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信じ難い事実

Bathtubs

我々日本人は世界一清潔好きな人種とされている。

これは真実であると筆者も思っている。

驚くべ事実は、家庭用風呂桶.それはイギリスで1828年(文政11年)に最初に導入された。

アメリカではシンシナティーのトンプソン氏が最初にイギリスから輸入して使いだしたのが1842年(天保13年)と云われている。

イギリスでの最初の大衆浴場の出現は“公衆浴場及び洗濯所法”が成立した1846年のことだったらしい。(河出書房版ヴィクトリア朝“百科事典、谷田博幸著)

それまでのイギリスでは、温水浴は体に害になり、医者も、それがリューマチや呼吸器疾患を悪化させるとして奨励しなかったと云われている。

一般の市民はせいぜい一週間に一度くらい、沸かした湯を地下室から運んで暖炉の前におかれた桶に張って、そこで家族が順番に体を洗っていた。

即ち、入浴はかなり贅沢な習慣と思われていたことは確かである。

そこでアメリカの事情であるが、ここでも不思議なことに大統領の住居であるホワイト・ハウスに最初に風呂桶が持ち込まれたのが,1851年(嘉永4年)ペリーの浦賀来航の2年前、当時13代大統領フィルモアー(Millard Fillmore 1850-53)が使用したのが最初だったと云われる。

ヴィクトリア女王の即位の年にはバッキンハム・パレスの何処にも風呂場がなかったと云われても誰が信用するだろうか?

どんな裕福な家庭でも19世紀の末になる迄、自宅に単独の浴室があるところは無かったらしい。

ロンドンでは1870年代にようやく蒸気風呂(トルコ風呂)が高級会員制として姿をあらわし、次第に普及し始めたとのことである。

公衆衛生面での話題では、1851年に行われたロンドン万博(クリスタル・パレス)で初めて有料の公衆便所がお目見えしたと云う記録があり、その時の料金は一人1ペニーであった。

この施設を利用した人数は82万7280人で、入場者の7人に一人が利用した計算になっているが、その他の7分の6の人の動向は不明である。

それ以来、トイレに立つときの言い回しがGoing to spend a penny,(1ペニーを払ってくる)が生まれたと云われる。

ロンドンを流れるテームズ河の悪臭に絶えかねて、ようやく1865年に下水道が完成したと云われているが,地方都市ではその頃では願いようもなかったと思われる。

ごく最近までアメリカの田舎では家の中にはトイレはなく、普通.屋外に独立してトイレが設けられていたのは事実である。

Spaは温泉のことであるが、それは1326年にベルギーのスパと云う町で温泉が見つかって有名になったからである。

ドイツのバーデン・バーデン(Baden-Baden)も有名な温泉町だが、Badがドイツ語で風呂のことから来ている。

日本人から見てアングロサクソンの人達は不潔だと思うのだが、この事についてアメリカの日本人の風呂好きに関して次のような記述がある。

興味深いので参考のため、-Traditionally, In Japan, the bath was a large wooden tub placed outside in the garden and filled with very hot water. The entire family bathed together at the same time. In Japanese baths ,both public and private, there is rarely an attempt to achieve privacy. Public baths often have large unprotected openings through which people passing in the street can observe the bathers. But nowadays, bathing in Japan,especially in the cities is becoming westernized.(日本では普通、風呂桶は木製で普通、庭の真ん中に置かれていて、そこで一家が同時に入浴する。普通日本では、それが公衆用であれ、家庭用であれ、入浴にはプライヴァシーは無く、通行人が行き交うところで行われた。しかし、その習慣も、今では都会に於いて西洋化が進んでいる)Bigsite of Amazing fact, History of Bathtubs-

ここでの日本の入浴習慣を明らかに彼らが浮世絵で見た日本の風習と取り違えていることが判る。

入浴習慣は文明のバロメーターとは彼らが捉えていない証拠と見ることが出来る。

もしここで、日本は、今ではプライヴァシーが有り、その点ではウエスタナイズされたと云うのなら、英米人も今では清潔好きになり、その点、japanizeされたと云うべきではないか?

