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大陸横断鉄道

Tairiku

アメリカでの話だが、1861年(南北戦争の始まった年)有名なセントラル・パシフィック鉄道を敷設することが議決された。

この事業を引き受ける事業家には線路の用地の両側1.6キロ当たり8平方キロの土地が無償で供与された。―これは16キロの線路の両側に80平方キロメートル(約194万坪)の用地が企業家の手に入る計算―、さらに、線路を担保に1.6キロにつき平地で16000ドル、丘陵地で32000ドル、山間地で48000ドルが年5%の金利で30年間を貸し付ける契約であった。

これは当時でも破格の好条件で、この計画に参画した商人は鉄道での利益はともかく、約束された土地が目当てであったことは云うまでもない。

政府としても目の前に差し迫った「南北戦争」を有利に展開する目論みもあったが、毎年増え続ける移民を西部に移動させる手立ても考えられ、それと同時に、牛を含む西南部の生産物を工業化の進んだ東北部に輸送する手段として大陸横断鉄道の敷設は是非とも必要であった。

1864年、議会はこの公有地の付与の規模を2倍にする法案をリンカーン大統領に認めさせた。(これに参加した会社は議会に工作して膨大な利権を得ることになる)

ロッキー山脈越えの工事は難航し多くの犠牲者を出したが、その時一番の働きをしたのがシナ人移民であった。

これらクーリー(苦人)はゴールド・ラッシュ当時に移ってきた者たちで、低賃金でストライキもせず危険な労働に従事してアメリカ西部鉄道史にその名を残した。(枕木1本ごとに中国人が埋められているとも云われる)

1869年、ユタ州のプロモントリーで、東西から進められた線路が繋がり大陸横断鉄道は完成した。

この年はスエズ運河の開通の年であり、最初の日本人移民がカリフォルニアの地面を踏んだ年でもあった。

1867年、アラスカをロシアから買収カナダ(イギリス)をけん制しつつ、世紀末にはスペインと交戦、キューバ、グアム、フィリッピンに加え、ハワイ王国をも合併して後、パナマ運河を完成(1916年)させてアジア進出の足場を確固たるものにした。

即ち、この鉄道の完成で西海岸を身近に引き寄せ、それを境にしてアメリカの野望は太平洋を越えてアジアに移った。

シベリア鉄道の完成を待って(1904年)、ヨーロッパに至る鉄道と豪華客船で世界を1周する遠大な計画が生まれつつあった。

ところが、日露戦争の結果、日本が満州に利権を追及する姿勢を披歴した途端、白人(アングロサクソン)の野望は水泡に帰したのであった。(筆者推察)

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