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戦後教育の反省

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戦後日本の犯した大失策は「教育」である。第一に“我が国は戦争によって近隣の国々に数々の迷惑をかけた”と云うこの懺悔ともとれる観念を子供たちの頭に教え込んだ。

日本は中華民国以外の近隣の国々とは戦争を起こしていない。

日本が相手にしたのは英米蘭と中華民国の4国であり、侵攻したアジア各地は英米蘭の3国が植民地としていた場所であっ、国家ではない。

日本の目的は主にアメリカ、イギリスとオランダの軍隊をそれらの植民地から駆逐することが主眼であった。

戦勝国にだけ正義があって敗戦国には罪だけが残って、全ての罪を背負わされることはあってはならない。

第二次世界戦争の終結から既に65年が過ぎ去った。我が国も謝罪外交を中止して、今後はもっと建設的外交で世界の平和に貢献すべきである。

我が国の「懺悔教育」の反対に、中国、韓国などでは、初等教育の時点から“日本憎し”の教育を徹底して行ってきた結果、今では平均して65歳の国民すべてに反日本帝国主義の考え方がゆきわたっていると考えられる。

その反対に、筆者も最近気がついた事柄だが、我が国では初等教育の教科書に「日本海海戦」も「下関条約」ものっていない、いわば歴史的にみて、欠陥教科書を使っていた。

歴史は忠実に語られるべきで、いたずらに歪曲されたものは歴史学ではない。

もうひとつの失策は英語教育と弁論教育である。

筆者の経験では、アメリカの学校では初等教育の段階から人前でしゃべることを教える。その結果、若者は成長してから、自分の言葉でスピーチが出来るようになる。

我が国では天皇陛下をはじめとして、総理大臣まで、臣下や官吏の作文を伝い読みする風習が出来上がってしまった。

ましてや、自分の云いたいことを外国語でしゃべる事なんかは論外の話である。

筆者は以前、このブログで日経新聞が平成9年(1997年)中に3度も社説で、我が国における英語教育の改善の必要性を述べていることに注目し、発表した。

一回目は6月8日(日)の社説、“英語ができなければ国が危うい”、2回目は同年8月20日(水)で、“「英文和訳」思考から脱却を”、3回目は12月31日(水)で“教師の再訓練と能力向上ヲ」図れ”(英語を考える)であった。

日経新聞も世界がIT時代を迎え、世界語となった英語の必要性に注目したに違いない。

現にアジアの中で英語を国語としているフィリッピン、マレイシア、シンガポール、インド、バングラディッシュなどの発言力が増していることは事実で、今まで地球上で僻地と考えられていたオーストラリアやニュージーランド等もコンピューターを駆使して居ながらにしてビジネスが頻繁に、簡便に行えるようになった。

このままでは日本は他国に比べて英語力においてあまりにも立ち遅れが激しく、将来に希望が持てないが、以前にも指摘したが、アメリカに日本政府の資金で英語専門学校を設立して、産業界からの参加を促しながら、政治家や企業家のエリートの為の英語教育を促進しては如何かと考える。

英語を教える側も日本の歴史、風習、常識を身に付けた人材でなければならない。

ハワイやアメリカ西部には、日本語を話せる、3世、4世の日本系のネーティヴ・スピーカーを探すことは不可能ではない。アメリカも現在、就職率の低下と不況に苦しんでいる。人材の募集も現在ではそんなに難しくないのではと考える。

楽天やユニクロでは社内での会話、会議が今後全て英語で行われるとのこと、今後はこれに続く企業もますます多くなるとすれば、個人企業で始めてもやり甲斐のある企業として考えられないこともない。

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