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アメリカ事情

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日本がアメリカの不動産を買い漁っていた、1980年11月末、筆者はホノルル空港のロビーで捨てられていた新聞を拾い上げて読んでいた。

その中の不動産欄に“Fantasyland?”の見出しで、当時のハワイでの不動産売買の事情が出ていた。

Pacific Business NewsGeorge Mason記者が言うには”最近外国人(日本人)がホノルルの豪華なマンション(lease hold condominium residential apartment)を買い漁っている、中には$1000  a square foot(30センチ平米、1000ドル)と云う破格なものまであり、価格にして100万ドル~1500万ドルで取引されているらしいが、我々としてはこの馬鹿げたトレンドが何時まで続くか疑問視している、しかし彼らがそれで満足ならそれでいいではないか?“

”恐らく彼らはそこには永久に住むわけではなく、2~3年して、熱が冷めれば売り手を探しに帰ってくるに違いない、

その時には市場価値は恐らく1/5か、それ以下に下落しているだろうから正当な価値で買い戻せば、その間の利息だけでも大儲けになる“と云う主旨の記事であった。

リーマン事件後、アメリカ不動産価値は現在では地を這うような状態が続いている。

「バブル時代」に於いては日本では不動産の専門企業が各所のアメリカ名門の不動産にまでてを染めて大やけどをしている。

その筆頭に挙げられる二つの”事件“が三菱地所のロックフェラーセンタービルと、カリフォルニアの名門ゴルフ場、ペブルビーチ・カンパニーであった。

筆者はここでビジネスのことを取り上げる意図はないが、日本人があまりにもアメリカ人の「心」に対して無心経であることに危うさを感じずにはいられない。

ロックフェラー・センターもペブルビーチゴルフ場も共にアメリカのシンボル的存在の場所である。

そのような場所をカネの威力で取り上げることは両国の友好関係を考える時、あまり奨励すべきことではない。

さらに筆者が注意を喚起したい点は、買収した後のメインテナンスのことである。

金銭は輸出で来るが、労働者は輸出は出来ない。

両者とも莫大な投資額であったに違いなく、それらが無駄な投資に終わったことは今となっては、当然の秘密であろう

ロックフェラー・センターは完成後、既に1世紀近い年月がたった老朽ビル群である。建物は古くなればなるほど経費がかかることは判り切った

しかしアメリカにはどの大企業にも強固なworker’s Union(労働組合)があり労働者の地位は厳しい規約で保護されている。

例えば、高層ビルの窓拭きや、ゴルフ場の草刈り、食堂のコック、ウエーターに至るまで関係の無いものは簡単には入れない。

ロックフェラーセンタービルの無数に近い窓は定期的に清掃されなければならないが、もし窓拭きの組合がストをすればどんなことになるかは三菱地所の重役連中には考えられなかったのだろうか?

ゴルフ場の草刈りや、水撒きも大切でこれらが放置され、止まってしまったらどんなことになるかは子供でも判ることである。

最近、民主党の小沢一郎氏がアメリカ人は単細胞だと発言したことでもアメリカで不評を買っていると聞く。

沖縄の普天間基地の所属問題も掘り下げてみれば日米間に思いもかけなかった見解の相違が浮かび上がって来ないとも限らない。

アメリカ大陸は東を大西洋、西は太平洋に接する大陸である。

この膨大な太地を200年かかって自国の領地に組み入れた努力は我々には想像もつかない。

つまり、アメリカ人は世界一の不動産屋と考えても良い程狡猾なビジネスマン集団であることを日本の政治家は良く肝に銘じて事に当たって欲しい

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仏様の花「ハス」

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仏様のシンボルである「ハス」の花が如何に美しい植物であるかを実感したのは先月末、律宗の寺、京都花園の法金剛院を訪れたときに出会った「未開」のペアーのハスを観察して気付かされた。(写真参照)

泥沼からスックリと直立して天を指す、云うに云われない淡いピンクの輪郭と細い線模様の色彩は、まるで汚れを知らない如く強い朝日の光線を浴びながら涼しげに立っていた。

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北極海の異変とその将来

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20世紀までに遠洋航海日数を短くするために、大工事の結果作られたのが“スエズとパナマ”運河である。

その2大運河が不要になる話が現実味を帯びて語られている。

それが北極海航路である。ところが事はスンナリとは運ばない!

