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日本画とは?

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筆者は明治維新を文化革命であるとの認識を持っている。

筆者のもともとの職業である美術、工芸のフィールドから考えると、日本はこの時期、西洋の文明に傾倒して意識改革を目指した。

しかしこの時に、誠に変な事象も起こっている事を指摘したい。

それは「絵画の定義」。

当時の文部省(呼称は違う)は1876年、イタリアからアントニオ・フォンタネージ(Antonio Fontanesi,1818~1882)を招き工部美術学校を創設した。

しかし何の理由か、フォンタネージは2年足らずの滞在で帰国、その2年後、1878年にアメリカから、大森貝塚の発見者エドワード・モース(Edward sylvester Morse,1838~1925)の紹介で、アーネスト・フォノロサ(Ernest Francisco fenollosa,1853~1908)がやってきた。

フォンタネージは世界のどの美術書にも出てこない程、ローカルな画家と思われるが、日本に正式に招へいされたとすれば職業画家としてやってきたと思われる。その人が2年程度で帰っていったことには何か理由があっての事だと思われる。

しかし次に、政府の招請で来日したフェノロサであるが、筆者の知る限り、彼はハーヴァード出身だが、来日した当時のステータスは西洋哲学者であった

来日した時、フェノロサは弱冠25歳であり、どの程度日本の歴史や美術に関して知識を持ち合わせていたのかは疑問である。

フェノロサが東大の文学部に於いて西洋哲学や思想を講義したことは当然としても、10年後の1888年にその職を辞して後、文部省の委嘱でヨーロッパに政府の美術取締委員の肩書で遊学、1889年に岡倉天心と協力し、美術学校を創立した。

日本に最初に西洋哲学者として来航して11年、一旦退職後、今度は、日本美術の権威として美術学校校長として迎えられたことは異例としか思えない。

全くの門外漢が10年余りで異国の文化を学びながら、その国の文化の権威として認められたことは、弱冠36歳のフェノロッサにとって誠に名誉なことであったと思われる。

筆者も「フェノロッサ学会」の一員であるが、当時の日本政府が、異例の抜擢でフェノロッサに大事な文化行政を委ねた度量の大きさに驚くばかりである。

この頃、日本では仏教を排斥する運動が起きる反面、尊王攘夷の考えから、神教を保持する運動が起こって、仏教に関する思想、偶像の破壊(廃仏棄捨)が盛んに行われていた。

そこえアメリカからハーヴァード出身の文化人グループがやってきて、西洋のスタンダードを教えることとなった。

当時の明治政府も「近代化=西洋化」と云う考えであったから、彼らの発言を入れて、早くから“古器旧物保存法”を発令している。(1871年)

又、1873年に英語“Fine Artを”美術“と翻訳、公式な日本語とした。(大鳥圭介の提案による)

案外、日本では、Fine Artを美術と翻訳したことに無頓着であったが、その後、日本人の意識に間違った感覚が刷り込まれる結果となり、間違った「美意識」が独り歩きすることになった。

「美」の意識はあくまで傍観者の主観であって、「絶対」の客観的価値とは次元の異なったもの。

Fine ART”の意味は、敢えて翻訳すれば、“繊細な技術”で、そもそも「美」と云う表現は何処にも見当たらない!

最後になったが、本日の筆者の題目は「日本画」。

グーグルのウイキペディアからその定義を引用させて頂くと以下の通り、「日本画は膠絵具(ディステンパー)で描いた日本の絵画。」

「粒子径の大きな顔料を用いることなどで他国のディステンバーを使った絵とは異なる。」

「狭義では、明治時代以降に於いて、油彩に依らず、旧来の日本の伝統的な技法や様式の上に育てられた絵画を指す。」

これに対して油絵は“洋画”と呼ばれていた。

「広義では、江戸時代以前の物にも拡張して呼ぶこともある。」

その場合、「中国に由来しながらも主題や様式において日本的特徴をもつものを意味するのか、あるいは油彩技法が到来する以前に日本で制作された図画一般まで指すのか、定義があいまいなまま使われることも多い。」

即ち、何処にも確固とした定義は無いといわざるを得ない。

実際に職業画家にそのスタイルを聞くと、“私は日本画家です”とか、“私は洋画家です”と云う答えが帰ってくる。

何故このように両者の間に「塀」を立てるのか?この点を、フェノロサが以下のように仕分けしている。

日本画は、1.写真のような写実を追わない。2.陰影がない。3.輪郭線がある。4.色調が濃厚でない。5.表現が簡潔である。

彼の弟子、岡倉は、1889年に東京美術学校(東京芸術大学)を開くと、西洋画の教育を廃止して、橋本雅邦らを教師として日本画科のみに絞り、その第一期生に横山大観らがいる。

驚いたことに、これに先立って、西洋画を教えていた工部美術学校は1883年に閉鎖となっている。

岡倉は1890年に東京美術学校の校長となるが、10年も経たない1898年にはその職を追われ、横山」らと日本美術院を創設した。

この様に見てくると、日本画の誕生は、フェノロサが最初に使った「日本画」から派生したことが判る。

岡倉の定義では、洋画と云うものに対抗して明治以降に横山大観らが主体となって漠然と生まれたスタイルと考えられる。

江戸時代の絵画、例えば、狩野永徳の絵は何と呼ぶのか?の謎は解けない!

筆者の見解では、“床の間に懸けて違和感がおきないのが日本画”ではないかと思うのだが・・・・・・・。これに付いて簡潔な回答を求めてやまない。

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コメント

今日は。初めまして。
日本画とは?と検索している中でこのページに出会いました。
色々と細かな分析に感銘いたします。
さて、本題ですが「日本人が描くので日本画」が何か正解の様な気がして来ました。ただ描く為に使う顔料が「岩を削ったもの」「にかわ」などと、ちょっと独特なだけですね。
しかし、今一しっくり来ない・・・。
結局、「日本画」とは?何だと定義できますでしょうか?
お教え頂ければ幸いです。

投稿: winken | 2013年2月 3日 (日) 19時14分

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