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鹿鳴館時代の感覚から抜け出せない日本人

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衆議院選挙で民主党が大勝して久しぶりに政治が変わったと喜んでいたのだが、首相になったばかりの鳩山由紀夫氏が先日国連で演説をした。

しかも彼の母国語でなく“英語らしき言葉”での幼稚なものだったのでガッカリした。

国連では立派な同時通訳の設備があり、これを有効に使って自国にとって大切な主張を間違いなく世界に伝達できる仕組みになっているに関わらず、何故彼は敢えて無駄なことをしたのか、私には解せない。

フランスのサルコジ首相、中国の胡均等主席、ロシアのベノチェーエフ大統領も、このような大切な場所では決して英語の演説なんかはしない。

今回の鳩山氏の英語スピーチは単なる幼稚なスタンドプレー以外の何物でもない。

彼は国を代表して出席しているのであるから、それをしかっり勤めてもらはなければ国民は黙ってはいない。

以前には、細川首相も同じように英語を使って失笑を買っている。こんなことは外務省の先輩たちが前もってたしなめておかなければならないことではないのだろうか?

スピーチは流れる如く、ゆるぎなく流暢に、時々ユーモアーを交えながら聴衆を自分の側に引き込む要領でなされるべきで、これはオレター(orator)術のを学んだことの無い日本人には無理な相談と思って良い。

語学がうまいとか下手とかの問題ではなく、幼少より人前で「話す」訓練をさせない日本の教育のなせる結果だと思えるのだが。

残念ながら鳩山氏は多勢の政治家を前にして、只読むことに没頭した、連続単語のスピーチと思えた。

何故英語を使えば「良い」と思うのか?英語を話せば「上級日本人」になれると思っていたとしたら、彼は正に「鹿鳴館時代」を未だに引きずって、西洋物まね政治を目指しているようにしか見えない。

日露戦争の頃、日本には本当の演説が人前で出来る優れたオレターが数多くいた。

例えば、小村外相を影で助けてポーツマス会談での黒子役を演じた金子堅太郎男爵(1853~1942)、熊本生まれで同志社出身の家永豊吉(1862~1930)、イサム・ノグチの父、野口米次郎(1875~1947)、早稲田出身で、エール大学で歴史を専攻、第二次大戦前から日本に対米戦争の回避を唱えたが、受け入れられなかった、本当の世界人であった淺河貫一(1873~1948)、武士道の作者、新渡戸稲造(1862~1933)、茶の本の作者、岡倉覚三(天心、1863~1913)等々枚挙にいとまなしだが、これらの先覚は少なくとも今のスタンダードから考えてもかなりの英語の達人の部類に入る日本人だったと思う

筆者の望む政治家は、所謂国際人で、自分が日本人であろうと韓国人であろうとそんなことはどちらでも良い、少なくともどんな人達の前でも堂々と自分の思うことが自在に主張でき本当に国のお役になる人物である。

金子堅太郎も、日露戦争当時、アメリカでかなりの人気者になり、kともあろうに何百人の徴収を前に、ニューヨークのカーネギーホールで講演している。

岡倉覚三は彼があるときアメリカで、知らない人に“Are you Chinese or Japanese?”と聞かれた時、彼は“Are you a yankee or donkey or monkey?とやり返したと言う逸話が残っている。

つまり何人(オリジン)なんか問題ではない。問題は中身だという主張が出来る政治家の出現をのぞみたいものである。

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民主党に告ぐ!

民主党に告ぐ!

衆議院選挙で民主党が一党で過半数を取り、望めば「一党独裁」の政治力を持つこととなった。

民主党の政策方針を眺めていると、世界の気を集めるために奇抜な政策を発表している嫌いが目立つように思えてならない。

それが「対米政策」である。

世界の報道ぶりを眺めていると、民主党が自民党に比べて「左寄り政権」と見られているように映る。

何故、民主党が必要としない社民党と連立の姿勢を敢えて選んだのだろうか?

