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北朝鮮革命はあるか?

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昨年末のデノミネーションの決行で、富裕層がこれまで汗して貯めこんでいたトラの子預金がなくなってしまった。

デノミの実施で対外貨交換が不利となり、ますます北鮮の外貨準備が底割れ状態となっている。

それ以後、住民らの不満は高まり、偶発的ながら各所で抵抗運動が始まっているとの事。(月刊新聞前編集長趙甲済氏)

この貨幣改革の失敗で関係者の処刑も行われたらしい。

いろんな処で食糧を積んだ貨車が襲撃を受け、これを取り締まる警察と摩擦がおきている。

今や人々は恐れず、金総書記を尊称もつけず、呼び捨てにしているとか。(産経新聞3月23日)

脱北を企てた者を銃殺するなど、弾圧を強化しているが、今回に限れば騒動は収まる気配が見られない。

過去10年続いた韓国の対北「太陽政策」も李明博政権発足で、ほぼ途絶えているので政権維持に必要な外貨流入が今では無に等しい。

この苦境を脱出するには、中国式の改革開放(文化大革命方式)だけが最後の生きる道との考えが政権内に生まれている。ニュース源は不明だが、金総書記は、1989年12月処刑されたルーマニアの独裁者チャウシェスクのビデオを幹部らに見せて、「我々が中国式に向かえば、こうなると脅したと伝えられている。(同上、産経新聞)

この時、チャウシェスク夫妻は飛行機で脱出を図るが、捉えられ、簡単な裁判の後、処刑された。

北朝鮮の場合、締め付けがきついので、金正日が軍を味方につけている限り、ルーマニアの様にはならないにしても、金総書記が頼りにしている軍隊自身が飢餓に苦しんでいるとの情報もあるので予断はゆるされない。

今回の事件の背景には“携帯電話”の存在がある。韓国内に住んでいる脱北者は北からの情報をこの電話で得て、それを他の方向に流して連絡をたもっているとのこと。携帯電話は簡便な無線機で最も手軽な諜報伝達機械である。

東欧の暴動の際も物価の暴騰が共産党衰退の引き金になったのと同じく、デノミによるハイパー・インフレに苦しむ北朝鮮の住民らも生きるためにデモを試みる可能性は高い。

1990年代以降に生まれた“市場”が彼らを目覚めさせたと云われている。

市場での売買手段を身に付けた住民たちは、今や政府の配給なしに生きてゆく方法を学び、金総書記と対決する覚悟の状態にあるのでは?

筆者の感想では、生かすも殺すも、これは中国共産党の考えで決まると考える。

その理由は、ここまで疲弊して、人心も乱れ、無政府状態の一歩手前まで来ている北朝鮮を抹殺するには“刃物もいらない”。

もし、北で暴動が起こり、人々が韓国内になだれ込んだとしたら中国は軍事介入出来なくなるのではないだろうか?

地理的に見て、北朝鮮の価値は、アメリカにもロシアにとっても捨てがたいのではないか?

現在の時点では六カ国協定に連座している各国とも中国の調定に期待している処が多いからである

韓国は北の人民蜂起を望んでいると思える。その理由は“朝鮮半島の統一”と云う長年の朝鮮民族悲願の成就に繋がる大義名分があるからである。

従って筆者は今こそ、中国の動きを監視することが大切と思っている。

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老舗の変遷

家系に流れる進取の気性として褒めるべきなのかどうか判らないが、筆者は、水戸の老舗「伊勢甚」が日経の“200年企業”-成長と持続の条件―(2010・030・24)に注目、感想を述べることとした。

日経記事によると、享保9年(1724)、水戸の呉服商に奉公していた初代、甚介がのれん分けで独立、「伊勢屋」を創業、明治期から昭和と、そのまま営業を継続していた。

現社長(綿引甚介)の父、綿引敬之輔氏が家業の呉服商を百貨店としたのが1957年、その6年後の1963年にスーパーを併設する大変換を図った。

敬之輔氏が終戦後12年目の1957年に呉服商の将来性に疑いを持ったとも考えられるが、伝統ある老舗「伊勢甚」の暖簾に別れを告げて、百貨店に衣替えした事には何らかの重大な事情在りと思わざるを得ない。

