« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

東日本被災地に国は無償で太陽光発電設備を援助せよ!

Photo_2

東日本の大震災と福島原発の損傷で今後の電力供給が重大な問題となっている。

過去に3度ならず津波を伴った大地震に見舞われた「三陸地方」によりによって危険な原発を許可した為政者の罪は深いと言わざるを得ない。

筆者は果して東電の福島原発の発電能力は如何ほどのものなのか知りたいと思っている。

公害フリーの発電は水力か風力ではないかと思うが、領土の70%近くが山岳地帯の日本列島では、雨が降ってもすぐに海に流れて行ってしまうので、ダムを造って保水しなければならない。

アメリカ、中国、ロシア、カナダ、アフリカ、インドや中近東の諸国では、それぞれに多くの大河があり水を動力として取り組みやすいが、その点、我が国では水力を動力として安価に利用することは難しい。

今後、少なくとも暫くの間、関東、東北の電力事情は極めて困難な問題を抱えることになることは火を見るより明らかである。

国はすぐにでも「福島原発」に替わる火力か水力発電所が必要となる。

被災地ではこれから多くの住宅が建てられる事になるが、筆者は今後、国がこれら新築の家屋や、その他の民間設備に無償で太陽光発電設備を援助しては如何かと思う。

今回の被災地、岩手、宮城、栃木の各県に、今後はたして何軒の住宅、学校、、ホテルや工場が建設されるかは不明だが、少なくとも東京電力の世話にならずに生活や生産活動が成り立つのならば、あまり時間をかけずに小型発電所が出来たのと同じ効果を発揮するのではと思う。

筆者はかねてより水車発電に興味を抱くものだが、これから各所に昔懐かしい水車や風車が復活してほしいと願っている。

|

”温故知新”を忘れるな!

Photo

天災は忘れた頃にやってくるとは良く言ったものだと思うが、スマトラ沖地震でインド洋沿岸諸国などに大きな被害を及ぼしたケースも正にその通りであったのではと思う。今年、311日に起こった東日本大震災はスマトラ地震から約7年後のことで、未だ誰もが忘れてもいない時期の事件である。

大津波を伴ったスマトラ沖地震は20041226日に発生した。その規模はマグニチュード9.3でスマトラ北西沖に発生して、そこから何百キロも離れた対岸地帯に大津波被害を及ぼしている。

驚くべきことに、その周辺で201010月までにマグニチュード78.6規模の地震が毎年のように、6回も発生している。

今回の東日本のスケールが9.0なので今後この近辺に大きな地震が続けて発生する危険は充分に予見できる。

この地帯には、ごく最近では20051117日にM6.9と云う地震が記録されている。当日の朝には津波警報が出されたらしいが幸いにも大事には至っていない。

200511月と云えばスマトラ地震の殆どまる1年後である。

東京電力の専門家や、津波に関して造詣の深い知識人がこの時点で三陸沖地震の性質について過去のデーターに注目して何らかの対策を講じていれば今回のような惨事にはならなかったのでは思えば残念で仕方がない。

1933年(昭和833日)に発生した所謂「昭和三陸地震」は現在の釜石市の東方沖約200キロで発生したM8.18.4規模の地震であった。

この時では地震による被害は比較的少なかったが津波による被害が大きかったと云われ、最大波高が岩手県気仙三陸町(現大船渡市)付近で28.7メートルとなった。死者1522名、行方不明1542、家屋全壊7009戸。

最大激震地は現在の宮古市付近で人口の42%の763人(全人口1798人)、98%の家屋が全壊したとの記録がある。

順序が前後するが、「慶長三陸地震」として記録されている1611122日(慶長161028日)にもこの周辺でマグニチュード8.1の地震が発生した。記録によると地震による被害はそれほど大きくなかったが、その後、津波が三陸沿岸及び北海道東岸に来襲、仙台藩の死者1783人、南部藩、津軽藩の海岸で「人馬死んだもの3000余」、北海道南東岸で多くのアイヌ民族が被害に遭ったと云われている。

「明治三陸地震」は明治29年(1896年)615日に発生した。その規模はM8.5で、この時も釜石市東方沖200キロの地点で起きている。その時の最高波高は38.2メートルであった。

この地震を機にこの周辺を「三陸」と云う呼び名が使用され、三陸と云えば津波を聯想させられるようになった。今回の東日本震災と明治三陸大津波を比較すると全ての点で極めて似通っていることが判る。大船渡市近辺で波高22.4メートルが記録されている。

