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太平洋上での日米海軍最初の遭遇

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前号のブログでハワイ王国と我が国との接触について記したが、少し誤りがあることから、訂正しながらその後の日米関係に就いて筆者の感想を書き足すこととしたい。

1881年カラカウア1世は訪日して明治天皇、伊藤博文外務卿と接触して、将来の日本からの移民策について会談したが、筆者はカラカウアが最初の訪問国を日本と定め、姪の王女カイウラニの婚姻の相手として日本の皇室を希望して密かに打診したことは、只の思いつきからのものでなかったと信じる。

先に述べたようにカラカウアの心境は、差し迫ったアメリカの圧力を感じ、穏やかならざる脅迫感に駆られていたことが判る。

現にカラカウアに影のように随行していたのは二人のアメリカ人であり、恰も監視つきの旅行であったとも思える。

その頃のハワイ王室の正装姿は、その後、日本でも流行する西洋風のいでたちであった。

現にその頃に完成したイオラニ宮殿は、我が国の赤坂離宮そのもので、ハワイ王朝がすでに社会面から、政治面からも西洋色から抜けだせない状態(日本の鹿鳴館時代の感覚?)であったことがわかる。

アメリカ人のハワイ人に対する心情は、正にフランス人がタヒチ人、また、イギリス人がニュージーランドのマオリ族に対し持っていた、見下す姿勢が顕著に見て取れる。

1887年にアメリカの助言のもとに制定されたハワイの憲法は俗にBayonet Constitution(拳銃憲法)と呼ばれる如く、アメリカの威嚇に晒されて出来たものであったらしい。

カラカウア王はこのような事態を憂慮しながら近い将来には外国勢力に屈して植民地化されるハワイの運命を憂いての日本訪問であったに違いない。

日本も明治維新3年後のことでもあり、とても外国の事情まで心配りが出来る状態ではなかった。

カラカウア1世はその10年後、サンフランシスコで客死するが、彼の後を継いで王位に就いたのが、妹のリリウオカラニ(53)であった。

彼女は即位2年後、1893年に憲法の改正を計ったが、アメリカの反対勢力の扇動で暴動となり、アメリカは軍艦ボストンの海兵隊の上陸で政治介入を行い、女王は軟禁されて、その後釈放されないまま失意のうちにその人生を閉じた。

リリウオラニが幽閉中に作曲したのがその後、不滅のメロディーとして世界中で歌われる名曲「アロハ・ウエ」である。

日本の巡洋艦「浪速」(艦長:東郷平八郎)と「金剛」はその時、非常事態に於いての在留邦人保護の名目でホノルルに赴いていて、アメリカ軍艦ボストンと並んでハワイ島の港に停泊していたと云われている。

このことをアメリカ政府がどのように解釈したかは今となっては知るよしもないが、その時に日本とアメリカの海軍が太平洋の真ん中で鉢合わせしたことは何の奇遇でもなかったと筆者は考える。

だがアメリカの軍艦ボストンと海兵隊の派遣は明らかにハワイ王国に対する軍事介入の目的を持ってなされた行為と考えられる。

日本の軍艦2隻のハワイ方面派遣も名目は“在留邦人の保護”であったがアメリカに対する威嚇の意味あいをもってなされた示威行為であった疑いは濃厚である。

その後の日本からの開拓移民へのアメリカ政府の待遇を見るにつけ、アメリカは既に我が国を太平洋上の仮想敵国と考えていたのでないだろうか?

日本はその翌年(1894)清国と戦う運命にあり、アメリカも5年後の1898年、キューバのハバナで起こった米戦艦メーン号の沈没事件を機にスペインに戦いを挑み、キューバ、プエルトリコ、太平洋上のグアム、ミッドウエイ、フィリッピンを瞬く間に占領して、その後は太平洋上の覇権を日本と競う運命となった。

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新天然ガス採掘法

海底油田の危険なくなる。Photo_3

近い将来アメリカが世界の最大の産油国になると云っても誰もすぐには納得しないだろう。

しかし、その可能性は高い。

かたく固まった砂岩(タイト・サンド)の中から、石油を取り出すタイト・オイルの実用化が2010年後半からいよいよ始まったからである。

2000年代になってから水圧で岩盤を砕くことで抗井に人工的割れ目4を作りガスを採取技術が確立、更に水平抗井掘削技術で3000メートルもの長さの横穴からシェールガスを引き出すことに成功したと云われる。