「日米安保」に密約があり、自民党はアメリカに核の持ち込みを赦していたと言うようなアメリカにとって面白くないメモリーを持ち出そうとしている。

選挙で公約をした、アフガン沖の給油の中止を宣言したり、社民党の気を取り持って「労働組合」や「日教組」が喜ぶような内向きの人気取りに励んでいるように映るのだが・・・・。

アメリカは既に以前より、日本が給油を中止するのなら、それでも良い。

それなら今後は日本の友情的協力には期待しないことを明言している。

昨日、アメリカ国務省は日本はアメリカより中国を選ぶのか?と今後の日本の外交姿勢を疑問視しているかのような発言をしている。

これは非情に危険なことであり、もし民主党が国内の左派の人気取りを優先している姿勢を見せれば、英米とユーロ諸国は日本に背を向けることになりはしないかと危惧を抱かざるを得ない。

この際、民主党の外に対する見え透いた“スタンドプレー”が最も心配である。

「平和憲法」は世界では通用しない既に古過ぎるローカルルールでしかないことを日本自身自覚すべき時が来ている。

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高速鉄道時代の再来

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鉄道時代の再来

本日(9//09)日経新聞によると、野村證券の調査では、政界鉄道市場での日本のシェアーは未だに9%程度、この劣勢を跳ね返すために国土交通省、東日本旅客鉄道などが官民が連携して世界に「新幹線技術」を売り込むべく努力中との記事を目にした。

日本は既に台湾に高速縦貫鉄道を完成させ、ベトナム、ブラジルでの事業受注獲得に努力中であると聞いている。

日経の記事によると、世界で現在、高速鉄道の敷設がそこいらで計画されていて、バスや飛行機に比べて輸送力が並外れて多く、乗客一人当たりの二酸化炭素排出量もガソリン自動車の九分の一と少なく、温暖化対策上もっとも期待の大きい輸送システムと成り得る有望事業であるとの説。

アメリカでもオバマ大統領の「グリーン・ニューディール」政策の一環として、既に去る4月、10路線の整備を発表済み。

カリフォルニアでは2012年着工計画のカリフォルニア高速鉄道だけで総工費3兆円超の巨大事業と成るはずである。

新興国で人口1000万人を越える大都市においては、高速鉄道システムは将来の必須条件と考えられるほどである。

その典型的な新興国家が中共で、03年に再考時速430キロのリニア・モーターカーの営業運転を始めている。

中国はさらに、20年までに16000キロ以上の高速鉄道網を計画していると聞く。

最近の耳寄りなニュースと言えば、イギリスでの高速鉄道に関する優先交渉権を日立製作所が取り付けたこと。(2/14‘09)

失業率上昇と景気後退に苦しむイギリスで、約一兆円の都市間高速鉄道車両の製造・保守事業に関する優先交渉権を日立が取得したことで一部メディヤや反対派から怒りの声が起こっているらしい。

日立製作所は英大手ゼネコンのJohn Laing、及び英バークレイズ・グループ(Barclays)と共同で、英運輸省から都市間高速鉄道車両の製造・保守事業に関する優先交渉権を獲得済みである。

今後は共同出資会社のAgility TrainsLondonGreat Western Main LineEast Coast Maine Line間に「超高速列車」を供給することが決まっていると言うことで、この入札に外れたカナダ、独、英によるグループ企業から不満の声が上がっているらしい。

「英国人労働者のためのイギリスの雇用」が失われたことで,Fury as Japan gets our jobsと言う見出しが報道された。

言うまでもなく、イギリスは産業革命直後から鉄道事業の生みの親とまで言われた国柄、しかし、日本の所謂「新幹線事業」は正確さと安全面においては世界的優等生のレッテルを得ている。

高速になればなるほど安全運行が何よりも優先と思われることは必至。

従って、今後、この「蘇った大産業・高速鉄道事業」の成り行きは飛行機産業、自動車産業をはるかに上回る世界的な大産業となり、これをめぐって、日本と欧州勢が火花を散らす時代がさほど遠くない将来に必ず訪れると思っているのは筆者だけではないと考える。

