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新発見、豊臣秀吉座像

Photo_3 この度、年号及び作者がはっきり判明した豊臣秀吉の等身大の座像が世に出たと云う発見談。

無責任ながら、筆者未だ自ら確認できていないが、筆者の過去の経験から、作品の出現の場所、同像に認められる記述から、ほぼ真物と認識している。

問い合わせご希望の方:京都古文化保存会、℡075-561-1795迄

豊臣秀吉の肖像画で広く知られて、しかも生前の秀吉の面前で描いたと云われている(確証なし)は現在逸翁美術館(大阪、池田市)の伝狩野山楽筆と、京都、東山の高台寺蔵の伝狩野山楽筆のものが有名である。

二つの例ともに容貌が非常に近似した作品である。

今回京都で発見された木彫の秀吉座像の足の下部分に慶長4年6月28日、又、頭内には慶長8年6月中旬の年号とともに「豊国大明神」の文字と「七条大仏師康住」「子康巌」に、作者の花押と思われる墨書が認められる。(11月13日、毎日新聞)

多くの例から推測して、頭部と体の部分は別々に造られたと考える。

この座像、高さ、71.4センチの略等身大、再度の火災に逢い、表面彩色がところどころ剥がれているが、新聞発表の写真から判断して、ほぼ原形を留めている。

大津市の楽浪文化財修理所の高橋利明氏に依ると、氏の40年に亘る経験で制作年、作者及び対称名この様にはっきりと判明する例はごく稀であると云う。

秀吉の没年は慶長3年(1598年)、その頃から、秀吉にゆかりのあった大名や社寺は、秀吉を神格化して早速、礼拝用として「豊国大明神」の名称の画像や彫像を制作したことが知られている。

この度、京都市左京区の西方寺で発見された秀吉座像は、従って秀吉の容貌を近い処でとらえた好例と認めることが出来るとして貴重な発見と考えたい

あごひげの形や風貌は上記2例の肖像画に可なり近似していることが認められる。

絵画と彫刻では表現方法が異なるため、どちらが実像に近いと決めつけることは難しい。

文禄4年(1594年)秀吉は奈良の大仏に倣って東山に方廣寺を建立した。

作者、康住、康巌が“七条大仏師”を名乗っているのも何か方廣寺に関係ある仏師であったとも考えられなくもない。

秀吉の時代には西方寺は中京区にあって、秀吉に仕えた中川某武将に縁が深かったこの寺に伝わったらしい。(毎日新聞)

寺はその後、宝永5年(1708年)と昭和7年(1932年)に火災に逢い、現在は左京区に移っている。作品のクオリティーはともかく、考古学見地から参考資料として貴重であると思い、ブログで発表した次第。

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