実はシェールガス(shale gas)の商業はアメリカでは早くも1821年ニューヨーク州デボニアン・フレドノア・シェール層から生産された。しかしその後、ドレーク油田(ペンシルヴァニア州)が1859年に開発されて後、シェールガスは採算性に於いて劣っていたので、立ち枯れとなってしまった。

ところが今年の6月、MITの研究で将来天然ガスはアメリカのエネルギー需要の40%(今では20%)にまでになると報告された。タイト・オイルの魅力は世界最大の石油消費国アメリカ本土内に大量に存在することである。

しかも、これまで油田の多くなかった東北部に主に存在することが判明している。

深海部油田のオイル採集には、およそ百億円の資本と、5年以上歳月を要するのに対して、タイト・オイルは掘削深度が地表から1000~3000メートル程度と、1ヶ月もあれば井戸が掘れる

シェールガス開発新技術を採用すると1バレル当たり30ドル以下に抑えることも可能と云う。(中東石油の場合では80~90ドル)

従って、メジャーのように技術力も資金力もない中堅石油企業にも今後は進出の機会が期待できる利点もある。

タイト・オイルの開発が今後早いペースで進むとすれば、これまで40年近くも低迷し続けていたアメリカの原油生産は1~2年の間に飛躍的に急増する可能性が出てきた。

民主主義国家の中で国内に、これまでに大量のタイト・オイルの埋蔵を確認済みの国々は、カナダ、オーストラリア、とインドであるが、同時に中国も300億立法メートル(2008年の国内消費量の約半分)のガス生産を目標としている。(早くもアメリカは開発技術供与の形で、中国でのシェールガス開発への中国からの投資を歓迎すると発表)。

従ってごく近い将来の内に、アメリカはイランやロシアを抜いてこの飛躍的な技術の駆使によって世界最大の石油生産国の仲間入りを果たすことが確実視されると期待されている。

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カラカウア1世と日本

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アメリカ西海岸からアリューシャンを経てイギリス探検家キャプテン・クックは彼の最後の航海でに最初のヨーロッパ人としてハワイ諸島にたち寄り、そこで殺害されたのが1779年2月であった。(アメリカ独立の3年後)

1795年、ハワイ王国はカメハメハ1世によって建国されたこととなっている。カメハメハ3世の治世の1840年に憲法が制定され西洋式近代国家の体裁が整い、その後、世界の国々がその独立を承認した。

カメカメハ王朝は1872年、カメハメハ5世の死去で終わった、その後、王位継承のゴタゴタで混乱があったが、1874年、カラカウアが王位を継承することとなった。

19世紀になって、捕鯨基地として主に英米ロ等の船舶の来訪が盛んになったと同時に、1830年代からはハワイに、その時まで、主に西インド諸島で奴隷労働に頼っていたサトウキビ栽培はシナ大陸からの入植労働者にとって代わる事となった。

その頃からサトウキビ栽培と砂糖の生産でのビジネ・チャンスを求めてアメリカからの入植が増え始めた。

19世紀の半ば頃から欧米人の往来が盛んになると同時にエピデミックが流行し始め、一時はハワイの人口が6万人にまで減少する事態になった。

アメリカはハワイの窮状を救うためハワイからの砂糖の輸入税を撤廃した。

しかし、今後のハワイ王国の将来に不安を持っていたカラカウア王は1867年(慶応3年)日本と親善協定を結ぶことに合意した。

その翌年、明治元年、日本から第1号の移民(元年者)153名が初めてハワイの土を踏んだ。それと同時に日本にハワイ王国公使の駐在が始まった。

カラカウアは1891年に没するが、その10年前、1881年3月、世界一周旅行の最初の訪問国として日本を選んだ。

カラカウア1世の来訪は日本を訪れた最初の外国国家元首であった。

カラカウア1世は明治天皇と赤坂離宮で謁見した。その会合の席でカラカウア1世が明治天皇に申し出たプロポーザルは正に日本にとって驚きの内容であった。

  カラカウア王の王位継承者と定められていた姪のカイウラニ王女と、山階宮定麿親王(東伏見宮依仁親王)との縁組

  日本・ハワイの合邦(連邦)