筆者は地震のメカニズムについては判らないが、地震を引き起こす海底の形状や地理的特徴に精通している専門家にとっては、この「三陸」と云う場所は過去の前歴から要注意で、特にその近辺に原子力発電所の建造計画が出された時点では強硬に反対を唱えるべきではなかったかと思えて仕方がない。

西暦869年(貞観11526日)にも仙台周辺で大津波を伴った地震があったことは陸奥の国府、多賀城の役人によって“平安時代の巨大地震”として克明に記録されている。

こうして見て来ると、「平安三陸」、「慶長三陸」、「明治三陸」、「昭和三陸」の記録から既に4回もの大地震と大津波が襲っているれっきとした史実があるにも関わらず、何故その場所に世界で唯一の原爆被害国の日本政府が建設を許可したのであろうか。

確かに「東電福島原発」の構築物は、震度8以上の大地震に物理的には耐えられたかも知れなかったが、その後に発生した大津波を想定しなかったと言う云い訳は出来ない。

今更ながら“温故知新”の喩えを忘れるべきでなかったと言いたい!

|

日本政府は速やかに決断を示せ!

Photo

我が国が開闢以来最大の危機にあることを全国民が認識すべき時期にある。

筆者は菅民主党政権はここにきて冷静に国が直面している事態の重要性を認識しなければ、今度こそ日本は世界の孤児となることを恐れている。

何故か?

去る3月18日、国際原子力機関(IAEA)事務局長の天野之弥氏が来日、菅首相及び松本剛明外相と会談、最終的に菅首相は「最大限透明性をもって、全世界の皆さんに包み隠さず情報を開示する」と約束させられた。

このことは、国際原子力機関が理事国の意見として今回の東日本大震災は、重大で深刻な事故だと受け止め、日本だけに任せることが出来ないという結論のもと、天野氏にこのことを間違いなく日本政府に伝達することを命じたと解釈すべきだと思う。

海江田万里経済産業省は、天野氏との会談で原発の安全性を回復することを主張しながら、「とにかく冷やす、冷やす、冷やすということだ」と述べたとあるが、全世界は既に“東京電力福原第一原発の安全性は失われた”と結論付けているのではと思う。

格付け会社ムーディーズ・ジャパンは18日東電の長期格付けを「Aa2」から「A1」に2段階下げたと報道されている。

京大原子炉実験所(大阪府熊取町)の研究者有志らによる「原子力安全問題ゼミ」が意見発表したところでは“放射能と長く付き合う時代になった”との認識を示し、今回の震災の結果、原子炉格納容器が損傷したり、使用済み核燃料プールから放射能が外部に漏れるあんどの事態が相次いでいる点について、今中哲二助教授(電子力工学)は“アメリカのスリーマイル島原発事故(79年)の事態を越えた、チェルノブイリ事故(86年)に近づかない事を願う”と懸念を表した。(毎日新聞、21日)

米軍の無人偵察機「グローバルホーク」からの現状映写報告を受けながら日本政府が未だにそれを公開することをしない事実を米軍が公開した。

無人機が搭載する高性能カメラは「車のナンバーが読み取れる程、鮮明」(米空軍)で、映像は原発施設の内部状況をリアルタイムでとらえている。米軍は無人飛行機による現場撮影を事件直後の3月12日から始め、その資料を米カリフォルニア州の米軍基地に送信し、日本政府側にも提供し続けているらしい。

アメリカ側の不満は、日本政府がそれら映像を保有したまま未だに公開していない点にある。

岩手、宮城、福島から既に3万人が脱出、今後は「役場ごと」の避難も検討していると聞く。(双葉町)

関東から関西に毎日何万人という人々が脱出を試みている。

東日本大震災直後に、ロシア、チェルノブイリ原発取材から帰国した、ジャーナリスト豊田直己さんは、3月12日に福島県郡山市に飛んだ。

福島第一原発のある双葉町は13日、既に避難指示が発令されていた。

早速現場付近で毎時20マイクロ・シーヴェルト測定可能な放射線測定器で測定を開始したところ、即座にアラーム音とともに数字が上がって限界値の19.99を示した。

その次に100マイクロ・シーヴェルトまでを標示できる器具で測定したが、これでも”針が振り切れた”。

この驚くべき検査結果を知らせる為に双葉町の役所を訪れたが、そこは既に無人状態であったと云う。

豊田氏の感想では”この周辺は既に未来を奪いかねない放射能の脅威に曝されている”(京都新聞3月21日)

世界主要数カ国の飛行機会社は今後は成田、羽田の使用に替えて関空の使用を考慮中とのこと。

殆どの国の大使館は自国民に一刻も早く日本を離れることをアドヴァイスしている。

今後は日本の農産物や酪農製品も検査規制対象となる危険性もある。

これにはいくら日本政府が安全性を叫んでも思うようにはならない。

テレビは毎日のように福島第一原発への放水と冷却のニュースに明け暮れているが、筆者の考えるところ、現時点での危機が去ったあとに何が残るのか?