彼はその6年後にスーパーを目指して再度の飛躍を試みている。

伊勢甚にとって昭和初期の大恐慌(1929年)は事業変革を迫る契機となったらしい。

伊勢甚は事業の多角化を目指して店舗を洋風に立て替えて、洋品雑貨部をスタートさせている。(約80年前)その時にはくじ引き券を発行、当選者には自家製の石鹸を贈呈するサービスをしている。筆者はこの辺にも綿引家に流れる進取の気性の性質を感じずにはえられない気がする。

現社長の父、敬之輔氏が如何なる度量の持ち主であったかはこの新聞記事からは不明だが、機を見るに敏と云うか、一旦これと決めたことを即決、断行するような勇気のある経営者ではなかったと想像する。    

水戸藩の御用商人だった伊勢甚は明治の頃までは呉服と「太物」と呼ばれた綿織物、麻織物を取り扱い経営は順調だったと云われている。

従って伊勢甚にとっての問題は戦後、水戸のような地方都市にも次第に生活様式が和風から洋風に姿を変えてゆくごく初期に敬之輔氏が家業の将来をどのように考えたかであった。

「伊勢甚百貨店」を水戸、日立、勝田市の3か所にて開業、「スーパー・ジンマート」は北関東中心に40か所出店して、転業後17年にして総年商600億円に達していたらしい。

大凡の人ならこれで事足りたとして保身にまわるのだが、筆者はここからが敬之輔氏の“真骨頂”であったと考える次第。

即ち、彼はすべての事業を一括、店舗、不動産を伊勢甚所有のまま、スーパーの大手、ジャスコ(現在のイオン)に営業譲渡した。(1977年)

それからの伊勢甚の収入は店舗賃貸料と13年前に始めた結婚式場1か所の売上、合計40~50億円の約10分の1に激減した。

しかし「伊勢甚百貨店」+「スーパー・ジンマート」の年商500億はネットの数字ではなく、むしろ幻の数字に近いのに対して、毎月の家賃収入はネットであるのでこれは比較の対象とはならない。

その頃(1977年)は新興の大手流通業が急速に台頭していた。

スーパー・ダイエーが東証一部上場して三越の売上を抜いたのが1972~73年、イトーヨーカ堂(現セブン・イレブン)もその翌年、73年に一部上場を果たし有名百貨店の脅威になり出した。

資本力のあるこれらの大手が力をつけ出したこの頃既に敬之輔氏は今後の地場の流通業の運命は決して明るいものでない事を嗅ぎつけたとすれば誠に機を見るに敏と云わざるを得ない。

その頃、高校~大学の過程にあった甚介現社長は「巨人に小人が立ち向かっても勝てるわけがない」と父から聞かされたと述べている。敬之輔氏からは又、「苦境に落ちてから事業の撤収を考えるより会社の体力が残っているうちに買手を見つけるべき」と云うような人生哲学を聞かされたとも言っている。

全日本が不動産バブルに突入した頃、既に敬之輔氏は事業の変身を決めている。これは株の達人が株価最高の頃に売り抜ける手口に似ている。

売上高だけを自慢の種にしている経営者が多い中、敬之輔氏は名声より質を取った優れた経営者と云わなければならない。

その後、この会社の経営は実弟の昭好氏(現相談役)に引き継がれ、2004年に甚介が社長に就任して現在にいたっているそうである。

甚介氏は1983年に茨城県最大規模の「水戸プラザホテル」を開業するほか結婚式場の経営に力を注ぎ、今では県内に最大手の結婚事業を展開し、水戸市内では総合病院も経営している。(2010年3月期年商見込み90億円)