  日本・ハワイ間の海底電線カーブルの敷設

  日本主導による“アジア連邦”の実現の4カ条であった。

自国の危機存亡に際して、国王として将来を託せるのは日本であると云う決意で、恥も外聞もかなぐり捨てて、はるばる海を渡ってきたカラカウアの心情が痛いほど判るように思える。

欧米人が持ち込んだ病気のまん延で、人口の激減に加えて、その当時の日本人より遥かに“白人”の正体を知っていたカラカウアは日本を太平洋での盟友と定め親近を感じていた証左として筆者は尊敬したい。

その頃のアメリカではフロンティアーが終焉を迎え、ヨーロッパからの移民の最盛期を迎えていたが、逆にアジアからの移民は極度に制限される機運が盛んになっていた時期でもあった。又、南北戦争が終わって(1865年)、大陸横断鉄道の完成後、ハワイにはアメリカからの移住者が増え始めていた頃と思われる。

忍びよるアメリカ人の脅威を感じながら島国としての力の限界を覚え、同じ島国だがイギリス程の面積のある(大国)日本にすがる思いでのカラカウア王の訪問であった。

免疫を持つ白人には移らないがハワイ人だけが多く死に至る、その頃の医学知識では止められない怖い伝染病のまん延に恐怖を感じ、このまま放置すればハワイ住民だけが死に耐えると信じたカラカウア王の心中には日本から渡って来た移民の勤勉さや実直さが印象に残っていたとも思われる。

それに反してアメリカから移って来た白人たちの所業は、カラカウア王にとっては許し難いように映ていたに違いないと思われる。

土地を次々と手に入れて、農地にして、日本からの移民を奴隷のように酷使して膨大な資産を手にする手法は見るに堪えない「悪」と映ったに違いなかったのではと思われる。

1867年、アラスカをロシアから購入して、アメリカの太平洋進出の機運を感じ取ったハワイ人はその頃の日本人より遥かに世界を見る眼を持ち備えていたと思われる。

日本政府がこのカラカウア王の申し出でを断ったことから、その10年後の1891年(明治24年)カラカウアは死去、その後、アメリカの謀略にかかって1893年、ハワイ王国は滅亡、その後一度「共和国」となったが遂に、1898年(明治31年)フィリッピン、グアム等と一緒にアメリカに合併された。

1880年代はアメリカでは、未だ太平洋にまで本格的に進出する意図を明確にもっていなかった.

アメリカが本格的に太平洋に進出したのはマッキンレー政権成立(19997年後の事であり、特に、日清戦争終結の1895年頃からであった。

夢の様な物語として思い返してみると、1881年に、もし、ハワイ王国と日本帝国が合併を果たしていれば「真珠湾事件」もなく、広島、長崎の原爆による悲劇もなしに世界は平和でいられたかも知れない。

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何故日本は中国を資金援助するのか?

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何処の出費を削ればどれだけ赤字国債発行額が少なくなるかを政府を挙げて検討しているとの情報を国民は耳にしている。

ところが、来年には恐らく我が国を追い抜いてGDP(国民総生産額)が世界第二位になろうとしている中国に対して、日本政府は、平成23年度の国家予算の中から、5727億円(産経新聞12月27日、5面記事)もの巨大な資金を中国に与えるのか疑問に思えた江ならない。

これに就いて、内閣官房長官、仙石由人氏は対中ODAの意義を“無償資金協力及び技術協力は交流(日中交流?)に資する為に実施している”と述べ何の反省の姿勢も見られない。

さすがに、この案件の決定については政府内にも疑問が出ているとのこと。

何故中国にこのような支援をする必要があるのだろう?