実は北極海は危険イッパイの場所で、有名な“タイタニック号”沈没事件(1912410日)以来暗黒の海に漂う氷山の怖さは誰もが知っている。

世界中が今や地球の温暖化による異常気象で、大なり小なりの被害を受けているが、中でも驚いたのは今月はじめ、北極海の近くのグリーンランドの大氷河の崩壊で巨大な氷山が海に漂い始めたらしい。

しかも今度見つかったと云われる氷島はタイタニック号が突き当たったものと比較しても、段違いにスケールが大きく、「ペテアマン2010」と名付けられ、その面積は約260平方キロ(マンハッタン島の約4倍、その厚さ約200メートル、それに含まれる水量はざっと全米の公共水道水量の4カ月分に相当するとのこと。(産経新聞2010年8月22日)

専門家の話では、これは過去半世紀の記録にない最大規模の氷河崩落によってできた氷山(島)と思われている。

現在、関係国ではその行方を注視、海上の石油リグに衝突したり、海峡を塞いで船舶の航行の危険性を憂慮している。

かしこの事件はこれだけでは収まらない。

これほどの氷島を作った氷河崩落は北極海の温暖化が如何に急激に進んでいるかを物語っているからである。

これによって真っ先に予想されることは、今世紀の初頭からスタートした「北極圏戦略」にまつわる大国間のパワーゲームがさらに熱気を帯びることに他ならない。

アメリカの調査では北極海には世界未発見の石油埋蔵量の13%、天然ガスの30%、その他金、銀、銅、ニッケル、ダイヤモンドなどの存在も話題に上っている。

北極海の海氷面積は年々少なくなっていることは既に周知の事だが、冬季にはこれまでのところ航行不能と思われていたが、これから比較的無理なく行き来できることになれば、カナダ沿岸の「北西ルート」、ロシア沿岸の「北東ルート」が今後考えられ、それらを経由出来ることとなると、パナマ、スエズの両運河経由と比較して距離も日数も飛躍的に短縮されると考えられる。

北極が南極ほどこれまで国際的に問題視されなかったのは、そこに陸地がなかったからであった。

21世紀になって各国がこぞって北極近辺の領有権や開発権の主張を強めている。

北極海の氷結面積が過去の最小を記録した2007年の夏、ロシアの潜水艇が北極点の海底にロシア国旗をたててロシアの主権を主張したことは記憶に新しい。

2013年の夏には北極海から海氷が消え去ると予測する見方もある。

8月15日にロシアの海運大手の大型タンカーが中国向け実証航海に出発した。これが予定通りゆけば航行日数は2週間短縮できるはずとのこと。今後は太平洋と大西洋が最短距離で結ばれ、その場合中国は最大のメリットを得ることだろう。

今後の積極的な北極圏の利用が進めば、北極航路、海底資源、水産、軍事戦略の面でも日本は重大な影響を受けることとなる。

この周辺の権益に関心を示している8ヶ国(カナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノールウエイ、ロシア、スエーデンとアメリカ)の内最も関係が深いと思われるのは、カナダ、デンマークとロシアではないだろうか?

特にグリーンランドを領有するデンマークは、今後如何なる行動をとるのか興味がもたれる。

その反面、氷山が溶けて水面が上昇することは確実。

この現象で被害を被る数多の洋上の島国には当然国際的な保護対策が考慮されてしかるべきである。

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北方領土は取り返せるか?

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20世紀はヴィクトリア女王の死去(1901年)、その後間もなく始まった日露戦争で幕が開けた。

七つの海の覇者、イギリスの象徴であった女王が世を去り、新たに、世界の大国ロシアを「日本海海戦」で打ち破った(1905年)東洋の小国、日本の出現を強烈に世界に印象付けた。

これら一連の事件を「吉」と思ったか、或いは「凶」と感じたかは、それぞれの立場に置かれた民族の視点によって違っていた。

先ずロシアではこの「世紀の海戦」での敗北はロシア革命(発端、1905年)と云う大事件に繋がったのである。

当時の日本人はその時、ロシア人が味わった将来忘れ難い屈辱感に思いを馳せただろうか?

