは「写」とは英語で言うDuplication,又はForgeryではなく、まねて作ることは、即ち、「学ぶ」事なのである。

中国画の歴史では、師匠の作品を写して学ぶことを「倣」という字で表わす。

「倣」には「写」とか「まねる」というセンスは存在しない。

「倣」の意味は、英語で言えばIn the style of、“in the tradition of”と表現できるが、彼らには「コピー」と言う感覚はなく、その方面のモラルは欠如していると考える。

 ところで、本日、筆者が問題にしたいと考えるのは、我が国に於いても同じような伝統があるのではないかと疑問視せざるを得ない事態が慣習化しかけているという、憂うべき現象である。

本日の新聞報道(京都新聞7/14‘09)に、現在アメリカの美術館に所蔵されている緒方光琳筆の金地彩色菖蒲に八橋画六曲一双屏風絵をデジタル複製して

京都市

に寄贈したニュースが出ていた。

そこには誇らしげに“「八橋図」カキツバタ鮮やか、光琳屏風迫る輝き”との大見出しで、これを

京都市

が祇園祭のショーピースとして何処かへ展示して客寄せに使うらしい。

いくらデジタル複製技術が進歩しても、「コピー」であることには違いない。

正式に所有者の許可を得て展示する事には異論はないが、寄贈したのがNPO法人「京都文化協会」でも、製作元は民間企業であり、

京都市

はその企業のデジタル製作技術を知って欲しいとの触れ込みだから、その辺にスッキリとしない疑問が残る。

昨今、このデジタル複写技術を駆使して多くの文化財の複製が盛んである。それも、これらの発注元が観光客目当てのところである。

京都市

が管理する二条城の襖絵は殆どが文化財に指定されている物件だが、これらの屏風絵をデジタルコピーして展示“本物に迫る”迫力を売り物にして反省している様子は微塵も感じられない。

同じことが殆どの観光寺院にも起こっている。本物は傷みやすいという理由で「コピー」で代用しながら、入場料は同じように徴収、「拝観」と言って、宗教行為にしてしまっているが、

京都市

側も同じ穴のムジナだから、宗教法人には何も言えない。

欧米では殆どの場合、展示物は本物で、しかもガラス越しでなく目の前にあるので鑑賞しやすいが、我が国の場合、神社や寺院では、暗い照明の下で展示物がハッキリ識別できない、誠にお粗末な状態である。しかも履物は下駄箱に入れ、スリッパを履く風習は海外からのヴィジターにはそぐわない。

各寺院のパンフレットには所蔵する財宝が記されているが、殆どの場合展示されていない。これでは、

京都市

がいくら宣伝しても、観光客は増えないように思うのだが。ジャック・ルイ・デーヴィッド画(デジタルコピー)

”ホレイシオの誓い”ルーブル美術館蔵Jacqueslouis_david

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新生GMとトヨタ自動車[

新生「GM」とトヨタ自動車

トヨタ自動車は去る7月110日、かねてよりアメリカのGMから両社の合弁会社、“NUMMII”(ヌーミー)の清算をする申し入れがなされていたことに就いて、清算を含めて検討中と述べた。

NUMMIの工場(カリフォルニア州)の存廃は、一にトヨタ側の決断にかかっていることは事実。

何故ならGMはこれまでの優良資産を{新生GM}に譲渡を完了、既に、トヨタとの合弁会社NUMMIからの撤退を決めているからである

トヨタは、GMが所有するNUMMIの持ち株の買収、従業員が加盟している全米自動車労組(UAW)との交渉(存続の場合)を目下検討している段階にある。

GMの最後通告でトヨタとしては「現在のビジネス環境下では、清算についても真剣に検討していかざるを得ない」と体制見直しに関する声明を出した。(日経新聞、7月11日)

先日発表された経済報告によると、アメリカの失業率は遂に、9.5%を超えた。

現在NUMMIの工場で働いている労働者は6000人、この去就はトヨタの手に握られていることは事実。

GMはオバマ政権の要請で、これまでの資産を根本的に見直してし、「新生GM」とし政府の特別融資を取り付けた。7000億ドルの公的資金枠から500億ドルを使って再建を許されたGMとしては他に選択の道は残されていない。