中国に対する円借款は平成19年度で終わったらしいが、未だに外務省が実施する対中援助は、「無償資金協力」と「技術協力」の形式で続いている。

前述した産経新聞の報道、来年度の援助額、5727億円は少し多すぎるとして誤報と考えざるを得ないが、同紙は過去6年間の対中ODA無償資金と技術協力の合計を以下のように発表している。

それに依ると、16年度:100億3300万、17年度:66億4500万、18年度:67億2600万、19年度:51億5700万、20年度:57億8300万、21年度:46億1000万(外務省主体)その合計は6年間で、実に389億5400万円となる。

筆者がこのブログで度々指摘している心配事は、日本と中国の地理的位置関係である。

地球上では常に偏西風が吹いているので中国からは毎年有難くない贈り物「黄砂」の被害を受けている、それと同時にこの風に乗って移動してくる酸性雨やスモッグ等による被害は今後ますます増えると憂慮される。

環境汚染の防止対策に無償資金協力のかたちで行われるものは決して無駄だとは考えないが、中国の環境対策支援は既に平成19年度をもって打ち切られている

過去6年間に外務省主体で行った対中援助は、人材育成や日本語支援などが中心とのこと。

今や中国は、あらゆる機会をとらえて反日の姿勢を明確にしている。そのような国に対して仙石官房長官が公の場で「資金協力から新幹線や石炭火力発電の共同開発などの技術に重心を移す」と明言したことを知り民主党が未だに中国(社会主義)偏重の政党であることに驚く他はない。

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再びCAS冷凍

筆者は最近の冷凍の技術のニュースに魅了されてしまった感があるが、CAS冷凍(Cell Alive System)の反響をグーグルのサイトで、この技術の特典を熱心に追ってみると遅まきながらこの冷凍法には数々の将来性が秘められていることが判って来た。

例えば、沖縄産の柑橘類シークワーサー、冷凍されてカチカチなのに、甘酸っぱい新鮮な匂いがする。

又、色が鮮やかなにんにくの芽、切断された脚部に血肉が鮮やかな鶏肉。生の色を留める生ガキ。10年前から保存しているコシヒカリの新鮮味等を㈱アビーの研究員、藤原隆司氏が強調する。

高級料亭が何故このシステムをこぞって取り入れるかと云うと、この方法では、食品の急速冷凍保存で起きる水分分離や細胞組織を破壊から守り、冷凍臭や食感の悪さ、風味やうまみの消失などの問題を解決、解凍時に生の風味が蘇る技術を挙げている。

この技術はただの技術ではないように筆者も思い始めた。

発明大賞を取得、テレビでも大々的に取り上げられている理由はこの辺にあると思う。

現場で試験用の磁石を持ってCAS 内に手を入れると、細やかな振動を実感するらしいが、その“揺れ”は磁石の内部から伝わってくるもので、この微細な振動の伝達によって一気に冷却する。

井筒忠雄氏(53歳、㈱サーモダイナミックシステムズ社代表取締役)に依ると、食品冷凍技術の紹介のコラムで・・・・このCAS冷凍の技術で、北海道産の新鮮な海の幸が冷凍して貯めおかれ、暇になる冬季に加工することが可能になり「雇用対策」に役立つと述べている。

同氏はまた、今まで、鮮度劣化が早いため製品にならなかったものや、廃棄していたものまで製品化できる可能性が生まれることを強調する。

通販の最大手楽天もこの技術を採用している。

今まで現地でしか賞味出来なかった食品を、何処でも鮮度を落とすことなく「食の通販」で利用できるメリットがあることを認知している証左である。

糖尿食は、糖尿病の最も効果的治療法であり、CAS冷凍で、最近では糖尿病食を扱う宅配サービスも増えているらしい。

糖尿病食に欠かせない低カロリー食材である豆腐やコンニャクなどは、冷凍することで味が落ちてしまう難点があったが、京都にある高雄病院の依頼で北海道の冷凍食品会社は(日経スペシャル「ガイアの夜明け」番組で「生活を変える“冷凍技術”」と題して発表)、CAS冷凍の技術でこの難問題をクリアーしたと報道されている。

ここまで述べてきて明らかなことは:

  産地と消費地が繋がったことで我が国の農水産業の未来に明るさが見えてきた。

  今まで技術的に保存が不可能とされてきた物産も今後消費者のために勇気をもって生産に取り組むことが可能になった。

  僻地や過疎地とされてきた地方の山村や漁村に働き手が帰ってくる希望が持てるようになり、活気が生まれている。(参考:隠岐中之島、海土町)