お互いに国際情報交換は大切だと云う事。

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経済不安

今朝、2010417()、新聞を開けてみて、最初に目にとまった記事は、“アメリカ、ゴールドマン・サックス証券の詐欺事件でニューヨーク証券市場が100ドル以上下げたと云うニュースであった。

米証券取引委員会(SEC)が16日、サブ・プライム・ローンを裏付けとした有価証券の販売の過程で不正があったと云う根拠に基づいた訴追であったらしい。

このニュースが流されたのが、(ニューヨーク時間)昨日の午後遅くであったが、それでも100ドル以上の値下がりがあったのだから、このニュースが午前中に出ていればもう少し下落してもおかしくなかったと考えた①。

それからその記事の左下に目をやると、「欧州22カ国空港閉鎖」の記事が筆者の注意を引いた。これはアイスランドの氷河地下の火山が噴火をおこし、大量の煙が偏西風にのって、ヨーロッパ大陸全般を覆ったことで、約17000便の旅客機が欠航したニュース。(これは何時噴煙がとまるのか予測困難)②

紙面をめくれば、中国西部(チベット)での大地震で死者1000人以上、救援物資は届かず、標高4000メートルの場所で多くの人が酸素不足と低温に苦しんでいるニュースが筆者の注意を引いた。③

それから紙面をめくる度に不安な材料ばかりが目に付く。例えば、アジア周辺の事件として、パキスタン、アフガニスタンでの紛争で死者が増加傾向④に加えて、タイの内政不安⑤、韓国対北朝鮮が国境付近で不穏な情勢⑥。

欧州では、ギリシャの経済の低迷がユーロの価値を押し下げている域内不安材料(欧州全体に及ぼす影響)⑦。

以上の7件に加えて、内国問題では、鳩山民主内閣のもろもろの不安材料⑧とトヨタ自動車の営業不振⑨と目先のドル安が我が国に及ぼす影響⑩。

まだまだ探せば芳しくないニュース材料に事欠かない昨今である。

本日は土曜日であるが、これだけの芳しくないニュース材料が出揃ってもこの週明けの19日(月)の東京市場に影響が全くないとは思えない。

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日本画とは?

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筆者は明治維新を文化革命であるとの認識を持っている。

筆者のもともとの職業である美術、工芸のフィールドから考えると、日本はこの時期、西洋の文明に傾倒して意識改革を目指した。

しかしこの時に、誠に変な事象も起こっている事を指摘したい。

それは「絵画の定義」。

当時の文部省(呼称は違う)は1876年、イタリアからアントニオ・フォンタネージ(Antonio Fontanesi,1818~1882)を招き工部美術学校を創設した。

しかし何の理由か、フォンタネージは2年足らずの滞在で帰国、その2年後、1878年にアメリカから、大森貝塚の発見者エドワード・モース(Edward sylvester Morse,1838~1925)の紹介で、アーネスト・フォノロサ(Ernest Francisco fenollosa,1853~1908)がやってきた。

フォンタネージは世界のどの美術書にも出てこない程、ローカルな画家と思われるが、日本に正式に招へいされたとすれば職業画家としてやってきたと思われる。その人が2年程度で帰っていったことには何か理由があっての事だと思われる。

しかし次に、政府の招請で来日したフェノロサであるが、筆者の知る限り、彼はハーヴァード出身だが、来日した当時のステータスは西洋哲学者であった

来日した時、フェノロサは弱冠25歳であり、どの程度日本の歴史や美術に関して知識を持ち合わせていたのかは疑問である。

フェノロサが東大の文学部に於いて西洋哲学や思想を講義したことは当然としても、10年後の1888年にその職を辞して後、文部省の委嘱でヨーロッパに政府の美術取締委員の肩書で遊学、1889年に岡倉天心と協力し、美術学校を創立した。

