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明治天皇の東京遷都草稿発見

「明治天皇の東京遷都詔勅の草稿発見」の記事は写真入りで本日多くの新聞のトップ・ページを飾った。

これが明治天皇の直筆かどうかは定かでないが、奈良大の佐々木克教授は、広島県甘日市「海の見える杜美術館」にて、岩倉具視関連文書の中から、後年表装されたこの「東京遷都の詔」の草案を発見した。

これは考古学的にも大変重要な発見で、もしこれが真物であるとすれば何らかの方法で、今後は「国」が所蔵して永久保存すべきものであると思われる。(筆者の意見)

筆者はこの文書はただの古文書ではなく重要な日本の公的記録と見なされるべきだと思う。ーアメリカで云えば独立宣言公文書の草案に等しい。ー

この草案には日付がないが、明らかに1868年(明治元年)に実施された東京遷都以前に書かれたことは確かである。

これには、天皇が政務にあたることを述べると同時に、江戸は今後「東京」と称し、その地に自らが臨んで統治するとしたことが書かれている。

この古文書グループの出所は明らかにされないが、この詔の他に、新政府閣僚に対して、この案文についての意見具申の回覧文書が発見されたことから考えて明治天皇が直々に持ち回りにてこの重大な決定に際して臣下の意見を糺したことが判る

ここからは筆者の推理だが、①明治天皇はその時では戦火に明け暮れする古都に嫌気がしていた。②アメリカ東インド艦隊提督マシュー・ペリーの来航から15年経過していた時、西海の彼方では清国が欧米列強に正に袋たたきに会っている現状から、今後は内陸の京都より開けた海と港を有する江戸が首都としてふさわしいと感じた。③江戸城は京都御所に比べて、さすがに武士が英知を集めて立てただけあって、戦火を避けるには遥かに優れていたと判断したと同時に、今後西洋からの使節に謁見するにも適していると判断した。④江戸は京都に比べて気候的にも住みやすい。⑤これまでのしがらみをあっさりと忘れられる、云わば“転地療法”的趣旨があったのでは?と想像する。

江戸遷都に際しては、公家や藩士から選ばれた議定だけでなく、後藤象二郎ら藩士出身の参与も回覧先となっており、策定過程で意見を出す機会があったことが判明した。(京都新聞)

ここに関白や公家の上位の臣下しか関与が許されなかった此れまでの詔とは違って、無位無官の者までを加えて、京都にいた政府首脳全員の衆議で詔書が作成された過程を実見することが出来、明治維新の基本精神が見られる貴重な文書であると思考する。

今回見出された文書の中には、西郷隆盛の朝鮮派遣の是非を巡って起きた征韓論政変(1873年)の直前に、三条実美が岩倉具視に送った書状も含まれており、日本の近代史研究の第一級資料満載の感がある。

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