その反面、アングロサクソンとスラブ達の世界覇権争いの狭間で虐げられ苦しんでいた非白人の民族は日本の勝利に大いに勇気ずけられた。

インドのネルーは彼の自伝で、「日本の戦勝は私を沸き立たせ、新しいニュースを見るために毎日新聞を待ち焦がれた。インドはおろかアジア全体をヨーロッパの隷属から救い出すことに思いを馳せ、私自身が剣をとってインドの為に戦い、インド開放の一助となる英雄的行為を夢みた」と述べている。

ネルーはその後「父が子に語る世界歴史」の著作の中でも、当時彼が受けた感激を繰り返し書いている。

日本海での日本の勝利はアメリカ黒人にも刺激を与え、アーチボルト・グリムケは、ニューヨーク・エイジに“小さな褐色の人々よ、征服せよ、汝の恐るべき剣を鞘に納めるなかれ,血の鞭を休めるなかれ、汝はロシア人を打ちすえた”と吠えている。

孫文は、“日本の勃興以降、白人はアジア人を見下さなくなった、それに他のアジアの人達の国際的地位を向上させた”とも言っている。(以上、岡崎久彦、小村寿太郎とその時代 PHP文庫)

果たして、1906年のペルシャ革命、1907年のインド国民会議派の急進化、1908年のトルコ革命、1911年の辛亥革命とメキシコ革命等のすべての裏に、日露戦争における日本の勝利の心理的影響がある。

日露戦争はまた、第一次世界大戦の前哨戦とも考えられ、機関銃や潜水艇、電波通信の活用等、それまでにはなかった新兵器の出現と、背後では諜報(スパイ)機関が活躍した近代型戦争のモデルとなった点でも画期的な戦争であったと云える。

開戦に先立って日本は長年に亘って周到な準備を行っている。

日本は5月、日本海海戦で大勝利するか否や、世界はその結果を見守っていた。

531日に高平小五郎駐米公使をしてアメリカ大統領テェオドア・ルーズヴェルトに予定通り講和の斡旋を依頼した。

ロシア側の代表はウィッテに決定、ロシア皇帝はウィッテに如何なる賠償金も領土も日本に譲ってはならないと厳しい指令を出してした。

奉天大会戦の戦闘が終わったのが320日で、かろうじて日本軍の勝利であった。しかし、児玉源太郎大将、長岡外史参謀次長には、それが日本軍の限界で、これ以上戦争の継続は無理であることは明白であった。

それに対してロシア側ではシベリア鉄道によってさらに38個師団が9月までには補給可能な状態であり、戦争が長引けば彼我の戦力は比較にならないほど日本が劣勢となることは明らかであったと云われる。

その2カ月後に日本海海戦で日本が大勝したことは正に天祐であった。しかし、アメリカ側は日本の戦力の限界は既に金子堅太郎特別大使から聞き及んでいたに違いなく休戦の潮時を探るべくいろいろと日本にアドヴァイスを与えていた。

小村寿太郎が全権大使として横浜を後にする前日の77日に、日本軍は樺太南部の中心都市コルサコフに上陸占領したのである。

それまでのロシアの主張は、ロシアは自国の領土の寸土も失っていないので未だ敗北とは程遠いことを戦争継続の主張としていた。しかし、7月は既に両国が和平のテーブルに就くことを表明し、ポーツマスに向かおうとしている矢先の出来事ではなかったか?

この樺太占領は無防備状態の敵領土の占領で、和平条件を少しでも有利にする手段であったとおもわれる。

調整係を買って出たルーズヴェルトとしては日本が朝鮮での主権を得ることには反対ではなかったが、シナ大陸東北部(満州)での領地の主権要求には反対の姿勢であった。

これは最終的に小村全権が所謂“桂、ハリマン協定”の破棄を通告したことで突然とアメリカの反日運動が起こった(1906年)ことで明白になった。

ロシアは事後、日本がドサクサに紛れて樺太を占領、ポーツマス条約の締結後、南樺太を日本に割譲せざるを得なくなった事でロシア固有の領土を失った。

これは正に、第二次大戦後、ソ連が同じように日本の降伏宣言がなされて後、所謂「北方領土」をソ連の領地に組み入れたことで日本に仕返しをしたことになる。

さらに、ソ連は日本の降伏後、強制的に日本の多くの兵士をシベリアに抑留、強制労働に服役させた、いわばオマケとも云う「仕返し」で報復している。

福沢諭吉が20世紀初頭に”Might is Right”(力こそが正義)と云った意味を我々は心に刻むべきと思わざるを得ない。

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民主党のイデオロギーへの疑問

最近アメリカでは国が本当の歴史を教えないことで物議をかもしている。

何が正しいか、また正しくないかは各人の判断で決めれば良い。

歴史をそのまま国民に知らしめることは為政者の義務である。

筆者の誕生日は527日である。その日は、戦前では、日本海海戦で日本が世界の大国ロシアのバルチック艦隊を日本海で打ち破った記念日で、誰もが学校で教えられたものである。