周知のごとく現在では百貨店業、スーパー業ともカっての繁栄は幻のように消え去り、その姿何処にもない。

事業の栄枯盛衰は繰り返し、今日の繁栄は明日にはないと思っていてもよい。

デフレは限りなく小売業に厳しく、誰もが厳しい覚悟がなければ生きてゆけない状態である。

 その中にあって、伊勢甚は呉服商から昭和初期に洋品類、食糧品から百貨店、スーパー業、それから最近では、ホテル業から結婚式場業に移り今では総合病院の経営も手掛けると云う誠に忙しい会社であるが、戦後の日本産業の縮図を見たような気持である。

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異文明の考証

昨年の鳩山・オバマ会談で、首相に就任したばかりの鳩山氏が相手に沖縄米軍基地移転の問題で“trust meとはっきりと英語で云ったことが今になって問題視されている。

責任のある政治家の発言は慎重でなけらばならないことは当然だが、特に英語での発言にスピーカーがアメリカの常識や習慣を踏まえてのものでなければならない。

筆者は政治家でもないので気楽だが、我々は今後、英語を交えて商談をする場合でも彼我の文化や習慣の違いをもっと克明に意識してなければならないと思っている次第である。

日本での西洋と日本の生活感覚の違いは意外や基本的な処から考える必要があることに気づいたので忌憚のない意見を述べることとした。

それは、家庭、社会組織としての会社、男女関係に対する感覚に顕著に表れている。即ち、男女関係で述べれば、boyfriendgirlfriend、或いはfamilyに関する感覚、companyと職場(office)の定義の違いとである。

それにもう一つhospitalclinicに対する定義にも違いがある。

Do you have a family?と訊ねられた場合、貴方はどのように答えるか?

独身の場合:No, I dont. I am a bachelor.と答えれば西洋の感覚で正しい。

私にも経験があるので特記したことは、もし独身で両親や親族と同居している場合の日本的感覚ではファミリーと混同してしまってYes. I do.と云ってしまう。

これが失敗で、相手は恐らく貴方が妻帯者か既婚と思てしまう。

特に女性→男性の質問では、あからさまに“Are you married?とは云えないので湾曲に訊ねている場合がある。

この辺は女性特有の繊細な気配りがそのような発言となる。

成年前の男女で、日本では両親や祖父母と住んでいても家族(family)と見なしてしまう。

従ってこの場合はNo, Im a bachelor but I live with my parent.と云えば間違いなく貴方の家庭環境を相手に伝達できる。

子供が三人でそれに夫の両親が同居の場合では、There are five in my family and my spouses parent live with us.(合計7人) ”家族は5人ですが、主人の両親も一緒に暮らしています“が正しい。

日本にあっては気軽に未婚の二人に対して「カップル」と云う言葉を使うが西洋感覚でカップルは立派な夫婦に近い関係である。

だから、”似合いのカプル“と云う表現もそれを念頭に置いて考えるべきと思う。(西洋人に対してのみ)。

boyfriendgirlfriendは法律上の関係ではないので、ただの異性の友達から関係のもっと深いloversの間柄までいろいろと考えるのが正しいのではないか。

職場に関する定義はとかく混同されているので整理しておかなければならない。働く人間にとって忘れてはならない職場を日本では「会社」と云うがアメリカでは「office」と表現する。

特にcompany(会社)は平常の会話には滅多に表れない。

Companyは法律用語で、group of people, number of individuals  assembled togetherの名称で仕事場を指さない。

従って、officeまたはthe place I work、でちなみに、office を辞書で引くと”place where business is doneと説明されている。

また、病院に行くと云う表現は“I go to see my(medical)doctorで入院以外では決してI go to hospitalとは云わないことに注意。outpatientは外来患者、physicians officeは日本で云う一般の開業医、clinicはそれの少し大型の診療所を指す。

Out paitient に対して入院患者はinpatientである。

ちなみに筆者は病人(patient)は辛抱強く(patience)でなければならないと思う、特に入院患者はimpatientにならない方がよいと思っている。

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再び「長江ダム」

中国南部で異常高温が続いている。

雲南省では気温が冬の2月に摂氏30度になったとか、昨年5月の上海では、過去136年で最も早い夏入りを宣言、我が国でも九州、山陰地方に異例の秋の黄砂の観測が発表されている。

