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贋作物語ー1

Photo_5 日本美術史における贋作発覚事件の主なるものに筆者の知る限り、「永仁の壺事件」、「佐野乾山事件」と「春峯庵事件」が先ず頭に浮かぶ。

永仁の壺事件は、大正の初期に見つかったとされていた永仁2年(1294年)の彫り銘の見られる古瀬戸の瓶子にまつわる事件を指す。

文部技官であった陶芸家の小山富士夫がこれを真作で、日本で最古の年号を持つ陶磁器として重要美術品に指定する提案をした。

国宝保存会議が開かれたが、その席上、或る委員から銘文の彫り方に疑問が出され、その場での指定は見送られた。

昭和34年(1959年)になり、類似品で同じ銘文があることで知られていた瓶子が所在不明となっていること知った小山氏が、その海外への流出の可能性を指摘、重要文化財の指定を重要文化財保護委員会に推奨し認められた。

同年行われた展覧会で「永仁の壺」が重文として出品されたが、多くの識者からその形状、銘文の不自然さ、重さ等で再び問題提起された。

そこで、その発見場所と云われた、陶芸家、加藤唐九郎の窯跡が調べられた結果、小山氏が根拠としていた陶片の真贋も含めて、加藤唐九郎に対する贋作疑惑が持ち上がり、唐九郎の長男が制作に関わったことを認め、その後、パリにいた唐九郎自身もその事実を確認したことで、昭和36年(1960年)永仁年号銘瓶子の重文指定が取り消された。

佐野乾山事件は更に複雑である。

筆者は予てより模造者(贋作製作者とも呼ばれる)は制作にあたっては、一般のその道の識者、学者より周到な研究を重ね、優れた知識を持っていると思っている。

従って、大がかりな制作発表にあたっての“お膳立て”には専門家でしか知り得ないと思われるポイントを最初に用意している場合が多い。

瀬戸物(古瀬戸、志野、織部等)は時代の判定が難しいとされるが、緒方光琳の実弟、緒方乾山の作品鑑定は玄人でも至難とされる。

筆者は、作者はこれに目を付け、予め作っておいた「手控え帳」を後日出現させて関係者の目を欺いたのではないかと憶測している。

昭和37年(1962年)、乾山が晩年住んでいたと佐野(栃木県)で作ったと思われる作品がその2年程前から200点以上もマーケットに出現した。

それには乾山直筆と云う「手控え帳」がついていて、専門家がこれを真筆と判断したと云う触れ込みであった。(筆者もその当時、或る国立博物館の技官からホットニュースとして聞いたことを記憶している)

面白いことに、陶磁研究者、美術史家達が肯定派、古美術商、陶芸家らの大半が否定派となったことであった。新聞や雑誌社もこの問題を大々的に取り上げた。

問題提起の中心人物は名古屋の森川勘一朗氏(如春庵)と東京国立博物館陶磁室々長、林屋晴三氏。これには京都国立博物館工芸室長、藤岡了一氏の他、イギリスの陶芸家、バーナード・リーチ氏まで加わって50年に亘る論争が続いている。

専門家と認められて発言力、影響力のある、専門家達がこぞって「佐野乾山」を真作と認める背景に何か事情がありはしないか、奇奇怪怪な事件と云うのが筆者の意見。

少し長くなったので春峯庵事件は後日に譲ることとする。

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