日本に最初に西洋哲学者として来航して11年、一旦退職後、今度は、日本美術の権威として美術学校校長として迎えられたことは異例としか思えない。

全くの門外漢が10年余りで異国の文化を学びながら、その国の文化の権威として認められたことは、弱冠36歳のフェノロッサにとって誠に名誉なことであったと思われる。

筆者も「フェノロッサ学会」の一員であるが、当時の日本政府が、異例の抜擢でフェノロッサに大事な文化行政を委ねた度量の大きさに驚くばかりである。

この頃、日本では仏教を排斥する運動が起きる反面、尊王攘夷の考えから、神教を保持する運動が起こって、仏教に関する思想、偶像の破壊(廃仏棄捨)が盛んに行われていた。

そこえアメリカからハーヴァード出身の文化人グループがやってきて、西洋のスタンダードを教えることとなった。

当時の明治政府も「近代化=西洋化」と云う考えであったから、彼らの発言を入れて、早くから“古器旧物保存法”を発令している。(1871年)

又、1873年に英語“Fine Artを”美術“と翻訳、公式な日本語とした。(大鳥圭介の提案による)

案外、日本では、Fine Artを美術と翻訳したことに無頓着であったが、その後、日本人の意識に間違った感覚が刷り込まれる結果となり、間違った「美意識」が独り歩きすることになった。

「美」の意識はあくまで傍観者の主観であって、「絶対」の客観的価値とは次元の異なったもの。

Fine ART”の意味は、敢えて翻訳すれば、“繊細な技術”で、そもそも「美」と云う表現は何処にも見当たらない!

最後になったが、本日の筆者の題目は「日本画」。

グーグルのウイキペディアからその定義を引用させて頂くと以下の通り、「日本画は膠絵具(ディステンパー)で描いた日本の絵画。」

「粒子径の大きな顔料を用いることなどで他国のディステンバーを使った絵とは異なる。」

「狭義では、明治時代以降に於いて、油彩に依らず、旧来の日本の伝統的な技法や様式の上に育てられた絵画を指す。」

これに対して油絵は“洋画”と呼ばれていた。

「広義では、江戸時代以前の物にも拡張して呼ぶこともある。」

その場合、「中国に由来しながらも主題や様式において日本的特徴をもつものを意味するのか、あるいは油彩技法が到来する以前に日本で制作された図画一般まで指すのか、定義があいまいなまま使われることも多い。」

即ち、何処にも確固とした定義は無いといわざるを得ない。

実際に職業画家にそのスタイルを聞くと、“私は日本画家です”とか、“私は洋画家です”と云う答えが帰ってくる。

何故このように両者の間に「塀」を立てるのか?この点を、フェノロサが以下のように仕分けしている。

日本画は、1.写真のような写実を追わない。2.陰影がない。3.輪郭線がある。4.色調が濃厚でない。5.表現が簡潔である。

彼の弟子、岡倉は、1889年に東京美術学校(東京芸術大学)を開くと、西洋画の教育を廃止して、橋本雅邦らを教師として日本画科のみに絞り、その第一期生に横山大観らがいる。

驚いたことに、これに先立って、西洋画を教えていた工部美術学校は1883年に閉鎖となっている。

岡倉は1890年に東京美術学校の校長となるが、10年も経たない1898年にはその職を追われ、横山」らと日本美術院を創設した。

この様に見てくると、日本画の誕生は、フェノロサが最初に使った「日本画」から派生したことが判る。

岡倉の定義では、洋画と云うものに対抗して明治以降に横山大観らが主体となって漠然と生まれたスタイルと考えられる。

江戸時代の絵画、例えば、狩野永徳の絵は何と呼ぶのか?の謎は解けない!