今後、取り組まなければならない政府の使命とは何なのだろう。

あまりにも問題が大きすぎて凡人の筆者の考え及ぶところにないとしか表現できない。

|

東日本大震災避難民救済に提案

3月11日に東北地方を襲った大津波を伴った大地震は歴史上からも10指内に入るべき一大震災と考えられる規模のものであった。

今や全世界が注目する大ニュースとなり世界中を駆け巡っている。

発生から一週間以上経過しているが政府の救援の体制が未だ整理されずに戸惑っている感がある。

避難民の本格的な救済は東電福島原子力発電所の緊急処理の方に政府の注意がそがれて手遅れになっている様に思えてならない。

原発の処理には国の威信がかかっている。これを的確に処理することに政府が一生懸命になっている理由を理解できないでもないが、国民の心の問題にも同じような配慮がなされなくてはならない。

筆者の提案したいことは陸地に避難所を設けることには時間もかかり、衛生面や医療設備を同時に充実出来ない。

従って、それよりも、我が国には何万トンと云う豪華な大型フェリー船がたくさんある。

国がこれら大型フェリーを借り切って難民のために解放することは出来ないものだろうかと単純に考えるのだが。

アメリカ政府はハイチ地震の際にも空母を始め、病院船や他の船舶を派遣して難民を収容したと聞く。

我が国は海洋国家であり多くの各種の船舶を保有しているはずである。

救済金の募金運動もよいが、緊急を必要とする今回のような災害には「時」こそが大切である。

自衛隊所有の病院船、民間所有の大型フェリーの現地派遣を行って、避難民の健康とメンタルケアーを何事にも優先して欲しい。

|

「ロシア」は一つではない

ロシア、あの膨大な地域に住んでいる人種は一つだけではない、中国でも、又、アメリカでもしかり。

しかし、単一民族の「日本人」からこの事実を正しく認識することは誠に難しい。

大半の外国では、政権が代わり、大統領が変わるたびに利益を受ける人種と、そうでない人種がいることは当然で、その極端な一例は最近のアメリカの政治を観察していれば判る。この場合、白人と黒人の問題である。

それなら現在のロシアを代表する人種は云うまでもなく「ロシア人」と思う人が日本では大半だろう。

筆者はフリー百科事典「ウイキペディア」で調べた。

そこには「ロシア人はロシア連邦の国民、或いはスラヴ系の民族である。

ロシア語では明確に区別されるが日本語では両者を区別しない曖昧な表現となるとある

つまり、ロシアでは“スラヴ系民族”と“ロシア連邦”が違った要素を持っているが、これは日本人には到底判定できないと定義している。

ウイキペディアはこれを二つの範疇に区分して、

   ロシア人、ロシア連邦国民(ロシアーネ)。同国の国籍保有者。-但し、ロシア南部のチェチェン地域などではこの意味での「ロシア人」と云う認識に抵抗を示す人々も少なくない。

   ロシア人、ロシア民族(ルースキエ)。

東スラヴの一つの民族。

一つの考えでは、ロシア人=東スラヴ人に属する民族。

ロシア語を母語として話す。

ロシア連邦(80%以上)・ウクライナ(17.3%)・ベラルーシ(11.4%)などを中心に、旧ソヴィエト連邦構成国に広く居住する。

ロシアでは最も人数の多い民族集団と云うのが一般常識で、これ以上は判らず、専門家の加筆を募集している。

日本が「日露戦争」で相手にした主たる民族も複雑でとても判定され得ない。

ただはっきりしているのはロシア革命以前には「白系ロシア人」は存在しなかったことである。

これも別項のウイキペディアで調べると、(White Russia,or White Émigré)とは、ロシア革命後、ロシア国外に脱出或いは亡命した非ソヴィエト系旧ロシア帝国国民(ロシア人)のことと定義している。