黄砂の嵐で中国新疆地区は昨年3月に431億円の損害があったと発表。

アメリカの新聞も今年の3月、中国が100年に一度と云う大干ばつに見舞われていると伝えている。

又、ベトナム北部を流れる紅河の水位が1902年来の渇水で、68センチまで低下、加えて昨年9月よりの渇水で森林火災も多発して、今や中国だけにとどまらずベトナム、ラオスにも影響が及んでいるという

ベトナム南部のメコン河流域は伝統的な穀倉地帯であるが、その周辺の河川の水位も過去20年間で最低となり水が逆流して深刻な塩害を引き起こしている。この周辺の河川の大半はチベットを源流とし、雲南省、ミャンマー、ラオスタイ、カンボジア、ベトナム等が長くその水利を受けてきた。

ところが、中国は戦後メコン上流に計8基のダムを作ったのでこれら下流に影響が出た。

中国がこれらのダムから放流すれば水不足は解決するが、中国も深刻な水不足なのでそれも出来ず今回の悲劇となった。

ベトナム北部では今月末にも降雨が期待されるが、その他の地域では8月頃まで期待薄との情報もあり、もし予想通りならばこれらの穀倉地域に壊滅的被害が出る可能性があるらしい。

中国だけの被害予想でも2600万人に影響があり、1200万人以上が水飢饉に見舞われるらしいが、中国政府は依然としてこの現象を「地球温暖化」を被害の理由とし、長江ダムがその遠因であることを否定している。

最近、中国雲南省、昆明市の郊外の密林が強風の中で火災が発生(2010・02・10)2日間も燃え続けた。

2月だと云うのに海南島では夏入り宣言(02/04‘10)、首都北京でも去る2月に摂氏16度を記録、これは167年来の記録と云う。

昨日(03/17’10)の中国新聞の報道では、南部の水不足は次第に深刻さを増し、四川省のある町では昨年10月上旬から現在までに10万人の住民と家畜10万匹が死に絶え、その上飲み水不足で、今では住民が河底にたまった臭気のする水で飢えをしのいでいるとのこと。江西省では人工降雨のロケット発射を試みて干ばつをやや緩和したらしいが、この現象が今では中国の15省区に拡大していることを認めている。(02・25・10)。

我が国は太古の昔から海を挟んで中国大陸の東方に位置し、偏西風を受け続けてきた。“暖かい春風の源”程度にしか思っていなかった中国の存在が俄然一変して、今では“公害の源”として意識せざるを得なくなった。

中国はアメリカと並んで石炭の豊富な国であり発電のほとんどを石炭燃料に頼っている。中国の奥地では今でも各所に露出した石炭が燃え続けているという話も聞く。

従って、偏西風に乗って春には黄砂と共に汚染された煙も絶えることなく流れてきていると思わざるを得ない。

中国の歴史は揚子江と黄河の氾濫の歴史でもあった。それが孫文の頃より揚子江にダムを造って「治水」を試みることを考え始めたと云われている。

それが「長江ダム」である。

これは今になって為政者たちが失敗であると知りつつ引きずっているプロジェクトなのである。(共産主義国家では失敗はあってはならない)

中国政府の発表によると今回の干ばつの被害総額は100億元(1320億円)とのことである。

タイのメディアは「中国がメコン河上流に造ったダムが異常渇水の原因」と中国を非難しているが、これに対し、タイ駐在中国大使館は去る11日記者会見でこの報道を正式に否定している。

しかし、上流で渇水がおこれば下流ではもっと困ったことになることは判り切った事象と考えなのだろうか?