それは、英国で言えば、ネルソンがトラファルガーの海戦で、ナポレオンに勝利した海戦記念日と同じくらい世界的なビッグイヴェントの一つである。

その事実を学校で教えず、ただひたすら自国を侵略者呼ばわりする誠に自虐的ペシミスト教育者達を誰が養成したのだろう。

誕生から半世紀もたっていない海洋小国家日本が、世界一大強国のロシア帝国を敵にまわして互角に戦い、勝利したことは、それまで欧米の強国に支配され、搾取され続けてきた多くのみじめな植民地の人々に勇気と夢を与えた。

人間はすべて平等と云う思想が世界中に広まるきっかけとなった事は事実である。

戦後極東国際軍事裁判で勝者の言い分“日本が侵略国”と云う意見が支配的であったため、戦前の日本は侵略主義・帝国主義の犯罪国家と断定されるに至った。

この裁判は軍事裁判であり勝者が敗者を裁くものであったが、その判決には人道的な配慮が入る余地のないものであった。

喧嘩両成敗の言葉通り、何故戦争が起こったかを調査し、客観的立場から原因を分析すれば、必ず両側に何らかの非があった事が判るはずである。

そのことは後日、東京裁判の裁判権の法源とも云うべき、極東占領軍総司令長官であったダグラス・マッカーサー元帥が退役後、公式の場で、日本が戦争に突入せざるを得なくなった原因は「主として自衛(生存)の為であった」として、日本が侵略戦争を始めたと云う史観を否定している。

日本が真珠湾を攻撃した時、エレノアー・ルーズヴェルト大統領はThis ia a day of infamy(屈辱の日)と叫んで日本を非難することでアメリカ人の戦意を鼓舞したが、今では、それはThe day of deceit(騙し討ちの日)として、日本の真珠湾攻撃はアメイカによって仕掛けられた罠であったことは今や、公然の秘密となっている。

日露戦争後35年間、アメリカが日本を標的にするべく構想を練っていた“オレンジ作戦”の構想通り、その時アメリカは、最初に侵略を開始した方が日本であった事実を世界に印象付けることに成功したのである。

戦後の我が国の教育では、日本が侵略戦争を仕掛けて近隣諸国に迷惑をかけた事を初等教育の段階から教え込むことで貫徹されている。

それは果たして事実なのか?我々は考え直す必要がある。

当時、日本が侵攻したのはヨーロッパ国々の植民地である。その攻撃の目標は英、米、蘭の植民地宗主国以外ではない。

日清、日露の戦争で日本はなんとかロシアの南進を食い止めた。

韓国併合(1910年)については、日本は、日露戦争後、英国と、アメリカと協議の上慎重に決定している。

、悲しいかな、その当時の朝鮮(韓国)では自立を貫く国力に欠け、日本としては、これを放置すれば、いずれは他国に侵略され、日本に危険が及ぶ為に韓国を一旦、保護国にする意図でいた。

1909年(明治42年)10月、ロシア蔵相と今後の韓国問題を討議する為ハルピンに赴いた伊藤博文が案重根と云う朝鮮人反日ゲリラによって暗殺されると云う重大事件が起こった。

これは当然日本国内で一挙に朝鮮人に対する反感が高まる結果となり、韓国はその翌年(1910年)日本に併合されることとなったのである。

日清戦争も日露戦争も、日本の目的はロシアの南進阻止であり、韓国の併合が主たる目的でなかった。

西欧の強国に侵略され、次々と植民地化されてゆくアジア諸国を見るにつけ、次は我が身と云う恐怖感から防衛策として韓国を保護国としたことで、侵略と考えることはあまりにも飛躍し過ぎである。

日本海海戦の日本の勝利は多くのアジア諸国支配者に感銘を与えた。インドのガンジー、中国の孫文もその中の二人であった。

しかし、戦後、何故日本の政治家達が日本を侵略国と呼びたがるのだろうか?