筆者の見解では、“床の間に懸けて違和感がおきないのが日本画”ではないかと思うのだが・・・・・・・。これに付いて簡潔な回答を求めてやまない。

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電子書籍は黒船

Amazon_kindle

日経新聞は、我が国出版業界としてもインターネットによる電子出版への迅速な対応が求められていると述べている。

実は筆者は一昨年にキンドル1号が出た時購入したが、その後サービスが後手に回って使い勝手が悪く結局、押入れのゴミになってしまった。この苦い経験から、昨年末の第2号の購入には慎重を期し

幸いにも今では問題なく、毎朝ニューヨー・タイムズと毎日新聞の英語版が読めることに満足している。

日経によると、アップル社の新製品は携帯電話のiphone(アイフォーン)と同じ技術を使い、ネットから様々なソフトや情報を入手できる

又、カラー液晶を搭載し、雑誌などの閲覧手段としても使えるとのこと。

アメリカではアマゾン社のキンドルの出現に刺激されて、書籍最大手のバーンズ&ノーブル社(Barns & Noble)も自社製の端末を開発済みと云う。

音楽配信で成功を収めたアップルの出版界への進出、出版物のネット配信事業を大きく促すことは間違いないところである。

ここにきて、大きく問われることは日本の出版業界の遅れであると云われている。

これは正に「黒船」であり、一刻の躊躇も許されない。

筆者は10年以前に再販制度を未だに守っていた文房具の業界に黒船が来襲すると申し上げたことがあったが。果して、その後、多くの文房具小売店が姿を消し、その後の業界の再編につながった。

今回は書籍と新聞、雑誌業界が風前の灯になりつつある。

現在でもアマゾンで本を購入すると「新品古書」が定価(販売希望価格)の5~7割引きで買えることがある。

これは今や、公然の秘密で、事情を知っている消費者は、余程の事がない限り、わざわざ本屋サンに迄出かけて買わない。

再販制度の撤廃は既に起こりつつあることは事実!

これに付いては、業界がわざわざ発表をしないだけのことである。

残るは新聞であるが、これは消費者の態度一つで将来が決まると云える。

即ち、居ながらにして購読する「宅配新聞」を止めることである。

誰でも、引っ越しに当たって困ることの一つに、“新聞配達を断る”仕事がある。

経験者なら覚えがあることだが、新聞の購読を断るのは一仕事である。 事によっては引っ越し先まで追っかけてくる場合もある。

従って、一旦、購読を始めれば容易には止めさせてくれないと思ってなければならない。

もし、日本の消費者が団結して、好みの新聞を通勤途上のキオスクで買い始め、定期購読を中止したとすれば、途端にマスコミの姿勢は今の様に高姿勢ではなくなると信じる。(因みに、筆者は毎朝、散歩を兼ねて50メート程先のローソンで好きな新聞を買っている。

新聞各社の横暴ぶりには政治家を含め、全国民が迷惑している。

業界が足並みをそろえるが如く、同じ日に休刊し、同時に値上げをすることは公然の事実。

他の業界で同じことをすれば、たちまち“カルテル”だとか、“談合”だとか言われて、弾圧を受けるが、新聞業界では「起こり得ない」事象である。

しかし、この様な態度を彼らに是正させることは至って簡単である。

今時、テレビ、ラジオ、ネット通信の普及で、新聞は、考え様では、不要なもの。

しかし、年に一度起こる人事異動や、時々だが広告で知る、知人の死亡通知、天気予報やテレビ番組を見ることだけに新聞を定期購読する必要は無いに等しい。

新聞は読んでも良いが、定期購読しなければ、「赤ハタ」と「聖教新聞」以外、どんな新聞社も、強いことは云わなくなること請け合いである。   

随分と横道に逸れたが、さらに思うのは、我々には「紙」への愛着が強すぎる、これは考えなおす必要があると思うのだが・・・・・・。

日本の音楽業界は、CD販売に固執するあまり音楽のネット配信事業をアップルに浚われてしまった。

現実に敵が港湾の先まで来ているとき、法律論を戦わしているようでは問題にならない。

去る3月に我が国出版社31社が「日本電子書籍出版社協会」を新設したと聞く。 これに付いて日経は次の事項を述べている。

「国会図書館の役割も重要だ、米グーグルの書籍検索サービスに対し、同図書館も納本制度に基づく電子保存や、電子納本の仕組み作りを急いでいる」。「音楽配信や電子出版は、実は日本が先行したが、規格が乱立し、普及しなかった。

