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愚かな大統領:トルーマン

Harry_trueman

第二次世界戦争終結から64年が過ぎ去った。即ち、終戦の年に生を受けた人たちが既に65歳の後期高齢者になろうとしているのである。

以前にもこのブログで書いたが、今更ながら我が国が戦争の末期において誠に重大な錯誤を犯したことは慙愧に耐えない。

敗戦が殆ど決定的になった頃、近衛文麿は、この戦争の始末について悩み続けていたことが判る。

その当時、(1945年前半)ソ連と日本は不可侵条約を結んでいたので、ソ連が進んで我が国に前触れもなく攻撃に出てくるとは思いたくなかった。

その辺が公家宰相の考えがナイーブなところであるが、しかし、こともあろうに、近衛は親書を特別の使者を通して、スターリン宛に送って、アメリカとの講和に関して仲立ちの役目をして欲しい旨打診した。(これは連合国の一笑にふされたと伝えられtいる)

ヤルタ会談(1945年2月)では、米英首脳がスターリンにドイツの降伏後、なるべう早い時期に日本に侵攻する要請をしたことは前にも述べた。

アメリカはその後、硫黄島、沖縄で日本と大激戦を交え多くの人的損害を受けることとなった

そこで米国は3月になり、日本本島に対し、マリアナ諸島と中国本土からB29爆撃機による無差別爆撃を開始、本土を焼け野原にして日本軍の戦意喪失を狙った。

7月になり、ドイツのポツダムに於いて戦争終結の手筈について再びアメリカ、イギリスとソ連の代表の三者会談がもたれたが、会談の途中で、新型爆弾の実験が成功したニュースがトルーマンの耳に届いた。

これも以前、このブログで述べたが、トルーマンは誇らしげに「原子爆弾」のことをスターリンとチャーチルに告げた。(そのとき、既にスターリンはソ連スパイによっ新型爆弾に就いて知らされていたのでさほど驚かなかったと言われている。)

ポツダム会談は1945年7月17日に始まって8月2日まで続いた。

ポツダム宣言は7月26日に宣言されたが、日本政府は残念にもこの「宣言」を黙殺する姿勢で臨んだのである。

スターリンは会談で初めてトルーマンに会ったとき、ソ連は8月15日に対日本参戦を実行すると約束したとトルーマンは自分の日記に書き留めている。

これは実に不思議としか言いあらわせられないのだが、ソ連が実際に対日参戦したのは8月6日であったことである。

これも以前にブログで述べたことだが、トルーマンは会議の最中に、この爆弾が使用可能になったこと、又、この爆弾の威力は充分に日本人の戦争継続の意思を砕くほどの威力のある新兵器だと知らされていた。

バーンズ国務長官はソ連嫌いで知られていた。バーンズはトルーマンも認めていたように外交、戦術に非常に非凡な才能があり、従って、ソ連の参戦にはネガティヴであったに違いない。

トルーマンはこのとき、“戦争の始末はアメリカの責任で行う”と、何故スターリンに発言できなかったのだろうか?

トルーマンは何故か、8月2日まで「爆弾」についての発表を差し控える命令をしていたことはトルーマンがホワイトハウス宛に書き送った私書に残っている。

ここでの“Dont release until 2nd August の意味は今でも謎であるが、普通に解釈すれば、これは報道陣に対する伝言としか取れない。

それはともかく、アメリカとしてはソ連参戦以前に原子爆弾を使う意思であったのではないか?

広島に原子爆弾が落とされたのが8月6日であったが、ソ連の参戦も同じ8月6日、このことはスターリンは約束を破って9日も早く日本に攻撃を開始したことになる。

8月6日の広島爆撃を予知していたとすれば、今更ながらソ連の防諜システムのすごさに驚かされる思いがする。

その後のわれ等が受けた惨劇については付け加える言葉は不要である。

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