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リビアとアメリカの深い因縁

Photo (トリポリ湾内で炎上するアメリカ軍艦フィラデルフィア、1804年2月)

18016610日トリポリはアメリカに宣戦を布告した。

その当時、トリポリはチュニス、アルジェとともにオスマン帝国の保護下にあり、バーバリ諸国と呼ばれていた。

地中海に面しているこれらの3国はオスマン帝国の保護下で、この周辺を通過する商船の船籍国から通行料と称する上納金を徴収、時には商船を襲ってキリスト教徒の捕虜を人質に身代金を取り立てるような海賊行為を行っていた。

独立して間なしのアメリカは強力な海軍力を持たなかった為、人質となっている自国民の救済とこの周辺の通行料として毎年、国の歳入の約五分の一に相当する約200万ドルをこれらイスラム諸国に支払わされていた。

1803年10月31日、アメリカ軍艦フィラデルフィアーがトリポリ沖で座礁、艦長以下乗組員307名がトリポリ側の捕虜になる事件が発生した。

アメリカはその翌年、1804年2月16日76名の志願兵を募ってトリポリに奇襲を決行、フィラデルフィア艦上に火をつけて炎上させた。

この戦争はその翌年まで続き、1804年4月27日アメリカ側が人質の身代金として6万ドルを支払って講和が成立した。

アメリカ独立後の最初の敵がトリポリであったことを知ってオバマがリビアに強硬姿勢をとっているとは思えないが、アメリカの為政者たちは、オスマン・トルコと地中海沿いの北アフリカの海賊国家に、ひと時、大変な屈辱を受けたことは歴史を通して忘れないでいることは確かであろう。

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