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ケネディー大統領暗殺から半世紀

Kenedhi

昨晩、(11月21日)NHKのBS放送でジョン・F ケネディー大統領暗殺(11/22/63)事件解説番組を見た。

アメリカの歴史中で4人の大統領が殺されているがケネディー事件程謎めいていて不可解な事件はないと思われる。

事件以来既に半世紀が過ぎようとしているが、未だにスッキリとした解決に至っていないように思えてならない。

それは1963年11月22日の正午頃、テキサス州ダラスで起こった。

1968年には実弟のロバート・ケネディー(当時、司法長官)も暗殺された。

テキサスは共和党の地盤であったが、選挙を翌年に控えて民主党の票を少しでも確保するべく当選後初めてジャックリーヌ婦人をも同行した。

しかし、この遊説旅行の前日にも、ダラスを訪れた国連大使が暴漢に襲われたり、当日のダラス・モーニング・ニュース紙上に、反対派による中傷記事が掲載されるなど険しいムードに包まれていた。

翌年に選挙を控え、国民に親しみやすいイメージをアピールする意図で、当地警察の忠告を退けて、オープン・トップリムジンの防弾カバーを外して市内パレードが始まった。

これには副大統領。リンデン・ジョンソンがテキサス出身であり、ジョン・コナリー州知事が大統領の車に同乗することで安全と思ったのかは今になっては真実は不明である。

大統領一行が市内のデイリー・プラザ地区に差し掛かった時、銃声が聞こえ、第一弾が大統領に命中、2弾目もケネディーの頭部に命中、致命傷となった。コナリー州知事も同じ弾で胸部に被弾し重傷を負っている。

結果として、挙動不審として職務質問を試みたJ,Dデーヴィッド巡査を射殺した容疑者、リー・ハーヴェイ・オスワルド(24)が容疑者として逮捕された。

しかし、犯人と疑われていたオスワルドが2日後、警察署から拘置所に送られようとしているところを、市内でナイトクラブを経営していたジャック・ルービンシュタインに目の前で射殺されてしまった。

これは全く予想もしなかった事件であった。白昼、しかも警官や報道陣が取り囲んでいる場所で、マフィア系の人物ルービーに射殺されたことで、一時、ダラス警察の関与も疑われる事態となった。

ルービーはダラス市の裁判所で起訴され、死刑の宣告を受けたが、、その後、上級審でルービーの弁護側が“ダラスでは正当な裁判が受けられなかった”と訴えたため、死刑判決は取り下げられ、再度の審理(4年後、1967年2月)に持ち越されたが、66年12月ルービーは病に倒れて死亡した。

その後、数々の容疑者や関係者が原因不明の死を遂げていることもこの事件の複雑さを物語っている。

ケネディーを継いだジョンソンは事の重大性から1963年11月29日(事件発生の1週間後)第三者機関の調査を始め、責任者に最高裁所長官、アール・ウオーレンを指名した。

ウオーレン委員会は10カ月後の1964年9月、膨大な報告書を発行して結論を下した。その結論はオスワルドの単独犯と云うものであった。

多くの専門家の意見では、オスワルドの使用したと云われるイタリア製のライフルでは、距離的にも、時間的にも三発の銃弾発射で、2発を命中させることが至難の業と考えられること、傍観者の多くが銃弾が複数の方向から発射されていると指摘していることから、とてもオスワルド一人の仕事とは考えられないと云う意見が大勢であった。

アメリカの歴史上大統領の暗殺事件はケネディーの前に3度あったが、すべて犯人がはっきり判明して逮捕されている。

アメリカ歴史上稀に見る重大な出来事にも関わらず、ケネディー大統領暗殺事件は最初の被疑者オスワルドが2日後に射殺されると云うことで追及不能となり事件決着の烙印が押された。

これにはアメリカと云う移民の国の複雑な背景があったことは当然だが、全国民が納得しないまま幕を引かざるを得なくなったことは充分考えられる。

その一つの要因として「マフィア主犯説」があるとされる。

サム・ジアンカーナを名乗るマフィアのボスがケネディー本人や、ジョセフ・ケネディー・シニアに依る依頼で、ケネディー陣営の資金集めを手伝った(不正?)が、その後ケネディーが司法長官フーヴァーや弟、ロバートの忠告(?)でジアンカーナや、共通の友人、フランク・シナトラ(歌手、俳優)との付き合いを断り、その後、マフィアの壊滅作戦を進めたことを“裏切り行為”と捉え、報復行為に及んだとする説がある。

実際にケネディーの一方的なマフィアとの関係断絶に対しシナトラが激怒、ジアンカーナや、ルービー、オスワルドとも面識があったことが判明しているテキサス州を縄張りとしていたカルロス・マルセロが、しばしばケネディー暗殺を仄めかしていたことがFBIの盗聴で判っていたとされている。(グーグル・ウエキペディア)

ケネディー一家を恨んでいた人物による犯行も軽視できないし、ケネディー家がアイルランド系移民で、カトリックであった事もWASPwhite, Anglo・saxon,Protestant)が主流であるアメリカ上流社会から異端視されていた事実も有力な要因とも考えられなくもない。

しかし、何といっても対マフィア恐怖からの事件隠ぺい説は最も説得力があるように思えてならない。

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