日本は韓国、台湾統治の間に鉄道敷設、発電所の建設(水豊ダム)の他、京城帝国大学をつくり教育に力を注いでいる。

フランスやイギリスの植民地では教育を原住民に施すことは無く、文盲のまま放置した。

20世紀初頭でも朝鮮人が全く字を知らないことに着目して、日本のカナに相当するハングルの普及に努力したのも日本であった。

しかもこれらすべての事業は日本の出資で賄われていた事実を韓国人は知るべきである。

韓国人が日本人に過酷な扱いを受けたことがあったとしてもこれはあくまで比較論に過ぎない。

20世紀の初頭、韓国の世論は日本に併合されるより、むしろロシアに与すべしとの過激な考え方もあったようだが、もし彼らが日清戦争後、ロシア領に組み込まれていたならば今頃どんな運命になっていたであろうか。

筆者は菅直人首相が今になって、又もや「謝罪外交」に立ち戻った真意がどこにあったかを知りたいと思っている。

彼は今でも左翼革命を目指しているのか、或いは、今回の朝鮮民族に対する呼びかけは、次の民主党の選挙対策に過ぎないのか?

民主党は何処を目指すのだろうか、思考を重ねる程恐ろしくなる。

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英語後進国日本

筆者は前号で日経新聞が、13年前の平成9年内に三度も異例とも思われる気迫で、国際語としての英語の重要性を各々、一段通しの社説で強調したことに触れた。

英語ができなければ国が危ない(6/8)

「英文和訳」思考からの脱却を(8/20)

教師の再訓練と能力向上を図れ(12/31)である

日本の経済紙をリードする日経新聞が、英語貧民日本の現状を見かねて、やむにやまれぬ気概で吐露した主張であったと感じ、筆者は今でも、それら社説紙面を保存して持っている。

本日配達された「選択」に“世界共通語としての英語”と云う見出しで、いよいよ楽天とファーストリテイリング(UNIQLO)が2012年から英語を社内公用語にすると発表したと記している。

楽天の場合、既に4月から役員会での議論や、提出する書類をすべて英語に切り替え、準備態勢に入っていると書いている。

これからは両社とも国籍に関係なく、英語を自由に駆使する人材を優先的に採用する姿勢であることがわかる。

両者とも確かにグローバル展開のためには、とにかく英語思考で仕事ができる

国際人の養成を目指している。

既に10年前、小渕首相の諮問機関だった「21世紀日本の構想」懇談会が、英語を日本の第二公用語とする構想を打ち出した。

我が国は20世紀の初頭でアジア諸国の先頭に立って文化のグローバル化に乗り出したが、日経社説の「英文思考からの脱却」でもこの点を指摘している。

日本では江戸時代から西洋の進んだ科学、社会組織の基礎を学ぶために「翻訳」が重視されてきた。

先人たちの非常な努力に助けられ日本の科学者たちは翻訳本を糧として明治、大正時代を乗り切った。

日本の科学者や政治家、軍人たちはそのお陰で東洋一のエリート国家となった。

日本では世界の先駆的技術はその殆どが翻訳され吸収されていった。それがかえって今になって自分たちを苦しめることになろうとは夢にも思わなかった。

反面、日本以外のアジアの国々では、先進国技術習得には、その「原語」を自ら学ぶことから始めなければならなかった。

我が国の大学での英文科では英語文学の翻訳に重点がおかれ、英語を英語を通して教えることは筆者の学生時代ではなかった。(1950年代)

どんな英語の能力が必要かを知ったのはビジネスを通してからであった。

日本と韓国で英会話を教えた経験を持つアメリカの友人の話では、“何か質問は?”と問いかけたら、韓国では一斉に手が挙がるが、日本では反対で、自発的に質問をする生徒は殆どいないと云っている。

外国では生徒は何事も知らないことが普通と思っているが、日本では“知らない”ことを恥じているので教えるのが難しいとも言っている。

今月の「選択」によると最も徹底した社内英語公用語の成功例はドイツのシーメンスとのこと。

インド、シンガポールやフィリッピンでは公用語は英語であるこては知られているが、ベルギーの植民地として一世紀以上フランス語を公用語にしてきたアフリカのルワンダでさえも最近では英語でないとグローバル経済競争に不利になるとの理由で転換した。

最近ではインターネットの普及で英語の重要性はさらにおおきくなっている。

英語のネットワーク効果を爆発的に伸ばしているウエキペディアの毎日のヒット数は20億~30億件、グーグルでは一兆番目のウエブサイトを達成したと云われる。

作業語としての英語圏が何処よりも急速に進んでいるのはアジアであり、中でも中国とインドでの浸透ぶりは特に目を見張るものがあると云われている。

その東南アジアや中国を顧客にしようとしている日本の企業群、今後如何にして生き残ることが出来るのか、誠に心もとない限りである。

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