しかも、ライバルの「新生クライスラー」は6月1日より事業を再開している。

政府が60%の株式を持っている現在のGMはこれまでの名称“General Motorsから”Government Motorsになったとまで言われている状態。

即ち、GMはこれ以上「ない袖は振れず」、仕方なく労働者の首を切ったといわれても仕方が無い。

私見ではトヨタの置かれている立場は決して悪いものではないと思う。

何故ならば、苦しくても「アメリカ労働者6000人救済」の大義名分を取れる千歳一隅のチャンスと思うからである。

これから世界的不況が長引けば、どの国においても国産優先の気運が高まってくることは火を見るより明らかである。

175pxcadillac_logo_svg トヨタの決断は将来の運命を開くために大切と考える。

GM emblem

"cadilac"

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恐ろしい話

Photo

貿易風(偏西風)は太古の時代から変わりなく吹いている天然現象であり、何人といえどもこれを反対方向に向かわせることは出来ない。

即ち、人類は自然に逆らうことは出来ないことは明らかである。

我が国が隣国(中国)の風下に位置していることで、今後蒙る被害は図り知れない。

毎年、春先に訪れる「黄砂現象」はその事実を物語っている。しかも中国内部での砂漠化が黄砂の被害を助長している。

最近中国は長江ダムを完成させた。

別名、三峡ダムの構想は、孫文(Sun Yat-Sen)によるものとされ、1919年に「建国方策」の中で言及しているとのこと。

中国共産党政府は、1950年に長江水利委員会を設置して予備調査を開始、中ソ対立や、文化大革命を経て、賛否両論の中、1992年、三峡ダム建設に踏み切った。(出席者2633名中、賛成1767、反対177、棄権664、無投票、33)本工事は1994年に始まり、2009年に終わった。

中国指導部の胡錦涛国家主席、李鵬前総裁はいずれも発電技師出身であり、三峡プロジェクトを強力に推進した、温家宝総理は三峡行程建設委員会主任を兼ねていた。ところが、2006年のダムの完工式には彼らは誰一人として出席していない。

このような一大国家事業に

最高責任者全員が欠席するとは異例であった。

当ダム建設に伴い、政府は住民トータルで370万を強制移住させた。これらの住民は充分な補償なしで貧困層へと転落していったそうである。

中国の10元紙幣にも描かれているように、三峡ダム周辺には国を代表する名勝が多く、ダム建設でこれらの観光資源が結果的にダムの底に沈んでしまった。

これは始めから予想されていたことであるが、このダムの周辺地域で汚染物質の流入が始まり、長江の流域と黄海の水質悪化からアオコの大量発生、一部の水域からは環境の悪化が必至であった、果たして、大腸菌群や人血吸虫、浮遊物による汚染が始まった。

日本近海で2002年以降に見かけられるようになったエチゼンクラゲもこの三峡ダムが引き金となったのではないかとも言われている。

また、一説では、このダムは流入する土砂で埋没してしまう懸念もあるらしく、今になって、当局も真剣にこれを憂慮しているらしい。

実際、この流域面積108.4万平方キロに、年間5.3億トンの土砂が流入、平均総流入量4500億トンに対して有効貯水量は220億トン、歩留まりは5%弱とのこと。

ダム底に貯まる土砂の排出を如何にマネージするかは大問題で、この土砂堆積で、2006年8月、香港の中国人権情報センターは3年以内に三峡ダムが強い地震を引き起こす可能性を示唆している。

もし、何らかの理由でダムが決壊した場合、その流域に未曾有の大惨事をもたらすことも憂慮されている。

現に、側壁に入ったヒビの修理に際して原子放射線を使用したが為、被爆者が多勢でたことも報道されている。水中にはびこった菌虫による奇病(腹部が異常に膨脹して死に至る)で100万人が死亡、下流では逆津波による災害で300万人が被災したと言われている。

湖南省岳陽市付近では、200メートルに亘って側壁崩壊が起こって(2009年2月6日)いる。

2007年7月9日には洪水による被災者数2783万人で、101人が死亡、26人が行方不明となった。

今年になって中国では大雨による被害が絶えることがない。

こんなニュースもある、ニューヨーク・タイムスが6月23日報じたところでは、洪水で洞庭胡近辺の巣穴から追いたてられたネズミの大群の数が20億匹という報道は驚きである。

これらのネズミが食べるエサは果たしてどの位になるか?

