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対アメリカ考、衆議院選挙結果に寄せて

ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)はアメリカ第33代大統領である。

1884年5月8日にアメリカミズーリ州に生まれ。1901年高校を卒業後銀行員となる。

第一世界大戦に参戦、その間、士官に昇進、帰国して1919年にベス・ウオレスと結婚、娘、マーガレットを設ける。

トルーマンは政治家を志願して、最初の選挙戦で、クー・クラックス・クランの支援を得るため同団体に入党している。

トルーマン自身がユダヤ人の系統であることは、彼が最初に選んだ職業が繊維関係の仕事であり、戦友であったユダヤ人のエディー・ヤコブセンとチームを組み、共同経営者に選んだことでも判るが、近年発見されたトルーマンの日記には「ユダヤ人は実に利己的であるとの記述があるところからハッキリしたことは不明である。

いずれにしても、K.K.K.が反カソリックの組織であることから、しかも可成り過激な南部の暴力的な団体であることを知りながら入党したのならば少し身の処し方に慎重さが乏しいところがみうけられる。

この「結果よければすべて良し」の姿勢はトルーマンが終生変わらず貫き通した悪いところだったと筆者は観察する。

1945年2月にはヤルタ会談がルーズヴェルト、チャーチルとソ連邦の首脳スターリンとで行われたことは既に述べたが、当時ではアメリカもイギリスも共に如何に、日本を降伏させるかに真剣に頭を悩ませていた。

それで、苦肉の策としてドイツの降伏して後のある時期に、ソ連に、日本の背後から攻め込むことをスターリンに依頼することを会談の俎上に上げなければならなかったのである。

間もなくルーズヴェルトが4月に急死、トルーマンが自動的にアメリカ大統領にスライドすることになった。

太平洋の戦況は次第に日本不利に傾いていて、サイパン、硫黄島、沖縄らがアメリカの猛攻撃にさらされ、本土も、同年3月頃から、サイパン、中国本土の基地からB29爆撃機の無差別爆撃により、国民は勿論のこと天皇をはじめ戦争関係者にとっても敗北は目前と映っていたに違いない。

そこで、突然アメリカ側からイギリス、ソ連にポツダム会談の日程が提案されたのである。

この時点では、ドイツの敗北は決まり、ヨーロッパでは平和の到来が囁かれていた頃であったと思われる。

ルーヴェルトは1933年の経済大恐慌直後に第32代アメリカ大統領となり、その職を3期に亘って勤め上げた人物であった。

それに対し、トルーマン大統領はルーズヴェルトの任期満了寸前に(1945年4月12日)ルーズヴェルトの急死により突然職務を引き継いだばかりの大統領であった。

前例のなかった4選を果たしたルーズヴェルトが何故、高校卒のトルーマンを副大統領に指名したかは本人しかわからないことだが、ルーズヴェルト死亡により、第33代の大統領に就任したトルーマンには次期選挙までに82日間を残すのみだった。

丁度その頃、次期大統領の人選が一大問題であったことは明らかであり、これには、トルーマンの名前は候補者名簿にはなかったに違いない。

そこで、去る2月のヤルタ会談の議題として挙がっていたソ連の対日本開戦の時期問題はトルーマンとしては確定しなければならない、新大統領のファースト・プライオリティーと考えていた事項であったと筆者は思考する。

太平洋戦線にわが子達を送っているアメリカ人からは彼らの一日でも早い帰還を望む声が日を追って激しくなっていた頃でもあったと思われる。

ドイツのユダヤ人に対するゼノサイド的殺戮が次第に明らかになるにつれ、譬え、国際法に違反しても、味方の兵士の損害を少なくして、日本兵の自殺的行動の被害を避けて、能率的に勝利を勝ち取ることを優先的に考慮する気配がアメリカ国内の世論であったことは否めない事実であろう。

しかしながら、ポツダム会談を召集した時、彼の頭の中では①対日戦争の効率的終結②次期大統領選挙対策の両極端の問題が交錯していたのではないかと筆者は考える。

幸か不幸か、トルーマンとバーンズがポツダムに乗り込んで間もなく(会談中)ワシントンより「耳寄りなニュース」がトルーマンに聞こえてきたのである。

「新型爆弾試験成功」の一報がトルーマンのその後の人生を一変させたと言っても過言ではない。

新米の大統領としてポツダム会談に臨んで、トルーマンは他の二大巨頭を前にして、下手に、又、控えめにならざるを得なかった。トルーマンにとって、このニュースこそは「地獄に仏」と映ったに違いない。

この場合、経験を永く積んだ指導者ならば、前後の事情の判断こそが大切なのだが、嬉しさのあまりか、彼は得意げに、スターリンに原爆成功の事実を告げた。そのとき、スターリンは特に驚いた様子も見せなかったと伝えられている。