筆者は昨年より度々「長江ダム」が早かれ遅かれ大問題を引き起こすのではないかと考えていたのだが、これがこんなに早く国際問題化するとまでは考えなかった。

長江ダムは工事開始当時からいろいろと批判されてきたが、ここにきて愈々、不吉な予感がたち始め、将来にわたって益々不安の種は尽きない。

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英語後進国は願い下げ

私の周りにも“自分は英語は苦手でね”と言って、あたかも自慢しているように言い捨てる友達が沢山いる。

なにもそんなことは自慢にならない!

英語は今や世界の標準語、それがわからなければ、今後、「首がないに近い」人間になってしまう事を恐れるべきと思うのだが。

日本の外交下手は多くの場合「語学力」にあることは明らか。

東南アジアの比較的文明後発国の人達は自分たちが将来出世して身を立てて行こうとすれば、先ず英語力をつけることから考えるのが普通。

それは何故か? フランス語、ドイツ語でも近代科学や法律、経済を学べるが、何といっても、20世紀以後では英語で出版された研究資料が圧倒的に多いのと、英語人口が他の言葉に比較して数が多いからだと思う。

それでは何故日本人が英語や外国語を学ぼうとしないかと言えば、明治以来、多くの西洋文明の源が既に日本語に翻訳され、出版され、誰でも手に入れることが出来るから、わざわざ原書を紐どいて学ぶことが少ないからだと私は思っている。

それに加えて、昔から“沈黙は金”と言う下らない標語を教え込まれて、黙っているほうが人間は奥が深い素質と信じこんでいる古い型の人口が大勢をしめているのではないか?

“発言しなければその人が何を考えているのか判らない”と考えるのが西洋的思想であり、表現力のうまい人程、尊敬され、歓迎されることを我々は知るべきではないかと考える。

永い鎖国の時代に外から入ってくる人間を“南蛮”とののしり付き合おうとしなかったのも悪いが、子供の頃から人の前でシャベルことを教育しなかった文部省にも責任がある。

他の国では、自己表現の必要性を教えるが、日本では人前で手を上げてこぞって話をすることが奨励されず、かえって何も言わないほうが奥ゆかしい人間と思われがちな、西洋人から言えばSHYな人間が我が国には多いのも英語力の未発達を助長した原因であったと思う。

IDIOMといえば“平用語”、英語を母国語とする国にあっては普段学校では教えないものだが、異国人のとっては、これは必須である。

英語圏の国ではIDIOM(イディオム)は教える必要もない、いわば「普段語」であるから、敢えて教えることもないものである。

しかし、我が国で「英会話」を学ぶときに一番大切なのは、このイディオムが大半を占める。

イディオムと同じく覚える必要があるのが動詞、名詞等を修飾する「前置詞」。

逆に言えば、これらイディオムと前置詞それに簡単な「諺」を覚えていると自分の英語力に自信が出来る。

さらに、付け加えれば、イントネーションと適当なアクセントの発音であろう。

これが不適切であると語学ができても自分の意思が相手に伝わらないと言うことになる。

特にアクセントを何処に置くかで意味が違ってくる単語が多いことに注意。

あれや、これやで外国語を本当に身につけることは至難の業だと思うのだが、かっての宮沢総理が英語通と言われながらあの程度なのだからあまり気にしなくても良い。

明治時代では金子堅太郎男爵というアメリカ通の人物がいて、日露戦争の最中にアメリカを駆け回って盛んに日本を売り込んだ。ハーバード大学で当時の大統領、テェオドア・ルーズヴェルトと同級であった関係で一躍有名になり、かの有名なカーネギー・ホールに何百人を前に演説をした人でもあった。

その録音は残っていないので、金子氏の英語がどんなものであったかはわかる術もないが、それから100年も経過しても、そんな事の出来る日本の政治家は出現していないことは残念至極である。