季節が季節だけにハエや蚊の異常発生も心配になる。

これを聞くに及んで、日本もこれからノンカンとはしていられない。

中国の風下に位置する我が国は西から押し寄せる産業廃棄物の心配もある。

持つべきは良い隣人であるが・・・・・・?

日本がかって、戦時中に爆弾気球をアメリカに向かって放ち、何がしかの損

害をアメリカに与えたらしいが、中国もその気になれば、我が国に向かっ

て、いろんなことも出来る位置に

あると言うことは忘れてはならない。

中国において、三峡ダムに関して、マイナス面の報道はタブーとなっている

らしい。従って、今まで表立っての中国政府からの公式な報道は一切成され

ていなかったが、この様な重大事を何時までも放置できないことは当然であ

る。

昨今のウイグル地区での暴動、チベット問題等中国の頭痛の種は尽きない。

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Gerontology(ジェロントロジー)

Gerontology(ジェロントロジー)

gerontology

とは聞きなれない言葉なので、小学館―ランドムハウス英和大辞典を引くと老人学のことだと判った。その語源は、old ageを表わすギリシャ語“gerannto”から派生しているとのこと。

長老政治、老人支配の意味もあるらしい。

日経7月5日の欄「世界この先」には、去る、6月17日、東京大学に世界から約30社が挙って、「老年学」の研究発表を行ったことを報じている。

呼んで、「高齢社会綜合研究機構」。

我が国では2030年には70歳以上の数が総人口の2割に達すると予見されている。世界の先端を行く企業としては、この現象を傍観せずに、将来の「メシの種」にしたいとそれぞれの企業が研究を進めている。

その中で私が注目したいのは、病院内での車椅子の利用をさらに便利にする「ミューチップ」の構想である。

これは現在のメモリーチップの三〇分の一、髪の毛の断面並みの、0.075ミリ、を利用、これを車椅子に組み込むことで、院内通路に敷き詰められたミューチップに予め記憶させた番号を車椅子が読み取ればいい。

病院の売店まで行きたいと思った患者サンが売店行きのボタンを押せば、自動的にそこまで連れて行ってくれると言う便利さで、付き添いのサポートが不要になる。

しかし、現在の段階のチップ容量では無理らしくて高コストのため実現不可能らしい。

これを現代のイノヴェーションと言うのならば、

略100年前、川商フーズ(東京・千代田区)が1911年に輸出用“缶ズメ”に登用した商標名「GEISHA」(芸者)は正に秀逸だと報じている。

実際に筆者も海外でゲイシャ・ブランドでサケ、マグロ、カニの缶詰が人気があることを知っている。

即ち、今のようにTOYOTAとかHONDA,CANON、SONYのような世界的なブランドを持たなかった日本が世界の消費者の注意をもらうには絶妙の名前だったと思う。

ところが、GEISHAブランドが世界に浸透するに従ってニセモノが出だして困っているとのこと、川商フーズの例のように登録商標を守る術を考案することもイノヴェーションには違いない。

正に、守るも、攻めるも難しい昨今である

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懐かしい商品名

馴染みの深い商品名

先週、京都の古い色調を残している通りを歩いていて、昔の京都の道標として子供の頃から馴染み深い「仁丹」の道路標識を見つけることが出来た。

そこで、帰宅して暫く考えていたが、仁丹のほかに、戦前から途絶えることなく続いている商品名にどんなものが、残っているかを・・・・・、

先ず、思いついたのが「味の素」、「カルピス」、「ビオフェルミン」、「ロート目薬」「メンソーレータム」、「正露丸」「グリコ」「森永キャラメル」「ビスコ」「三ツ矢サイダー」等々、10程の商品名が頭に浮かんだ・