  TPPに日本政府が加入に難色を見せているが、米穀の長期保存でも味が劣化しないことが確実になることで農家に今後の生産計画が立つようになるのではと考えられる。

  冷凍食品の輸出が独立した産業になる。

  CAS冷凍技術で臓器移植や再生医療の技術進歩が確実視される。

生体や細胞の長期保存が期待されるさまざまな医療の分野で研究が進んでいると聞く。

1例としては、抜歯した親知らずなどの歯をCAS冷凍で長期保存、将来に本人に戻す「歯の銀行」も既に2004年に発表されている。

独立法人:医療基盤研究所霊長類医科学研究センター(茨城県つくば市)ではこの技術を利用して卵巣を傷めずに凍結保存する研究がなされている。

又、広島大学では歯根膜の凍結保存再生技術、ひと肝細胞の培養と冷凍保存方法が進んでいる事が判明している。

KAS 冷凍の保存期間は今では2年~5年間と云われているが、何時の日かこれも改良されてゆくであろう。

少なくとも長期低迷にあえぐ日本経済活性の起爆剤となり得る可能性を秘めた目新しいinnovationとなることは間違いないと信じている。

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CAS冷凍法再考

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前々回のブログ(12/20/10)で紹介した㈱アビー(大和田哲夫社長)の発明になるCAS冷凍(Cells Alive System Freezing)は誠に無限の可能性を秘めたユニークな存在であると筆者は考える。

その技術は既に世界中10ヵ国以上でCAS 冷凍に関する特許を取得済みと聞く、千葉県我孫子にある中小企業であるが、㈱アビーの技術で三菱電機製がCAS冷凍機の市販を始めている。

大和田氏はこの技術が公にされてから世界の絶賛を受けて、今ではミスター・フリーズ(Mr..Freeze)と呼ばれているとか。

昨年の126日付、産経新聞は“隠岐の三セク「ふるさと海土」”の見出しでこの瞬間冷凍技術で離島にある海土町が如何に蘇ったかを報道した。

北海道夕張市は石狩炭田の中心都市として栄えたが2007年財政難で破たんし、今では夕張メロンの産地として再生を図っている。

筆者は夕張市がこの「CAS冷凍」を本格的に取り入れて町をあげてメロンの輸出を始めれば起死回生の起爆剤になるのではと考える。(但し、メロンがCAS冷凍法に適しているかどうかは判らないが・・・・)

夕張に限らず海や山の幸に恵まれている場所ならば、その地方の特産物を人口の多い都市部に新鮮な味をCAS冷凍技術のお陰で送り届けることが出来るばかりでなく、それらを産地に留め於いて端境期を待って高値で販売できる事で地方の財政の改善に役立つのではないかと考える。

“いわし”や“さんま”は秋の味覚として人気があるが、輸送にかかる経費を入れると採算が成り立たないのが常識とされてきたが、この技術で鮮度維持について問題が解消されたとすれば、これからは“産地直送”の物産として都会に於いても消費が促進されると考えられる。

現に隠岐島、海土町が何の変哲もない離れ島から、10年も経たない間で、今では、人手不足の活況で、留学生まで引き受け、奨学金も付与するまでになった理由を考える時、今後は日本の隅々まで「CAS冷凍技術」を活用することで都会と同じ感覚で産業育成に励む機会を得たのではないかと思考する。

このほかこの新冷凍技術は今後、生物、医学、医療分野でも活用が進むことが期待され、誠に無限とも云える可能性を秘めた将来性のあるものと考える。

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NHK番組「坂の上の雲」に思うこと

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最近盛んに明治維新以前の出来事(坂本竜馬)や日清、日ロ戦争(坂の上の雲)のNHKによるテレビ放送が人気を得ているが、筆者が最も危惧する事柄は、今まで学校では教えていなかった歴史にまつわる事実が事実として忠実に報道されているかどうかである。

例えば筆者も最近知ったことだが、終戦後の義務教育の過程では日ロ戦争や日本海海戦の史実は教科書では教えられていないらしい。

歴史小説にはフィクションとノン・フィクション物があることは周知のことだが、吉川英治の宮本武蔵なんかは全くのフィクションであり、歴史物として考えること自体が問題であると思われる。

主人公の武蔵と大徳寺の沢庵宗純あたりは実在人物であるが、又八やお通、ツバメ返しの使い手、佐々木小次郎と巌流島の逸話、“下がり松の決闘”は全くの作り話でしかない。ところがこんな事でも、いつの間にか「独り歩き」して史実と混同されてしまうことが恐ろしい。