勿論この中にはロシア人に対する白ロシア人(現在のベラルーシ人)を白系ロシア人と誤用している例も少なくない。

「白」とは共産主義=赤に対する白。帝政の復活を希望して、革命軍と各地で内戦を起こしていた軍人に代表されるインテリ層のロシア人。

革命集団(主にユダヤ系?)に反旗を翻した、貴族、聖職者、地主、銀行家、資本家、企業幹部から下は自作農まで“生産手段を自前で持つあらゆる階層出身者は人民の敵とみなされ(白)烙印がおされた。

その後「ソヴィエット政府」による弾圧で、ウクライナ系やポーランド系、ユダヤ人(人種に関係なくユダヤ教信者)が多く国外追放された。

1917年以後、(ロシア革命、バルフォア宣言)ポルシェヴィッキとの戦いに負けた集団、共産党政権から迫害を受ける危険を感じた人たちが国外に逃れた、集団を総称して一般に“白系ロシア人”と呼ばれるようになった。

日本関係では、革命後民族的ロシア人の他に、多くの非ロシア人であるポーランド人、ウクライナ人等が日本に亡命、便宜上、ロシア語を話したことから日本では単純にロシア人として扱われた経緯がある。

戦前に当時日本領であった南樺太に亡命したが、戦後その地がソヴィエト領となった為、主に北海道に再亡命した白系ロシア人も少なくなかった。

ウイキペディアでも現在日本に、どれほどの白系ロシア系の子孫が存在するかの明確な統計はないが、それらの人たちを少数民族として認識していない。

しかし、白系ロシアの血を引く日本人の数は少なくないとコメントしている。

日本政府は所謂「北方領土」交渉で、相手が「赤」か「白」か、を見極めることを考慮しているのだろうか?

プーチン首相、ベノジェーエフ大統領は、筆者のみるところ「赤」系統だと思うのだが。

|

富士山

Photo_2 昨年、アメリカ西部の”タコマ富士”を眺める為遠路を旅行した。

先日、3月9日、河口湖を訪れた。

早朝、朝日の昇るまでの富士を眺めようと思い厳寒の戸外に飛び出した。

幸い雲一つない快晴の青空であった。

山に向かって左の空がピンク色に輝いていた。(河口湖からの富士山)

雪を被った富士の左の頂きが次第にピンク色に染まって、譬えようもない美しい姿が目前に現れた。

タコマ富士は日本の富士よりはるかに高いが「不二」と言われ崇められてきた日本の富士はやはり最高の山であることを再確認した瞬間であった。

身を切るような冷気に震えながら数十回シャッターを押したが、ここに挿入した作品がナンバーワンと思って紹介することにした。

帰路、小田原駅頭で東北関東大震災の余波に遭遇、5-6時間遅れで深夜の帰宅となったが気持ちの充実した春の一日であった。

|

がん探知犬

Photo 毎日新聞「くらしナビ」欄で見た珍しいお話。

”セントシュガーがん探知犬育成センター”所長:佐藤悠二さん(64)は真っ黒なラブラドールレロリヴァーのマリーン(9歳メス)を飼っている。

(写真:類似犬)

「この犬小さい時から臭覚がずば抜けていた」と認める。

マリーンは臭いに非常に敏感で、佐藤さんが食べたものを呼気の臭いだけで当てる特技を小さい時から持っていることに気付き、今ではキューリや大根、ニンジンなど5種類の生野菜を食べて息を吹きかけ、遠くの岩場にダミーを含めて数種の野菜を隠してマリーンに試すと、彼女は一つ一つ見つけて座りこみ、飼い主の食べた野菜をすべて見当てる、驚くべき特技の持ち主。

九州大大学院消化器総合外科も園田英人氏らはマリーンを使って、08ー09年、大腸がん患者の呼気や便の臭いを判別させる実験をした。

驚くなかれ、がん患者のもの1容器と、健康な4人のものを入れた容器を佐藤さんに送りつけマリーンにこれら5個の容器から一つのものを嗅ぎ分けさせたところマリーンはがん患者のものを選別、その前に座り込んで解答を示した。