仁丹にしてもカルピスにしても、その頃は単品のヒット商品で、企業の生計が成り立った時代であった。現在ではとてもそんなことでは、企業は生き延びることは難しいのではと思うのだが。

そのうちの「味の素」であるが、“うまみの調味料”として最初に発売されたのが、明治42年5月(1909)であったと産経新聞、(2009年7月5日付)に出ていた。(広告)

そこには東京朝日新聞に掲載された当時の味の素の広告の図版を紹介して、“理学博士、池田菊苗博士発明、東京丸の内、鈴木商店(専売特許:第14805号と記されている。

池田菊苗は元治元年(1865)生まれ、1899ねんから1年半、ドイツ・ライヒプッチに留学して帰国、湯豆腐を食している時、“昆布のだし”からうまみを引き出すことを考え出した。その後、研究を重ね、明治40年にうま味の正体を世界で始めて“グルタミン酸ナトリューム”であることを突き止め、これを主要成分とする調味料製造法の特許を取得した。

実業家であり、味の素の創業者鈴木三郎助(1868~1931)は池田と特許の権利を共用して、味の素の製造に着手、明治42年から発売した。その頃の世界的ニュースと言えば、ライト兄弟の初飛行(1903)、アインシュタインの特殊相対性理論の発表(1905)‐両者とも来日しているーT型フォードの生産開始(1808)等がある。

池田はドイツ留学から帰国して、ドイツ人と比較して日本人が栄養不足から体格の劣っていることに注目、なんとか体格差を取りもどす為、“食事を美味しくして、栄養状態を改善したい”と思ったそうである。それから丁度100年が経ち、確かに日本人の体つきに変化があることが判る。Photo

味の素の第1号

(1909年)

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natsukashii

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インセンティヴ(incentive)

インセンティヴ(INCENTIVE

今は100年に一度という大不況風が世界中を席巻している。

その様な時こそ国は国民の心を鼓舞して、それこそ、国を挙げて、この難関を生き抜く施策に知恵を出すべきだと思う。

明治以来、我が国は西洋の知恵や文化を取り入れて所謂「先進国」を目指して努力を重ねてきたが、流石に、科学技術のレヴェルは西洋先進国並みに成長したと思うのだが、国民の心を上手に利用して国家を富ます舵とりには“まだまだ”の感じがする。

「INCENTIVE」と言う英語は最近よく耳にするが、これは、とりもなをさず、「奨励」とか、「報励」、「鼓舞」という意味を持っている。

日本は世界最大の貯金国家である。国民の所有する“ヘソクリ”は実に、1000兆円以上と見積もられている。

それに反して、国の借金は600~900兆円と言われている。

国民が何処にそんな大金を貯めこんでいるの疑問である。

日本は明治以来、国民の力を見くびって、極端に低く評価していたのではないかと疑いたくなる。

戦前までは、国民の富の配分が現在とは反対に貴族院議員に属する層に偏っていたと思う。

今では、庶民が金持ちなのである。

その訳は人民が国家を心から信頼していなかったからではなかろうか?

戦後、多くの日本人がアメリカの財団からの奨学金で留学できた。これはアメリカの文化行政が寄付行為に寛大は施政を保持していたからである。

個人であれ、法人であれ、アメリカでは善意の寄付に対して寛大な税制を敷いている。

,手元の、2002年度の“The Official Museum Directory(アメリカ)を見ると、そこには実に、87分野に分けて8700のミュージアムがリストアップされている。

この書籍自体2476ページ(大阪の電話帳位?)あり、そこには美術以外に、200の自然科学博物館の他、動物、植物園、ヒストリカル・ソサイエティー等々が列記されていて、各団体のスタッフ名、規模、電話番号、ファックス、e-mail, home pageまでが克明に紹介されている。