司馬遼太郎の“坂の上の雲”がテレビで始まったが、これにも司馬流の偏った日ロ戦争観があらわれている。

1400万部も売り上げたこの本、何かの理由がなければこんなことにはならない。やはり理屈抜きで司馬遼太郎に傾倒しているファンがいることでこれほどの成功がなし得たので、これは吉川作品にも通じる。

丁度昨晩(12月20日)戦争開始のところであったが、筆者の見るところ、松山生まれの正岡子規や秋山兄弟の逸話の範囲ならばその罪は浅いが、東郷平八郎や児玉源太郎を礼賛する反面、乃木稀典を軽蔑するところ、偏った司馬氏の考察が目立っている。

この戦争の結果は実際のところ日本人が驚く以上に世界中が驚いた、二度と起きないような奇跡的勝利であったことは確かな事実。早く言えばこの結果で我が国は「白人世界」に滅ぼされたと云っても過言ではないと筆者は信じて疑わない。

願わくば、NHKもこの辺のことを“これはフィクションであり史実ではない”と断って、本当のことを教えられていない若者を正しく導く努力を怠らないで欲しいと思う次第である。

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新冷凍技術?

Photo_2 (海土町ポスター)

冷凍の技術は最近飛躍的に進歩して食品を永く酸化から守り、しかも鮮度は勿論のこと風味まで落ちないことが出来るようになったと云われている。

物の本によると、食品を冷凍すると云うことは、正確に表現すれば、食品の細胞中の水分を凍らせることで、(野菜果物は重量の8割~9割、魚、肉では7割、豆、穀物でも1割~2割が水分と考えられる)これまでは食品の表面に冷気を吹き付けることで事足れりと思われていたが、それだけでは表面が冷えても内部に迄浸透するまでには時間がかかり、鮮度、うま味が失われる。(その段階では冷気がブロックされて内側の温度が下がりにくくなってしまう)

表面だけの冷凍では食品内部の水分が外側の氷に毛細管現象で吸い上げられ、内部が乾燥して、引いては細胞膜が破壊されるらしい。

“壊れた細胞膜から中の水分がうま味成分と一緒に外に流出”することが「冷凍食品」が味で「新鮮食品」に劣る原因であったらしい。

全体を均一に凍らせ、しかも氷の結晶が成長するまでに短時間で冷凍する技術が確立され、「液体を静かに冷やす」ことで擬固点以下でも凍らない「過冷却」技術を見つけることが出来たと云われる。

これは、鮮度と、うま味の保存技術と云うことである。それを実現するには“全体を均一に凍らせる”+“氷の結晶が成長しないように短時間で冷凍”=“過冷却”。

大切なことは、水が凍る時、小さな氷のかけらや不純物を核に周辺に分子が付着することで大きく成長すると云われているが、周辺に不純物が存在しなければ温度を下げても水は氷にならず、零度以下でも水のままの「過冷却水」ができる。

その状態の水に小さい氷を入れたり、或る衝撃を与えることで周辺の水分子同士がくっついて、全体が一気に凍ると云うプロセスが「CAS冷凍」(Cell Alive system)の技術で、これは大和田哲夫氏(㈱アビー、社長)の発明になるものとして筆者は最近テレビ解説(テレビ東京)で知った。

この技術は世界に広まり既に22ヵ国に知られているらしい。実は発明者の大和田氏はもともとスブの素人であったが、ヒョンナ機会から冷凍機の虜となり、1975年、ケーキ用急速冷凍機を開発、生クリームの冷凍に成功、それがフランスに輸出されるところから始まった。思考錯誤を繰り返しながらこの「過冷却」の技術に行き着いたのが20年後の1995年。

この技術は茨城県、つくば市の霊長類医学研究センターでも採用されて、臓器の冷凍保存実験にも利用されている。

“磁力を使って極く弱いエネルギーで水の分子を振動させながら或る状態をつくると、同分子は集まらずにそれぞれの場所で凍り、細胞膜を破壊しない技術は、島根県隠岐郡海土町(面積約33平方キロ、人口、2451)の農林水産物処理加工施設「CAS冷凍センター」で採用され、ここで水揚げされた水産類を鮮度の落ちない間に処理して消費地まで運ばれている。これまでの「離れ島のマイナス面」を取り除き、安い鮮魚を冷凍保存できる工場施設で若者を育成できることで村の再生にも役立っている。(島留学の若者募集中)