ここからが筆者の個人的なトルーマン考であるが、ポツダム会談の途中で「新型爆弾実験成功」と言うニュースを耳にして、先ず、彼は、近い将来の対日戦況の予想を再考築してみる必要があったのではないかと思う。 

この爆弾がどんな威力があり、大都会の上空から投下すれば如何なる結果が人類に及ぶか、また、それは人道上、或いは国際法によって赦されるべき範囲なのかどうか。

ヒットラーによるユダヤ人の集団虐殺によって多くの人命が消滅したが、その行為は一時的殺戮であって、後世まで生物学上問題を引きずらないものであった。(彼にはそんなことが判る筈もないことだが)

トルーマンを始めアメリカの科学者連中も原子爆弾による後遺症には無知であったかもしれないが、対日戦況打開に関しては、既にソ連の介入は不必要となったとトルーマンは考えられなかったのだろうか?

(戦後ソ連の介入により70万人以上の日本兵が武装解除の後、シベリヤに連行され、苦渋に満ちた「不必要な」人生を強いられたことも、トルーマンの“ソ連介入拒絶”の一言で避けられたことはこの場合論外。)

ポツダム宣言による無条件降伏の受け入れを天皇以下日本政府重臣の優柔不断な態度にて、恐らくは100万人程度の臣民を見殺しにしたことは事実。従って鈴木貫太郎首相の態度は永久に逃れられない重罪である。

しかしながら、第33代アメリカ大統領:ハリーS.トルーマンの罪は其れにも増して重いものである。

前述の通り、彼は終生“終わりよければ全て良し”の考えの人間であったと思う。

詳しくは言及しないが、ポツダム宣言の通達の仕方として:

トルーマンは天皇宛親書で、“アメリカが最近開発に成功した新型爆弾は、惟までの様な爆弾ではなく、一旦投下されたならば数十万人の人民に被害が及ぶのみでなく、貴国に対し計り知れない被害が及ぶことが判明している、従って、現在では連合軍側としてはこの爆弾の使用には反対論も多いほどである。しかしながら、アメリカ人民も上陸作戦を決行して、日本軍と白兵戦的消耗戦になることについては国民の賛同もえられ難い事情に苦しんでいる。

戦争の態勢は既に決まったに等しい折から、これ以上お互いの人員の消耗はさけるべきである。

従って、今後、一週間以内にこの降伏条件に賛同をいただければ天皇の尊厳保持を約束し、同時にわが方としても、この非人類的爆弾の使用を中止することを約束する。”

筆者は仲晃氏著「黙殺」を詳しく読ませていただいて、日米には互いに理解できない疑問点が多く、特に日本側には国際的常識では解釈できない“薄気味悪い”疑念が少なからずあったことは否定できない。

“トルーマンとバーンズの陰謀”のタイトルで書かれた、鳥居民氏著「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」(草思社、20056月)に書かれている内容を見ると、「原爆実験後」トルーマンの対日工作及び、発言内容に変化が目立つことが読み取れる。

ポツダム会談後、トルーマンは82日まで報道を差し控えることを命じた。(理由不明)

周知の通り、86日に広島に原爆が投下された。(即ち、ポツダム宣言発令後丁度10日目)たとえ彼が腹心のバーンズと慎重な相談をしたとしても、筆者はこれは配慮を怠った決断と言わざるを得ない。

現に、マーシャル元帥、アイゼンハウワー大将、グルー氏ほか多くの人達が(特に共和党)が真珠湾の仕返し的蛮行に猛反対したといわれている。

しかも、広島に次いで三日後、今度は長崎に原爆を投下して、天皇から直接の「降伏」の発言をもぎ取った。

これは、アメリカの行った最も卑劣な戦争行為であり、ドイツのユダヤに対する残虐行為の比ではない。

筆者のトルーマン考はそれだけでは留まらない。

繰り返しになるのでこれで終わるが、トルーマンが指導役として戦後、行った非行を挙げれば、それは19471129日、国連総会パレスティアン分割案を採択し、イスラエルがその地に建国されることとなった事件。

これが筆者の唱えるトルーマンの二度目の悪行である。

1945年、トルーマンは第33代大統領に正式に民主党からノミネートされた。

ポツダム会談後、トルーマンは二度日本に原爆を投下させて勝利を早め、同時に(数ヶ月だが)世界で唯一の核爆弾所有国となり国威を高めた。

1947年、彼は二期目の再選をめざして「イスラエル建国」に努力し多くのユダヤ人からの人望を得た。

ある記者がトルーマンに「何故あなたはそんなにユダヤの肩ばかり持つんですか?」

これに対するトルーマンの答えは「アラブに肩入れしてもユダヤほど“票”に繋がらないだろうが」、これは恐らくトルーマンの本心ではなかったか?

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