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オレゴン・トレイルとララミー砦

Photo Fort_laramie

ララミー砦は日本では“シェーン”の名で放映された、アラン・ラッド主演映画で注目を帯びたが、その歴史的背景についてはあまり知られていないのであらましを述べてみたい。

去る、9月、シアトルに用事があったためアメリカ西海岸、シアトルからオレゴン州周辺を旅した。

それで、ユタ州のソートレーク(Salt Lake City)に飛び、ワイオミング州のイエローストン国立公園(Yellowstone National Park)内を回遊、帰路、マウント・テトン国立公園(Mt.Teton National Park)を訪れた。

そこで知ったのは、この周辺が19世紀半ばに幌馬車を連ねてカリフォルニアを目指すフロンティアーの集団が必ず通らなければならない関所のような、有名な“オレゴン・トレイル”(The Oregon Trail)の入口であることを知った。

ララミー砦(Fort  Laramie)ー写真下ーは最初、毛皮貿易者(Fur Trader)の集会所と原住民との商取引所として、1834年にフランス人、ウイリアム・サブレットが“ウイリアム砦”の名で建てた貧しい木造の建物であったが、1841年になりそれがアメリカ毛皮会社(American Fur Co.)に売り渡された。

毛皮貿易の全盛期が過ぎた1849年に、カリフォルニアの金鉱山の発見でにわかに押し寄せてくる何万人の山師たちの受け入れと、入植者を凶暴なスー族(Sioux Tribe)から守るため、アメリカ政府が買い取って堅固な砦を築いた。

挿絵写真(教会の窓から見える山並み)でも判るように、目前に万年雪をかぶったロッキー山脈が迫って見える所で、幌馬車隊が一息入れて後、目前にそびえる山々を眺めて「ロッキー越え」の決心を付けなければならない場所でもあった。

大半の入植者たちは西の肥沃な、“約束された土地”(Promised Land)、カリフォルニアを目指したが、中には危険を恐れてここから引き返す人々も少なくなかったと云われている。

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