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ハイチ地震に思う

世界中の白人国家があえて語ろうとしないハイチと云う国家の過去は正に惨たらしく血だらけのものである。それはカリブ海にあり、アメリカの南端フロリダ半島から南東へ約1000キロ、-飛行機で1時間45分、キューバの東80キロに位置し、ジャマイカとプエルトロリコの中間に位置する島国家である。

中学校の教科書ではコロンブスが1492年12月6日にここに初めて到着して、イスパニオラと命名したところである。

現在では島の西側三分の一がハイチ共和国であり、東側(2/3)を占めている部分がドミニカ共和国である。

ハイチは最初サン=ドマングの名で知られるフランスの植民地であったが、1804年1月1日宗主国、フランスから独立。中南米で最初に独立を勝ち取った元黒人奴隷国である。

フランス革命後、ナポレオンが第一統領の地位を固め、アメリカ大陸侵略の手始めとして、大軍をサントドマングに派遣、占領を試みたが、ブラック・ナポレオンの異名を持つ、元奴隷、トウサン・ルベルチュールが総指揮をとる住民の前に惨敗、兵を収めざるを得なかった。

ナポレオンの新世界進出の夢は潰え去り、アメリカはそのお陰で領土の保全に成功した。

当時のジェファーソン大統領はジェームス・モンロー、ロバート・リヴィングストンを使節としてフランスに派遣、心変わりしたナポレオンから現在のアメリカ合衆国の約1/3の広大なる“ルイジアナ・テリトリー”の買収で、ミッシッシッピーよりロッキー山脈、さらには太平洋に及ぶ領土を自国に取り入れた。

イスパニオラ島はコーヒー、サトウキビで近世までヨーロッパ諸国やイギリスにとって捨てがたい植民地であった。

特にフランスにとってはサンドマングをアメリカの未開の荒野よりも重視、黒人奴隷の労働力を利用して自国の繁栄を図ってきたが、この島を喪失したことで、フランスは大西洋から姿を消すことになった。

当時のアメリカが最も恐れたことは、ハイチでの黒人革命が本土に波及することであった。

奴隷解放の問題を直接の契機として、アメリカではそれから半世紀も経ずして南北戦争が勃発、その丁度1世紀後には、アメリカはスペインに宣戦し、キューバ、プエルトリコ、グアム、フィリッピンを奪取、ハワイ諸島を融合の後、パナマ運河を完成させて、大西洋と太平洋の制海権取得を完成させた。

アメリカが太平洋をはさんで日本を仮想敵国と見立て、世に云う“オレンジ作戦”を企画したのは、日本が日露戦争の勝利に酔いしれていた頃の事であった。(1905~10年)

近世の西半球における人種問題の火種となったハイチが今、一大危機を迎えている。云わずと知れた「大地震」である。

アメリカを除いて、中南米で最初の独立国となったハイチであるが、面積は27,750平方キロ、人口、約867万人、その約4分の1が首都ポルトプランスに住んでいると云われている。

「ハイチ」と云う国名はこの地の先住民(既に滅亡)のアラワク族の言語に由来し、「山の多い土地」の意味らしいが、昔は緑豊かな山々が連なっていたらしいが、最近では森の乱伐で禿山が目立ち地肌が露出していると云う

国民一人当たりのGNPはわずか$250、購買力は年当たり$910、平均寿命60歳以下、15歳以上の非識字率53%。人口千人当たりにラジオ47台、テレビ5台。

日本への年間輸出額6000万円に対し輸入額は24億円。8割の子供が栄養失調、失業率に至っては70%超で不断でさえ適切な衛生状態や安全な飲料水が乏しいと云う誠にみじめな国土(カリブからの問い、ハイチ革命と近代世界、浜忠雄著参照)であったところに淡路、阪神大地震を上回る規模の地震が発生したのであるから、想像しただけでも“この世の末”を想起させるような状態になっているのではないだろうか?

既に地震発生から80時間以上も経過してしまっている現状はいかがかと憂慮に堪えない。

現地の平均気温が30度と云う事だから、現在では絶望的な状態にあるのではと思える。

地理的に見て、ハイチの救済は新たなアメリカの思い負担となりかねない。

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