イギリスと同じくアメリカも鉄道事業に関しては永い伝統を持っている国で、その鉄道路線の総延長ではカナダ同様世界で一二を競う国柄である。

従って、例え、部分的にせよ鉄道施工の受注となれば殆どの場合「一大事業」に繋がる可能性大である。

アメリカ及び欧州連合間にはRAMS規格というものがあるらしく、未加入の日本も将来は彼らと同じ「ゲージ」の上でビジネスをしなければならない。

RAMS規格とはRailway Specificationsreliability(R),信頼性、Availability(A)実現性、Maintainability(M),持続性、and Safety(S)安全性と略称である。

これに関しては日本は既に優等生の資格を持っているといえる。

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記録破りの女性パイロット

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アメリア・エアハート(Amelia Earhart)は世界で最初の女性パイロットとして地球一周を試みた。

193772日、南太平洋ニューギニアのラエ島を愛機、ロッキード・“エレクトラ”をかって飛び立った。

彼女の愛機は長旅に備えて1000ガロンを越える燃料を積んでいた。飛行機の重さで、彼女の飛行機は飛行場の最終地点でようやく飛び立っことが出来た。

それは、チャールス・リンドバーグがスピリット・オブ・セントルイスで大西洋単独飛行に成功した丁度10年後のことであった。

彼女の飛行機は双発の立派なもので、リンドバーグの使った一人乗りのものとは比較にもならない立派なものであった。

エアハルトと幅操縦士:フレッド・ヌーナンはそのとき、2556マイル先のハウランド島(Howland Island)を目指していた。これは今まで彼女の試みた中で最長のフライトであった。

アメリアは女性による最初の世界一周飛行を目指していたことは勿論だったが、同時に彼女の試みたのは、地球の最長距離(外周)を飛ぶことでもあった。

アメリアはその時、既に女性初の大西洋単独飛行も達成していたが、彼女の最後となる「世界一周飛行」に際して彼女はリポーターに“人類初となるであろう、この29000マイル飛行を達成した後はおとなしく田舎暮らしをしたい”と述べていた。

しかし、残念にも彼女は、この日の早朝、ラエ島を飛び立って以後二度と帰らぬ人となったのである。

人間の記録に挑む欲望は何故おこるのだろうか?登山家は、そこに山が聳え立っているから登ると言うが、それで天に昇ってしまってはむなしい結果に終わってしまう。

アメリアの場合も同じ結果になったと言える。

アメリア・マリー・エアハルト(Amelia Mary Earhart)は1897年7月24日、カンサス州アチソンで生まれた。彼女には2歳半下の妹、ミュリエルがいたが二人とも裕福で町の著名人であった、祖父のアルフレッド・オーティスに育てられた。

アメリアは活発な可愛い女の子で、小さいときからおてんばでヤンチャな性質の持ち主であった。

アメリアは第一次大戦中カナダに移り住んで、トロントの陸軍病院で働いた。そこで彼女の見た光景は不幸にも戦地で負傷して、手足をなくした多くの若い兵士たちであった。

1920年頃彼女はカリフォルニアの両親を訪ね、ロング・ビーチのエアーショーを父と見物に訪れた。そこで彼女は初めて空を自由に飛びまわる飛行機に興味を持つようになった。

時を移さず、彼女その翌日、ゴグルとヘルメットをかぶって双発の飛行機のパイロットの後部座席に座っていた。それはたったの10分間のロス・アンゼルス上空の観光飛行であった。

地上に降り立ったそのときから私は飛ぶのだ“と心に決めたと彼女は後日語っている。

アメリアはロング・ビーチの近くに女性の飛行機インストラクター、アニタを訪ね、レッスンをはじめることとなった。

マメリアは時を移さず、Kinnerタイプの小型飛行機を購入、それに“カナリア”と命名した・ 何回も事故にあいながらも彼女は女性としての当時のレコード「上空14000フィート」の記録を打ち立てた。

