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北方領土は取り返せるか?

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20世紀はヴィクトリア女王の死去(1901年)、その後間もなく始まった日露戦争で幕が開けた。

七つの海の覇者、イギリスの象徴であった女王が世を去り、新たに、世界の大国ロシアを「日本海海戦」で打ち破った(1905年)東洋の小国、日本の出現を強烈に世界に印象付けた。

これら一連の事件を「吉」と思ったか、或いは「凶」と感じたかは、それぞれの立場に置かれた民族の視点によって違っていた。

先ずロシアではこの「世紀の海戦」での敗北はロシア革命(発端、1905年)と云う大事件に繋がったのである。

当時の日本人はその時、ロシア人が味わった将来忘れ難い屈辱感に思いを馳せただろうか?

その反面、アングロサクソンとスラブ達の世界覇権争いの狭間で虐げられ苦しんでいた非白人の民族は日本の勝利に大いに勇気ずけられた。

インドのネルーは彼の自伝で、「日本の戦勝は私を沸き立たせ、新しいニュースを見るために毎日新聞を待ち焦がれた。インドはおろかアジア全体をヨーロッパの隷属から救い出すことに思いを馳せ、私自身が剣をとってインドの為に戦い、インド開放の一助となる英雄的行為を夢みた」と述べている。

ネルーはその後「父が子に語る世界歴史」の著作の中でも、当時彼が受けた感激を繰り返し書いている。

日本海での日本の勝利はアメリカ黒人にも刺激を与え、アーチボルト・グリムケは、ニューヨーク・エイジに“小さな褐色の人々よ、征服せよ、汝の恐るべき剣を鞘に納めるなかれ,血の鞭を休めるなかれ、汝はロシア人を打ちすえた”と吠えている。

孫文は、“日本の勃興以降、白人はアジア人を見下さなくなった、それに他のアジアの人達の国際的地位を向上させた”とも言っている。(以上、岡崎久彦、小村寿太郎とその時代 PHP文庫)

果たして、1906年のペルシャ革命、1907年のインド国民会議派の急進化、1908年のトルコ革命、1911年の辛亥革命とメキシコ革命等のすべての裏に、日露戦争における日本の勝利の心理的影響がある。

日露戦争はまた、第一次世界大戦の前哨戦とも考えられ、機関銃や潜水艇、電波通信の活用等、それまでにはなかった新兵器の出現と、背後では諜報(スパイ)機関が活躍した近代型戦争のモデルとなった点でも画期的な戦争であったと云える。

開戦に先立って日本は長年に亘って周到な準備を行っている。

日本は5月、日本海海戦で大勝利するか否や、世界はその結果を見守っていた。

531日に高平小五郎駐米公使をしてアメリカ大統領テェオドア・ルーズヴェルトに予定通り講和の斡旋を依頼した。

ロシア側の代表はウィッテに決定、ロシア皇帝はウィッテに如何なる賠償金も領土も日本に譲ってはならないと厳しい指令を出してした。

奉天大会戦の戦闘が終わったのが320日で、かろうじて日本軍の勝利であった。しかし、児玉源太郎大将、長岡外史参謀次長には、それが日本軍の限界で、これ以上戦争の継続は無理であることは明白であった。

それに対してロシア側ではシベリア鉄道によってさらに38個師団が9月までには補給可能な状態であり、戦争が長引けば彼我の戦力は比較にならないほど日本が劣勢となることは明らかであったと云われる。

その2カ月後に日本海海戦で日本が大勝したことは正に天祐であった。しかし、アメリカ側は日本の戦力の限界は既に金子堅太郎特別大使から聞き及んでいたに違いなく休戦の潮時を探るべくいろいろと日本にアドヴァイスを与えていた。

小村寿太郎が全権大使として横浜を後にする前日の77日に、日本軍は樺太南部の中心都市コルサコフに上陸占領したのである。

それまでのロシアの主張は、ロシアは自国の領土の寸土も失っていないので未だ敗北とは程遠いことを戦争継続の主張としていた。しかし、7月は既に両国が和平のテーブルに就くことを表明し、ポーツマスに向かおうとしている矢先の出来事ではなかったか?

この樺太占領は無防備状態の敵領土の占領で、和平条件を少しでも有利にする手段であったとおもわれる。

調整係を買って出たルーズヴェルトとしては日本が朝鮮での主権を得ることには反対ではなかったが、シナ大陸東北部(満州)での領地の主権要求には反対の姿勢であった。

これは最終的に小村全権が所謂“桂、ハリマン協定”の破棄を通告したことで突然とアメリカの反日運動が起こった(1906年)ことで明白になった。

ロシアは事後、日本がドサクサに紛れて樺太を占領、ポーツマス条約の締結後、南樺太を日本に割譲せざるを得なくなった事でロシア固有の領土を失った。

これは正に、第二次大戦後、ソ連が同じように日本の降伏宣言がなされて後、所謂「北方領土」をソ連の領地に組み入れたことで日本に仕返しをしたことになる。

さらに、ソ連は日本の降伏後、強制的に日本の多くの兵士をシベリアに抑留、強制労働に服役させた、いわばオマケとも云う「仕返し」で報復している。

福沢諭吉が20世紀初頭に”Might is Right”(力こそが正義)と云った意味を我々は心に刻むべきと思わざるを得ない。

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