« 歴史的な入札 | トップページ | メキシコ湾石油流出事故 »

天皇陵と考古学

天皇御陵の信ぴょう性について甚だ疑問だと云う外国人記者の指摘:The real reason the Imperial Household Agency blocks archaeologist from excavating imperial tombs(宮内庁が(歴代)天皇の御陵が考古学者に発掘許可を出さない本当の理由)と云う宮内庁を誹謗する文書(毎日新聞問題の情報集積WIKI-天皇陵発掘を宮内庁が阻む本当の理由―が筆者の興味を引いた。

早速少しばかりその問題の延長を試みることとする。

確かに日本の古代史は謎だらけの感がある。その謎を解いてくれるのが天皇陵の歴史であり存在そのものではないだろうか?

天皇陵の数がはたして幾つ存在するのかもはっきりしない。

厳密に考えて「これが○○天皇陵」と断定できるものはごくごく稀だと云われている。

それに関わらず,宮内庁は天皇陵に立ち入ることも掘り起こすことも拒否し続けているのでは、外国人が騒ぎ出すことは当然と言わざるを得ない。

これらは明治時代になって国が当時の学問水準で、半ば強制的に強行したことが判っている。

仁徳天皇陵と云われている場所も「確定」している訳ではないらしい。

日本の各地に「天皇陵ではないだろうか」と推定されている墓所が200箇所程あると云われている。又、その他に「陵墓参考地」などと呼ばれている処もあるらしい。

宮内庁の威厳を保つべく認めている天皇陵がすべて正しいものならば、今になって「天皇の墓かも知れない」と云う表現は頂けない。

日本は19世紀後半から支那大陸や朝鮮半島で発掘をはじめ、多くの彼らの王家の墓所を掘り起こしてきた。最近ではエジプトまで出張して王家の墓の掘り起こしに懸命である。

しかるに,日本政府は何故考古学者に依頼して「王室の墓地」の調査をする事に消極的になるのか?

天皇家の存在も大事だが、教育の基本中の基本となる「本当の歴史」の探求こそ大切である。

戦後天皇の神格性は否定され、人間天皇となり、国の象徴となり直接統治しないことが決められた。

憲法論議もながながと続いて決着がつかない、

日本は何につけてもイエス、ノーがはっきりしないばかりか、“万世一系の天皇家の歴史”を国の特徴として誇示することがすべてに優先する明治の国家政策が未だに強く尾を引いている。

現在の宮内庁による仕分けでは、天皇、皇族の墓のうち、天皇・皇后・大皇大后・皇太后のものを陵(みささぎ・りょう)、それ以外の皇太子や親王のものを墓と呼ぶと定められている。陵墓の呼称で仕分けられている古墳は天皇陵41か所、皇后陵は11基、皇太子などの墓は34基と考えられ、それらから天皇、皇后、皇子名のものを差し引くと合計85基であるといわれる。

全国で北は山形県から鹿児島県まで歴代天皇陵112、皇后陵など76、計188、皇族等の墓が552、準陵が42その他、伝承を含めて114基、総数で896か所だが、同じ場所に所在するものもあるので、箇所数は465であると云う。(グーグル・ウイキペディア天皇陵参照)

これら陵墓では現在でも皇室による祭り事が行われ、研究者らが自由に立ち入ることは御法度である。

最近では地元の自治体などの合同調査を認めたり、修復などの調査に研究者に特例として立ち入り許可をする場合もあるらしい。

最初のころの前方後円墳は→大型方墳、円墳→八角墳(7,8世紀)と形状が変化した。奈良時代から平安初期では土葬であったが、仏教が入ってきてから(7世紀以後)火葬式が取り入れられ、分骨(散骨)が始まって(嵯峨天皇以後、9世紀)ますます複雑になったと考えられる。

江戸時代の末、尊王思想がおこり皇室の墓所が大型になった。公明天皇陵は大きな墳丘を持つ形で、又明治天皇陵は天智天皇陵にならって上円下方式が採用され、以降之にならって現在に至っていると云われる。

江戸時代では「修陵」と云って荒れ果てた陵を修復こともされたらしい。

特に元禄、万治、延宝、享保、文久などの時期に墳墓の修繕がなされた。そのうち、“文久の修陵”は大掛かりな土木修理であったと云われている。

京都の泉湧寺は今でも歴代の天皇家の廟所として有名である。

筆者は、もし、宮内庁が「皇室の尊厳」を第一義と考えるのならば、むしろ徹底的に科学的な調査を行って、歴代の天皇陵をはっきりさせる事こそ大切ではないかと思う次第。(参考文献:伊沢元彦)「逆説の日本史1」

前述の英語のタブロイド記述にもどって、アメイカ、ボストンの或る美術感館の所蔵品の中に(古くから)仁徳天皇陵からの出土品として大きな銅製鏡と刀剣が記録されていると云い、もしこれが真実ならばボストン美は盗掘品を展示していることになるがーこれに付いて宮内庁や文化庁は如何に思うのかーどうだろう。-あえてボストン美と限定していないー(“in Boston,  a museum has in its possession a large bronze mirror and  a sword with ring-shaped designs on its hilt.

The artifact s are said  to  be  from Nintokus  mausoleum.

If such is the case, the museum is exhibiting treasures looted from an Imperial burial mound.)

筆者はこれまでに、法隆寺の寺宝や正倉院からの収蔵品が明治から大正初期に市場に流れていたと云う事実を知っている。

古代のこれらの墳墓の多くが盗掘に逢っていることも判っている。

前述のタブロイド誌は“Shuukan shinncho quotes a Saitama Univ. professor as saying that the reason most of the key hole-shaped burial mounds are caved in on top is because they have been broken into.(週刊新潮の報じているところでは、或る、埼玉大学教授によると、鍵穴型の墳墓は上部から掘られて侵入されている)「この教授によると、江戸時代に仁徳陵の調査に入った学者の報告では”墓“は空っぽだったと述べている」(According to one record of some scholars entered the Nintokus tomb in the Mid-edo period and looked inside his coffin, but found that it was bare, the professor says

その他に、もし宮内庁がこれまでの天皇陵の指定が間違っていたと認めて指定を解除した場合、土地の所有権で民間からの訴訟もあり得ることを恐れているのではないかとも思われる。

宮内庁の勇断が待たれる!

|

« 歴史的な入札 | トップページ | メキシコ湾石油流出事故 »