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老舗の変遷

家系に流れる進取の気性として褒めるべきなのかどうか判らないが、筆者は、水戸の老舗「伊勢甚」が日経の“200年企業”-成長と持続の条件―(2010・030・24)に注目、感想を述べることとした。

日経記事によると、享保9年(1724)、水戸の呉服商に奉公していた初代、甚介がのれん分けで独立、「伊勢屋」を創業、明治期から昭和と、そのまま営業を継続していた。

現社長(綿引甚介)の父、綿引敬之輔氏が家業の呉服商を百貨店としたのが1957年、その6年後の1963年にスーパーを併設する大変換を図った。

敬之輔氏が終戦後12年目の1957年に呉服商の将来性に疑いを持ったとも考えられるが、伝統ある老舗「伊勢甚」の暖簾に別れを告げて、百貨店に衣替えした事には何らかの重大な事情在りと思わざるを得ない。

彼はその6年後にスーパーを目指して再度の飛躍を試みている。

伊勢甚にとって昭和初期の大恐慌(1929年)は事業変革を迫る契機となったらしい。

伊勢甚は事業の多角化を目指して店舗を洋風に立て替えて、洋品雑貨部をスタートさせている。(約80年前)その時にはくじ引き券を発行、当選者には自家製の石鹸を贈呈するサービスをしている。筆者はこの辺にも綿引家に流れる進取の気性の性質を感じずにはえられない気がする。

現社長の父、敬之輔氏が如何なる度量の持ち主であったかはこの新聞記事からは不明だが、機を見るに敏と云うか、一旦これと決めたことを即決、断行するような勇気のある経営者ではなかったと想像する。    

水戸藩の御用商人だった伊勢甚は明治の頃までは呉服と「太物」と呼ばれた綿織物、麻織物を取り扱い経営は順調だったと云われている。

従って伊勢甚にとっての問題は戦後、水戸のような地方都市にも次第に生活様式が和風から洋風に姿を変えてゆくごく初期に敬之輔氏が家業の将来をどのように考えたかであった。

「伊勢甚百貨店」を水戸、日立、勝田市の3か所にて開業、「スーパー・ジンマート」は北関東中心に40か所出店して、転業後17年にして総年商600億円に達していたらしい。

大凡の人ならこれで事足りたとして保身にまわるのだが、筆者はここからが敬之輔氏の“真骨頂”であったと考える次第。

即ち、彼はすべての事業を一括、店舗、不動産を伊勢甚所有のまま、スーパーの大手、ジャスコ(現在のイオン)に営業譲渡した。(1977年)

それからの伊勢甚の収入は店舗賃貸料と13年前に始めた結婚式場1か所の売上、合計40~50億円の約10分の1に激減した。

しかし「伊勢甚百貨店」+「スーパー・ジンマート」の年商500億はネットの数字ではなく、むしろ幻の数字に近いのに対して、毎月の家賃収入はネットであるのでこれは比較の対象とはならない。

その頃(1977年)は新興の大手流通業が急速に台頭していた。

スーパー・ダイエーが東証一部上場して三越の売上を抜いたのが1972~73年、イトーヨーカ堂(現セブン・イレブン)もその翌年、73年に一部上場を果たし有名百貨店の脅威になり出した。

資本力のあるこれらの大手が力をつけ出したこの頃既に敬之輔氏は今後の地場の流通業の運命は決して明るいものでない事を嗅ぎつけたとすれば誠に機を見るに敏と云わざるを得ない。

その頃、高校~大学の過程にあった甚介現社長は「巨人に小人が立ち向かっても勝てるわけがない」と父から聞かされたと述べている。敬之輔氏からは又、「苦境に落ちてから事業の撤収を考えるより会社の体力が残っているうちに買手を見つけるべき」と云うような人生哲学を聞かされたとも言っている。

全日本が不動産バブルに突入した頃、既に敬之輔氏は事業の変身を決めている。これは株の達人が株価最高の頃に売り抜ける手口に似ている。

売上高だけを自慢の種にしている経営者が多い中、敬之輔氏は名声より質を取った優れた経営者と云わなければならない。

その後、この会社の経営は実弟の昭好氏(現相談役)に引き継がれ、2004年に甚介が社長に就任して現在にいたっているそうである。

甚介氏は1983年に茨城県最大規模の「水戸プラザホテル」を開業するほか結婚式場の経営に力を注ぎ、今では県内に最大手の結婚事業を展開し、水戸市内では総合病院も経営している。(2010年3月期年商見込み90億円)

周知のごとく現在では百貨店業、スーパー業ともカっての繁栄は幻のように消え去り、その姿何処にもない。

事業の栄枯盛衰は繰り返し、今日の繁栄は明日にはないと思っていてもよい。

デフレは限りなく小売業に厳しく、誰もが厳しい覚悟がなければ生きてゆけない状態である。

 その中にあって、伊勢甚は呉服商から昭和初期に洋品類、食糧品から百貨店、スーパー業、それから最近では、ホテル業から結婚式場業に移り今では総合病院の経営も手掛けると云う誠に忙しい会社であるが、戦後の日本産業の縮図を見たような気持である。

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