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American Bison(バイソン)

American_bison 北アメリカ大陸には18世紀の末頃にはバイソン(Bison or American buffalo)、が約2000万匹群れをなして生息していた。

その群れは、時には、40kmの長さになることもあったと云われている。

しかし、19世紀末になるとその総数は1000匹にまで減少していた。

ノース・ダコタ州で牧場を経営していた、アメリカ第26代大統領:セオドール・ルーズベルト(19011919)は、1888年に、“大平原にバイソンを見かけることが殆どなくなり、その反面、野ざらしで白く変色した彼らの頭蓋骨が目立つようになった”述べている。

その翌年の1889年、動物学者:ウイリアム・ホーナデイ(William .Hornaday,18541937)が政府に提唱して始まった保護政策の結果、現在では50万匹が生息している状態で、その内約54000匹食用にするために飼育中。

アメリカ大陸では”bison”,ヨーロッパ大陸では”wisent”と呼ばれるこの総称バッファロー(buffaro)と呼ばれている-野牛の原産はインドだと云われている。

( Oxford English Dictionary)

草食性で、英語では牛と同じく、オスはbull,メスはcowと呼ばれる。

オスは発情期以外は単独行動で生活し、発情期にはオスはメートをめぐって奪い合いを演じるが、滅多に死に至ることはない。

押し並べておとなしい性質の動物である。

アメリカのバイソンはヨーロッパの種類のものより足が短く、ずんぐりしていて、また、角の形状も違っている。

何故、彼等は100年の間に殆ど絶滅に近い状態になったかと云えば、18世紀以前、ヨーロッパ人が、その当時では北アメリカには存在していなかった馬に加えて火器(鉄砲)を持ち込み先住民がそれらを使用しだしてから減少の度合いが激しくなったと云われている。(バイソンの破壊、”The destruction of the bison,アンドリュー・アイゼンバーグ著、Andrew C.Isenberg, Cambridge Univ. Press)。

先住民が馬を持たず、弓矢に頼っていた頃には、先ず、野火をおこして獣を驚かせ、彼らを一か所に追いつめて仕留める手段による狩猟であったため、一度に多くは殺戮できなかった。

オスのバイソの大型になれば、軽く重さ、1頓のも少なくない。

群れが何かに驚いて走り出す時の破壊力はすさまじく、その音は平原に轟き、人工の柵や家をもなぎ倒して進む。

彼らが急速に移動する現象を”stampede”(スタンピード)と呼び、アメリカの原野では竜巻と同じように恐れられていた。

1820年頃からバイソンはミシシッピーの東部からその姿が見られなくなったが、その西の地帯には2000万匹が未だ生存していたと云われる。

1850年代には1千万頭が未だ西部の大平原に見られた。

1860年、南北戦争勃発当時、鉄道の開通でバイソンの毛皮がもてはやされ始め、西部地帯からも頭数の減少が始まった。

バイソンがその数を急激に減らしはじめたのは、ホームステッド・アクト法(Homestead Act)が制定された頃であったされる。

ホームステッド・アクトとは、1862520日に連邦議会で決められた土地法で、アメリカ市民、又は、アメリカ市民となる意思を表明した人に、160エーカー(約65,000㎡)の公有地を自営地として無償で付与することを規定した法律。

この規律で土地を得たものは、そこに家を建て、耕作を開始して、5年後に土地の私有が認められた。(この法律の制定で、1900年迄に約8000万エーカー、略32万平方キロが私有地となった)

たちまち、そこに住みだした開拓者は土地の私有権に訴えて柵を作った為、バイソンの繁殖範囲は絞られ、先住民の居住区が次第に西北部に移り、小さくなるに比例して、バイソンも次第にその数を減らした。

19世紀中頃から、白人社会でバイソンの皮のローブが流行したこと、バイソンの皮革をなめし皮にする技法の発達と、皮革ベルトの流行で、1830~1875年の間に凡そ1600万匹がダッッジ・シティー(カンサス)から東部へ送られたと云われる。

1905年、アメリカン・バイソン協会(American Bison Society)が設立され、1960年には2万頭に増加、現在では全米50州でバイソンがみられる状態となった。全米とカナダには約45万頭が確認されている。また、先住民(57民族)の社会では約15000頭の生存が確認されている。

(参考資料:American History ,Oct.2010,.PP.22

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