日本としての標準技術を確立したうえで、海外のサービスにも情報提供を出来るようにすべきである」。

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小林一三商法のリヴァイヴァル

現在ある“天六阪急ビル”を取り払って、改めてその上に44階建ての分譲マンションを建造するアイディアーはスバラシーと感じた。

これは正に小林一三の商法だからである。

小林一三は、云わずと知れた阪急電鉄の創始者である。

大正時代に大阪神戸間に電車を引く前に、沿線に分譲家屋を建てて人口を増やし、西宮から宝塚迄延長して、その終点に宝塚劇場と遊園地を造って、モダーンな郊外都市を造成して多くの中~上流向きのニュータウンの先鞭を付けたことで知られる。

小林は又、終点梅田駅上に、電車の客を取り込むべく大百貨店を立てて、これまた新しい経営のプロトタイプとしたことで名を馳せた、誠にユニークな経営者であったと云える。

日経新聞04・07・2010によると阪急電鉄はこのたび、84年の歴史を持つ「天六阪急ビル」(大阪市北区)を解体して、高さ155メートルの高層マンションに立て替えると報じている。

すでに解体が始まっていて、2013年春以降の完成を目指していることが判明した。

駅ホームを内蔵した日本初のターミナルビルだが、最近では老朽化が進み、取り壊すことが決定されたとのこと。

地下一階、地上44階の高層マンション(約400戸)、その低層部には商業施設を誘致する計画。

このビルは、新京阪鉄道(現京阪電気鉄道)が「新京阪ビルディングとして建設、1926年に完成、7階建てビルの2階部分に天神橋駅(当時)のホームがあり、解体前には事務所や飲食店などが入居していた。

以下、日経記事説明引用:「新京阪は戦時統制下の43年に国策で阪神急行電鉄(現阪急電鉄)と合併。49年には再び新京阪が分離・独立したが、当ビルの所有権は京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)側に残ったままになっていた。69年に阪急千里線と大阪市営地下鉄堺筋線の相互乗り入れが始まり天神橋駅は廃止、天神橋筋6丁目駅として現在に至っている。」

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大国、中国の課題

Hmbarkendeavour

一昨日(2010・04・05)オーストラリア北東部、クイーンズ・ランド州沖にある世界最大のサンゴ礁、グレート・バリアー・リーフ(The Great  Barrier-Reef)域内で中国船籍の石炭運搬船が座礁、付近に重油約3トンが流出して海の汚染の広がりが憂慮されている。

ここはオーストラリア政府が永く海洋公園として保護している地域であることは世界周知の事実である。

この付近は船舶の航行は禁止されていて、厳しい規制が引かれているにも関わらず、地元のメディアの報道では、船はフルスピードで進み、4月3日浅瀬に乗り上げたと報道。

当地では一大事件として報道している。

当地の州当局は“船が規定の通行路から外れていた”事を問題視している。

筆者はこの問題は、両国間の考え方の違いから、すぐには解決が難しいのではと予想する

これは正に文化の違いで、この水域での環境汚染はオーストラリアにとっては大きな経済的損失であるが、加害者、中国人がこの問題解決に同じ視点で臨むか否かが問われる。

この水域で最初に事件を起こしたのは、ジェームス・クック(Captain James Cook)であった。

今から丁度、240年以前の、1770年6月11日、午後11時頃、ニュージーランドからの帰路、その当時terra australis incognitaの名称で知られていた、オーストラリアのこの地域で、クック船長の乗船“エンディヴァー(Endeavour)号が突然浅瀬に乗り上げ座礁した。