私の想像だが、恐らく、これらの団体は全てNon Profit Organization(N.P.O.)である。

ニューヨーク一つ取っても、そこには世界的に有名な美術館、自然博物館、動、植物園、図書館が数え切れない程存在しているが、これらは、皆、私営で、国営でも地方団体にも属していない施設である。

これらの私営の公共施設の基礎は、殆どが19世紀までに出来上がっていたのである。それは、単に、アメリカが世界有数の富める国であったからではなく、為政者がうまく国民から寄付をさせて、それを上手に運営させたからである。

今頃になって、日本政府は相続税の優遇措置を発表しているが、こんなことでは国の膨大な借金は返せないところまで追い込まれている。

一日もはやく、先進国、アメリカに学んで、税制を根本的に見直すことが急務だと思うのだが。

最後に、奨学金制度の確立が、将来の日本には最も急がれることと確信している。

卑近な例は国立大学の授業料は安すぎると思う。

国籍に関係なく、成績次第で奨学金を増やして、本当に勉学に精を出す若者だけを受け入れ、平均の学費を思い切って増額すべきだと思うのだが。

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株式会社

株式会社の元祖「オランダ東インド会社」が誕生したのが1602年、それから407年が経過した。

英語では、joint stock company,或いは、limited liability company(英国)、米国では、corporation(略:corp)と呼ばれる。

それに対し、現存はしないが、合名会社はlimited partnership companyと呼ばれる。

前者の場合はlimited liabilityと言われている通り、有限責任に対し、合名会社は無限責任であるため、社員はお互いに責任を持つことが唄われている。

オランダ東インド会社の構成や規約には疎いのでなんとも言えないが、昔の考えでは、合名会社的に、社員は交互に個人責任が問われることが普通であったのではないかと想像する。

今年、アメリカで大きな二つの会社が倒産した。①リーマンブラザース②ゼネラル・モーターズ(GM)である。

会社は稼がなければ存続できない。

稼ぐには複数の道があるが、どの道を選ぶかは経営者が決めることである。

最近では生産技術の進歩から、以前よりは少人数の従業員でことが足りる場合がしばしばであり、又、会社も競争原理の立場から、なるべく雇用人員の削減に走らざるを得ない。

この辺りから会社経営の矛盾が起こってくる。

我が国では、つい最近まで”終身雇用”を日本の経営者の美徳としていたが、この考えは完全にピリオッドをうった。

又、日本独特の”家族主義”=”共同体制”も具体性に疑問符が付くようになった。

これまでは会社が大きいほど(多数の雇用者)尊敬されたが、この考えも暫時変わりつつある。

極端な場合、最近では社屋を持たない会社も出てきている。

企業家(投資家)同士がネットワークで結ばれ、会合を持つにしても年に一回ぐらいだが、本社(無形)はは会社の技術の基盤を提供するだけで、運用するプログラムは誰が描いても良いと言う仕組みの企業もある。

つまり、企業を通して社会に奉仕する理念は何処かへ消え去ったとも思える。

しかし、他人のお金を預かって商活動を委嘱されている会社のトップは投資者には適当な配当の分配を行ふ義務があり、従業員に対しても温情をもって適宜な収入の保証をするべきであることは当然である。

アメリカで今年倒産した①の会社は、社員に対し成果主義に徹した厳しい会社であり、②の会社は古い思想に基づく、共同体型の古い考えの会社であった。

上記二つの企業はそれぞれ違った道を歩んだが、結果は同じ=倒産であった。

我が国では今年の上半期で38社が東証より姿を消し、海の向こうのアメリカでは46万人が職を追われ、6月の失業率が9.5%になり、独立記念休日の関係でか、株価が大幅に下げている。

アフガニスタン、パキスタンを始め、イラク、イランでは不安定な政情が続いており、世界中で晴れている処が見出せられない。

飛行機に譬えれば、前方に大きな乱気流の塊を予見する状態を思わせるAntenna 昨今である。

世界恐慌?!!!

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