これが既に世界的に普及している技術ならば驚くに足りないが、果たして如何なものか?もし、これが何処にも知られていないa  new Japanese innovation なら今後大変なことになる「発明」と思うのだが。

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森林崩壊を防げ

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紅葉シーズンで京都も観光客でにぎわっているが、紅葉にもいろいろあるのでもろ手を挙げて喜んではいられない。

今年の紅葉は例年以上と人気だが、その中には「ナラ枯れ」が含まれていることを知るべきだ。

毎日新聞(12月2日)に依ると、ナラ枯れは、害虫「カシノナガキクイムシ」が運ぶ菌に依って幹が痛み木が枯れる現象とのこと。

夏場に発生する為、秋には紅葉のように見えるが、多くの場合、木全体が枯死している場合が多い。

この現象は、2000年度に全国で約350ヘクタールであったが、2009年には約2500ヘクタールに及んでいるらしい。

永年放置されてきた林野に被害が及び立ち枯れ、倒木が至るところで発生している。

「森林の崩壊」の作者、白井裕子氏(新潮新書、2009年)は“鬱蒼と細い木が立ち尽くし、陽も差さなくなった森、弱っていた木々が風雪に耐えられず折れ、立ち枯れた林。下草も枯れ、木の根が浮き出た地表。雨で木が根こそぎ流れ出て、露わになった山肌。水を潤す力さえなえた森から流れ出て、濁り大水となる河。食べ物が少なくなった山を降り、里を荒らす動物・・・・”

白井氏は“世界の森林問題が「木を切り過ぎる」ことならば日本の問題は「木を切らな過ぎる」こと、国土の三分の二を占める2500万ヘクタールの森林は、天然林53%人工林41%、残りは無立ち木地や竹林”と云う。

国土の半分以上が山地の我が国なのだが、高速道路造成にばかり力を注いで、山地では満足な林道の整備が疎かにされていたため、木材の自給率はたったの2割とはいかにも解せない。

世界有数の木材消費国の日本だが未だに輸入材に頼っているとは如何なものかと云いたい。この点、何故国が何らかの施策を講じる必要があるのでは?

京都新聞、1129日は、最近嵐山の国有林(59ヘクタール)を住民、研究者、行政の連携で今まで荒れるに任せていたものを再生させる努力に乗り出した事を報じている。

立ち枯れや、獣害などで若木が育たずに放置されていた山林を昨年から、嵐山保勝会、研究者、京都大阪森林管理事務所が結束して、陽光不足が認められる一定範囲の山林伐採を行い、獣害保護柵の設置と山内歩道の整備を開始した。

高く伸びた常緑樹に日光を遮られて、下草が欠乏して丸裸となった地肌を改修、今後落石や獣害への予防に努めて観光地としての嵐山を民間と行政の共同の努力で維持してゆく運動に拍手をおくりたい。

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The Official Museum Directory

筆者が推奨申し上げたい、アメリカ文化の特徴を示す参考書として“オフィシャル・ミュージアム・ディレクトリー”(The Official Museum Directory,

by National Register Publishing)がある。

半世紀近く前から文化人に限らず歴史、人文科学の研究者のために非常に便利なガイドブックとして利用されている。今だこの出版物をご存じでないお方がいられたらと思い、紹介させて頂くこととした。

これは毎年改定されるが、アメリカ50州の美術館、自然科学博物館、アート・センター、水族館、プラネタリューム、植物園、動物園、ヒストリカル・ソサイエティー等々考えられ得る文化施設をすべて網羅している膨大な資料を包含したディレクトリーである。

ここには全ての施設に関わる歴史、構成人員の名前、コレクションの種類とその数量、ロケーション、電話、ファックス、e-メール、ウエブ・サイト迄克明に記載されている。

従って何方でも知りたいことがあるときには直接インターネット利用でアクセスが出来る誠に便利な,

研究、検索用の資料として紹介する次第。

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