クックは航海の名人で常に水深には注意を払っていたが、夜中に船が流されて岸に近づき、座礁したと云われている。

真夜中の11時少し前、船尾が大きな音とともに持ち上げられ、止まった。

早速、船員総出で船を浮かせる為、手当たり次第に大砲の筒、バラストに至るまで、船の中にあった物を海に投げ込んで軽くする事に傾注した。

それから殆ど24時間の努力の後、翌日(12日)の午後10時20分頃船を再び浮上させることが出来た。

船を岸まで曳航して破損個所を修理することで、その後、約2カ月を費やし、彼らが再び出帆出来たのは8月6日であった。

それから240年経過するが、グレートバリアーリーフは航海するものにとって「危険水域」として知られてきたが皮肉にも同じ石炭運搬船(今回は大型)が同じ事故を引き起こした。

美しいこの水域が再び生き返るのは何時?

これとは遥かに次元の違う問題で、中国は揺れている。

それは中国南西部の国境地域で起こっている水資源に関わる国際問題である。

雲南省、大理から南に約250キロ離れた小湾鎮のメコン河上流で、揚子江の三峡ダムに次ぐ、中国で2番目に巨大なダムが建設されている。   これは2002年に始まって2012年完成予定の高さ252メートルのアーチ型ダムである。

この施設を中国は国家事業として厳重な監視のもとで建設中である。

全長4千キロを超すメコン河は中国・チベット高原からインドシナ半島を経て南シナ海に注ぐ。

ところが最近、メコン河の水位が異常に下がり、下流のタイ、ベトナム、ラオスカンボジアでは飲料水、灌漑用水が不足して大問題となっている。

この地域のメディアは異口同音にこれを上流の中国のダム群が原因と指摘、中国の「ダム放水制限」を厳しく非難している

中国は現在、雲南省内のメコン河上流で、水力発電所8基を建設しており、計画中の6基を含めると将来は14基となる。

又、メコン河に注ぎこむ支流に於いても多くの小型の発電所が造られていると聞く。

この背景には高度の経済成長に必要な電力の慢性的不足がある。

これを世界の目がどの様に解釈するか?

我が国の民法総則に於いても、第38~48条で取り水に関する規定があり、「上流での堰き止め」を禁止している如く、上流で生活水を止めることは人道に悖る行為である。

中国の主張は「水位の低下は干ばつが原因、その点、中国も被害者」と云うもの。

中国は近年になって、長江ダムのような超大型の施設は周辺の生態系に何らかの被害が及ぶ事実を認識しだしたことが政府系のシンクタンクの発言からくみ取れる。

この国が「引き起こす公害」で周辺の国々にどんな迷惑が及んでいるかを中国は考える必要があると思う。

「黄砂」、「越前クラゲ」なんかも中国発であり、内政問題である「新疆、ウイグル」「チベット」と人種問題も大きな中国の反省課題である。

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日中ネット販売マーケット

2009年度の我が国のネット通販市場は6兆5744億円に達し、遂に全国百貨店の総売上高と肩を並べた。

昨年の中国ネット市場での売り上げは3兆5000億円、これは前年の2倍の売り上げである。

野村総合研究所の調査では、2014年度の日本でのネット市場販売規模が11兆9500億円と予測している。この額は昨年度の8割増の数字である。

パソコンや携帯電話からインターネット経由で商品を購入するシステムは、顧客が店舗まで足を運ぶことなく商品が買える利便性があり、今後利用者は増加すると思われる。

この市場は海外でも拡大傾向にあり、特に最近アメリカを抜いてネット人工が世界一となった中国では、2012年には約9兆7000億円規模の市場となる予測もある。

現在、国内2位のヤフーは、今年の夏までに、中国大手の陶宝網(タオバオ)とネット通販サイトを相互接続、日中お互いに商品を出し合って新しい国際マーケットの創造を模索中。