これは、日本人のもって生まれた性質でもあるのだが、押しなべて、付き合い=社交性に欠けることは確かである。

料亭やお茶屋社交が一般で、友人や知り合いを家庭にてもてなすことの少ない日本人の生活パターンは万国共通ではない。

しかしながら、これからの若者は昔人間よりずっと前向きなところがあり、進取な気性さえあれば次第に外国語下手もなくなるのではないかと希望したい。

「思い立ったが吉日」と思い、手の届く中学生英語の基礎にもどって学びなをすことに励みたいと思う次第。

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誰も止められない中国

アメリカと中国はそれぞれの国家基盤において共通の公約数を持ち合わせない為どんなことをしてもシックリと行かない。

アメイカがソ連邦に気を取られている間に中国は大国としての基盤を確固たるものにしてしまった。

自由圏でのどの国家をとっても一つの法律を作るには時間がかかるが、一党独裁国家の中国では邪魔が入る余地もなく政府の思う通りに法律が制定される。

これが何時まで続くかは別として、現在では何の支障もなく国家は走行している。

貧困時代を抜け出た中国は、外貨準備も潤沢となり最近では世界中で投資を始めている。

ミャンマーは手なずけられた子分のような国で、中国は既にこの国を縦断する道路建設に既に着手してインド洋から本国、昆明までいかなる資源でも取り込める体制を打ち立てた。

インド洋を真珠の首輪のように、あまたの小島を利用して軍事基地として情報網を張り巡らしている。

アフリカでは既に強硬に資源外交を推し進め、アフリカの資源を鉄道、橋梁などのインフラ建設に変えている事を強調、中国が将来アフリカにとって最も信頼できる友好的な国であることを訴え、それが今まで白人国家に騙され続けてきた国々に共鳴を生んでいるところも窺われる。

我が国が尖閣諸島や竹島のような局地的問題の解決にも手をやいている間に、中国は世界中の大国を相手に旋風を巻き起こしている様を目のあたりして日本国の為政者は何を思うのか?

今更ながら、100年前の両国の置かれていた立場を顧みる時、なんとも昔日の感にかられるのは筆者のみではないはずだが。

今や日本国は動きが取れない国になってしまった。米軍の軍事基地の移転にも住民からの突き上げ(意図的)と日米協定の板挟みで自主決定さえできない哀れな国である。

中国は今回ヨーロッパを飛び越えて「アイスランド」に向かっているようである。

最近のアイスランドは世界的な金融危機の直撃で破産に直面した銀行3行を国有化(負債総額は国内総生産(GDP)の10倍)英国、オランダの預金者保護の為の条例制定の国民投票が否決され窮地にたっている同政府に接近を試みている中国が自由貿易協定(FTA)の交渉を始めた。

人口わずか30万人の国に中国の在外公館の中でも最大級(5~6階)の大使館を建てるとのニュースで首都レイキャビックでは話題となっている。

これは中国が最近アイスランドの口利きで、北極圏の開発・環境問題を協議する政府間組織「北極協議会」に暫定オブザーバーとして参加を決めたことから中国が動き出したと受け止められている。

アイスランドの経済の混迷に際して欧州連合が援助の手を差し伸べないことを察知、巧みに接近を試みる外交巧者の中国、世界の隅々まで張り巡らした情報網の緻密さに今更ながら驚くばかりである。

地球温暖化で2030~40年代には夏の間、北極海に氷が存在しなくなるとの予測は年々現実味を帯びてきている。

中国の総生産の半分は海上輸送に依存している関係からベーリング海峡をとおって太平洋と大西洋を結ぶ、北極海航路が実現可能となれば、それは中国から考えて、スエズ経由の航路より6400キロも短くなり、それで、インド洋やマラッカ海峡での海賊に対する配慮も不要となることは中国にとりメリットが大きい。

それに加えて、北極圏は石油、天然ガス、ニッケル、金、コバルト等の海底資源に恵まれているのでアイスランドへの投資は右肩上がりの中国にとっては、そんなに重いものではない。

先日のハイチ地震の現場にはアメリカと同時に到着した中国政府の代表、今度は大西洋の北方に位置する小国、アイスランドまで虎視眈々といかなるチャンスをも見逃さない中国のバイタリティーには敬服する以外にない。

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