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「門構え}の思想

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最近チャンスを得てアメリカの大西部を旅した。

広大な草地に点々と散らばっている住居は殆どが白が主体である。

大小取り混ぜて、前庭は緑の芝生、周辺は幅の広い板がこいのフェンス、冬の雪対策の為か急斜面のゲーブルの屋根は赤や緑の瓦で彩られている典型的なアメリカの田舎風景を眺めていると気持ちが和やかになった。

帰国して、関空から予約していた送迎バスの椅子に身を沈め、周囲の景色を眺めていると今更ながら彼我の規模の違いを見せつけられ、我ながらみじめな気持にならざるを得なかった。

しかし、どんなに小さな形式の家でも我が国では、必ずと云って良い程「門」と「塀」がくっついている事を再認識させられた。

門や塀がなければ少しでもその分大きな家が建つはずだが。

我が国では「門構え」が偉大であれば家の格があがると云う“見栄”を重んじる気風が未だにある。

それに加えて、どんな小さな家も「塀」に囲まれている。

門構えと塀は家を城と考える伝統から守られている気風なのではないかと思わざるを得ない。

田舎に行けば、時として門と母屋のバランスがとれていない面白い農家に出くわすことも珍しくない。

備州ヒノキの角材に大型の鬼瓦、透かし彫りが施された門扉がいやが上にもにも目に入るが、後ろに控える母屋といえば「門構え」とはアンバランスなみすぼらしいもので笑いを禁じ得ないことが時としてある。

家を建てる場合、先ず住み家、それから必要ならば家の周辺に必要に応じてい入り口やフェンスを付加するのが常識。

日本人の「門」と「塀」に対する思想を変えることが出来れば建築費用が可なり節約できるのではなかろうかと云うのが筆者が最近の感想である。

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