首位の楽天は、中国検索大手、百度(バイドウ)と連携、本年末までに中国に於いてネット通販を開始する準備中。(タオバオはソフトバンクが出資する、中国大手ネット企業“アリババ・グループ”の中核企業)

そこには既に210万店が出店し、その会員数は、昨年12月調べで、1億700万人に達しているらしい。

因みに、ヤフーの通販サイトでの出店数は約17000軒で、会員数は約1900万人と云われている。

ヤフー+タオバオ連合のは接続は早ければ6月にも完成し、相互に商品購入が可能となるらしい。この場合、日本側では、消費者はヤフー窓口にクレジット・カードやネット銀行経由で代金を支払える。

一方、中国側では、アリババ・グループの中でオンライン決済サービスを提供する“アリペイ”を利用する。

商品の配送は日本の大手配送会社が受け持ち、この場合東京~北京間の国際小包送料は1キログラム当り3000円前後と云われているが、将来では暫時これより低い価格での設定を考慮中とのこと。

中国の観光客に最も人気のある日本製のデジタル家電や化粧品及びブランド商品らが売れ筋になると見られている模様。

ヤフー、楽天とも既に中国進出準備の最終段階で、両者は今後サイトを監視して海賊版CDや、その他問題のある商品の排除方法を考慮中らしい。

楽天は百度と今年中に合弁会社を設立して中国でネット通販を始動する段階で、大手のブランドから個人商店まで他業種の出店を募集する予定といわれている。

インド、中国の高度なシステム開発技術も採用して、今後世界各地で展開する両社のネット販売網の拡充で頭打ちとなっている内地の小売市場に新風を巻き起こすエネルギーとなることを願いたい。

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鳩山由紀夫と民主党の今後

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内閣総理大臣が内閣の外から指導力の不足と攻め立てられてやむなく下した裁定が、自分の党の意見を静止して、他の党の提案した政策をとり入れたことが判明した

鳩山由紀夫首相は3月30日の政府閣僚懇談会に於いて、閣内で不一致が起きた郵政事業の見直し案件で「自分のリーダーシップ」で鎮めたと宣言した。

ところが鎮めたのは自党の意見で、他党の提案に対してはゴー・サイン!

郵便貯金や簡易保険の限度額を現在の2倍程度に引き上げる見直し案に、国家戦略担当大臣と副総理で財務大臣が将来芳しくない結果になる恐れありとの理由で、大反対していたにかかわらず、郵便局を支持母体とする他の政党の意見を優先して内閣の多数案に反する裁定を下した。

郵便貯金の限度額を今の1000万円から2倍の2000万円にする案年に対して民主党は2005年の衆院選では、実は半分の500万円に下げる公約をしていた。

政党の公約(マニフェスト)は守ることが前提で、同じ政党の意見として、非常に重大な国民の財源にかかわる「貯金」の優遇制度の限度額を、一度は半額、今度は2倍(実は4倍)にすると宣言すれば誰でも不思議に思うのが当たり前であろう。

この辺の事情に詳しい国家戦略担当相(仙石氏)も将来は金融をゆがめると云い、財務大臣で副総理の管直人氏も日本郵政グループ内の取引で消費税を免除する構想を厳しく批判したにも関わらず、閣内での金融の専門家の意見を退けて他の政党の意見を優先した形で押し切った。

鳩山氏がこの結論を出した理由は、先ず幹事長の小沢一郎の意見を最優先した事、夏の参院選で郵政票を握る国民新党との選挙協力が欠かせないとの思惑からであったのではないか?

民主党は“子供優遇手当”と“高校授業料免除”は形だけの公約を果たしたが、財源がひっ迫しているので、郵貯に入ってくる貯金の増額分で国債を使ってその分を支払えると考えているなら、国民は決して黙ってはいないと思われる。

どちらにしても政権を奪取した民主党の慢心から生まれた稚拙な政治に対して国民は怒り心頭に達していることは間違いない。

天網恢恢疏粗にして漏らさずの譬え通り我田引水の政治は長続きはしない。

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