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カラカウア1世と日本

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アメリカ西海岸からアリューシャンを経てイギリス探検家キャプテン・クックは彼の最後の航海でに最初のヨーロッパ人としてハワイ諸島にたち寄り、そこで殺害されたのが1779年2月であった。(アメリカ独立の3年後)

1795年、ハワイ王国はカメハメハ1世によって建国されたこととなっている。カメハメハ3世の治世の1840年に憲法が制定され西洋式近代国家の体裁が整い、その後、世界の国々がその独立を承認した。

カメカメハ王朝は1872年、カメハメハ5世の死去で終わった、その後、王位継承のゴタゴタで混乱があったが、1874年、カラカウアが王位を継承することとなった。

19世紀になって、捕鯨基地として主に英米ロ等の船舶の来訪が盛んになったと同時に、1830年代からはハワイに、その時まで、主に西インド諸島で奴隷労働に頼っていたサトウキビ栽培はシナ大陸からの入植労働者にとって代わる事となった。

その頃からサトウキビ栽培と砂糖の生産でのビジネ・チャンスを求めてアメリカからの入植が増え始めた。

19世紀の半ば頃から欧米人の往来が盛んになると同時にエピデミックが流行し始め、一時はハワイの人口が6万人にまで減少する事態になった。

アメリカはハワイの窮状を救うためハワイからの砂糖の輸入税を撤廃した。

しかし、今後のハワイ王国の将来に不安を持っていたカラカウア王は1867年(慶応3年)日本と親善協定を結ぶことに合意した。

その翌年、明治元年、日本から第1号の移民(元年者)153名が初めてハワイの土を踏んだ。それと同時に日本にハワイ王国公使の駐在が始まった。

カラカウアは1891年に没するが、その10年前、1881年3月、世界一周旅行の最初の訪問国として日本を選んだ。

カラカウア1世の来訪は日本を訪れた最初の外国国家元首であった。

カラカウア1世は明治天皇と赤坂離宮で謁見した。その会合の席でカラカウア1世が明治天皇に申し出たプロポーザルは正に日本にとって驚きの内容であった。

  カラカウア王の王位継承者と定められていた姪のカイウラニ王女と、山階宮定麿親王(東伏見宮依仁親王)との縁組

  日本・ハワイの合邦(連邦)

  日本・ハワイ間の海底電線カーブルの敷設

  日本主導による“アジア連邦”の実現の4カ条であった。

自国の危機存亡に際して、国王として将来を託せるのは日本であると云う決意で、恥も外聞もかなぐり捨てて、はるばる海を渡ってきたカラカウアの心情が痛いほど判るように思える。

欧米人が持ち込んだ病気のまん延で、人口の激減に加えて、その当時の日本人より遥かに“白人”の正体を知っていたカラカウアは日本を太平洋での盟友と定め親近を感じていた証左として筆者は尊敬したい。

その頃のアメリカではフロンティアーが終焉を迎え、ヨーロッパからの移民の最盛期を迎えていたが、逆にアジアからの移民は極度に制限される機運が盛んになっていた時期でもあった。又、南北戦争が終わって(1865年)、大陸横断鉄道の完成後、ハワイにはアメリカからの移住者が増え始めていた頃と思われる。

忍びよるアメリカ人の脅威を感じながら島国としての力の限界を覚え、同じ島国だがイギリス程の面積のある(大国)日本にすがる思いでのカラカウア王の訪問であった。

免疫を持つ白人には移らないがハワイ人だけが多く死に至る、その頃の医学知識では止められない怖い伝染病のまん延に恐怖を感じ、このまま放置すればハワイ住民だけが死に耐えると信じたカラカウア王の心中には日本から渡って来た移民の勤勉さや実直さが印象に残っていたとも思われる。

それに反してアメリカから移って来た白人たちの所業は、カラカウア王にとっては許し難いように映ていたに違いないと思われる。

土地を次々と手に入れて、農地にして、日本からの移民を奴隷のように酷使して膨大な資産を手にする手法は見るに堪えない「悪」と映ったに違いなかったのではと思われる。

1867年、アラスカをロシアから購入して、アメリカの太平洋進出の機運を感じ取ったハワイ人はその頃の日本人より遥かに世界を見る眼を持ち備えていたと思われる。

日本政府がこのカラカウア王の申し出でを断ったことから、その10年後の1891年(明治24年)カラカウアは死去、その後、アメリカの謀略にかかって1893年、ハワイ王国は滅亡、その後一度「共和国」となったが遂に、1898年(明治31年)フィリッピン、グアム等と一緒にアメリカに合併された。

1880年代はアメリカでは、未だ太平洋にまで本格的に進出する意図を明確にもっていなかった.

アメリカが本格的に太平洋に進出したのはマッキンレー政権成立(19997年後の事であり、特に、日清戦争終結の1895年頃からであった。

夢の様な物語として思い返してみると、1881年に、もし、ハワイ王国と日本帝国が合併を果たしていれば「真珠湾事件」もなく、広島、長崎の原爆による悲劇もなしに世界は平和でいられたかも知れない。

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