1925年、彼女はボストンで、女性のための飛行クラブを作ったり、新聞に論文を発表、一躍有名女性パイロットとして名を馳せる存在となった。 

1926年4月27日彼女は或る薦めによって最初の大西洋単独横断飛行を決心したのであった。

それはリンドバーグの大西洋単独飛行成功の一年前であった。-アメリアの大西洋横断飛行は結局1928年に成就された。-

アメリカ人は全く我々の想像以上に「センセーション的行動」を褒め称え、人間の力の限界に挑戦した人物を英雄視する傾向があると思う。

これは「ノーベル賞」を受ける栄誉とは少しばかり趣が違っているが、「人間業の極致」に特殊な憧れをもち、その様な偉業を成し遂げた特異人に惜しみなく拍手を贈る、うらやましい性質を持った人種と筆者には映る。

鈴木「イチロー」が間もなく日本人として最初のアメリカン・ヒーローとなる日が刻々と近ずいているのではないかと、今から心が踊っている。

老人の筆者は来週からアラスカにある北半球では最高峰と言われるマッキンレー山(6750メートル)を訪れることになっている。しかしこれには「記録」の意識はない。

イエローストーン国立公園に次ぐ2番目に大きいマッキンレー国立公園(略、静岡県の大きさ)でグリスリーの姿を見ることを夢みている。

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今後の日本外交

新生「民主党」への提言

丁度今から100年前にアメリカのカリフォルニア州で起こった「移民反対運動」を思い浮かべるべきである。

この運動、アメリカで突然と起こった反日本人運動は偶然のハプニングでないことを我々は知るべきである。

“NATIVISM”とは何を意味するか?

これは単なる反外国人思想ではないことを考えて欲しいと思う。

これはアメリカ特有の思想であり、筆者はかねてより日本ではあえて省みられなかったアメリカ観ではなかっただろうかと思っている。

戦後、吉田茂総理時代では“アメリカの歴史”を、“アメリカ人の心理”を、深くのぞき見る余裕とてなかった時代であった。

その後、朝鮮戦争(1950)、景気の復興、所得倍増、イザナギ景気。

我々は日本だけが努力をして今の経済大国を築き上げたと思い込んでいる気配があるように思える。

アメリカは現在、未だ味わったことのない苦境に立たされている。

世界1のアメリカのシンボル的企業「GM」が倒産の憂き目にあった現在、アメリカ人はこれをアメリカが単独で起こした失策とは思っていないと想像する。

アメリカ自動車産業を存亡の危機に追い込んだのは「日本」のせいだと信じて疑わないアメリカ人もいることを忘れてはならない。

日露戦争でアジアの片隅の小国、日本が世界一の大国、ロシアを苦しめ、敗北に追い込んだことはアメリカにとっても一大ショックであったに違いない。

その後に起こったことは誰でも知っている通り、僅か40年の後、日本は白人国家、アメリカとヨーロッパの連合軍に無条件降伏をした。

これは何故おこったのか? わが日本が世界情勢を勉強しなかったからである。

相手(敵)を知ることを忘れてはならない。

民主党はこのたび、永年の悲願を達成して日本政治の実権を握ったが、今こそが民主党にとって最も大切な時期であると筆者は見ている。

GMがトヨタと合弁で造った、“カリフォルニア”のシンボル的工場を存続させることが出来なくなり、多くの失業者が出ることが決定的になる前に、日本の代表的企業「トヨタ」がこの由緒ある「NUMMI」工場を政府の援助を仰いででも存続させ、100年前に当地、カリフォルニアで起こった悲劇(移民拒否)を“恩返し”として労働者救済に手を差し伸べる気概を示す絶好のチャンスとみて「新生民主党」の對アメリカ外交の初仕事にして欲しい。

アメリカは日本を決して”イーコール・パートナー”とは認識していないことを忘れてはならない。

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