呼気では36回のうち33回、(約92%)便では38回のうち37回(97%)の正解をしめしたという。

佐藤さんは「がんの臭い物質を突き止められればノーベル賞もの。臭いでさまざまな病気が判る”臭診”と云う分野が確立できれば凄い」と云う。

マリーンは、大腸内視鏡や病理組織的検査でやっと判るごく初期(ステージ0と1段階)のがんでもほぼ100%判別したらしい。

がん探知犬の研究は90年代にアメリカで始まり、すでに3年前、肺がんと乳がん患者の呼気で9割以上の的中率が出たと云う論文も発表されたと云う。

イギリスでもこの方法で膀胱がん患者の尿での判別研究が進んでいるらしい。

フランスやオーストラリアを含め、世界中の研究者が「臭い物質」の発見にしのぎをけっずっている。

犬は人間の数万倍の臭覚の持ち主、原因物質さえ判れば警察犬のように活躍できる。

韓国でマリーンの皮膚細胞からすでに4匹のクローンを誕生させるこtに成功している。

マリーンの様な探知犬を全国の病院に配置できれば今後、自称専門医も今後はノンカンとはしていられない事になりはしないか心配である。

|

記録上の大地震

Photo 記録されている世界的な地震ではポンペイの地震以外では、ポルトガル、リスボンで1755年11月1日に発生した地震がる。

この地震は、マグニチュード8.75、人災被害6万人が記録されている。(ニューヨーク・タイムス、アルマニャック2011年版218ページ参照、以下同じ)

挿絵(レオナルド・ダヴィンチ画、津波図)

1828年(文政11年)12月28日の越後地震では30,000人の被害の記録があるが、地震規模は不明である。

その次が、1896年(明治29年)に発生した「三陸大津波」。

これは1896年6月15日に発生した規模8.5の大地震であり、大津波が被害を大きくして、最終被害人数29,500であった。

以下世界で発生したマグニチュード8以上の大地震を列記すると:

1905・04・04、場所:インド、カングラ、規模:8.6、被害:19,000.

1906・08・18、場所:チリ、ヴァルパライソ、規模:8.6、被害:20,000

1920・10・16、場所:中国、ガンスウ、規模:8.6、被害:200,000

1923・09.01、場所:日本、関東、規模:8.3、被害:143,000

1927・05・22、場所:中国、ツインガイ、規模:8.3、被害:200,000

1933・05・02、場所:日本、三陸沖、規模:8.4、被害:2,990(大津波)

1934・01・15、場所:インド、ネパール、規模:8.4、被害:10,000

1939・12・26、場所:トルコ、エルチンカン、規模:8.0、被害:30,000

1946・12・20、場所:日本本州、規模:8.4、被害:1,330

1950・08・15、場所:インド、アッサム、規模:8.7、被害:1,530

1960・05・21、場所:チリ、南部、規模:9.5、被害:5,000

1964・03・21、場所:アラスカ(米)、規模:9.2、被害:131

2004・12・26.場所:スマトラ島、規模:9.1、被害:226,000

2005・05・28、場所:スマトラ島、規模:8.7、被害:1,000

2007・08・15、場所:ペルー中部、規模:8.0、被害:515

その他、マグニチュード8.0以下の記録に残る日本発生地震では:

1293・05・20(永仁元年)、、場所:日本、鎌倉、規模、被害不明、建長寺消滅

1946・06・28、場所:日本、福井県、規模:7.3、被害:2,000

1993・07・12、場所:日本、北海道、規模:7.7、被害:200

1995・01・17、場所:日本、神戸、淡路島、規模6.9、被害:5,200

主な被害地は環太平洋地震帯近辺地方が多いが意外に中国、インド、トルコも多発危険地帯であることが分かる。

今回の東北関東大地震は歴史的な大地震である。

しかも、日本東北太平洋側では「大津波」を伴うことが通例であることが判明した。

|

朝日に輝る弥生の雪

Photo カーテンを開けると、そこは銀世界、3月と云うのに今年は雪の多い年。

しかしそこえ、急に朝日が!

青空をバックに美しい晴れやかな雪景色を見た。

まるで桜が咲いたような木々の梢が一瞬に広がった。

それから15分、温かい春の太陽が溶かしてしまい元の枯れ木の姿になった。

寒さ、暑さも彼岸まで、もう少しで本当の桜のシーズンが幕を下ろす。

政局混迷のとき、なおさら春が待ち遠しい。(洛北の雪景色)

|

紅白の椿

Photo_3 Photo_4 京都府立植物園で見かけた紅白の椿をご紹介したい。

赤い方は神代椿と名があったが、白い椿の名は残念にも記録がない。

椿は日本の花で18世紀以後ヨーロッパに輸出され次第に交配が進んで今では何万種と云う数になっていると聞く。

シーボルトも19世紀来日して写生を試みている。

葉は光沢を帯びた鮮やかな緑で鮮やかな花の色を引き立てている。

椿は種類によっては大木に育つ。

別種にサザンカがあるが、葉も花も椿よりは小さく、しかし違った上品さがあり垣根として使われることが多い。

|

パフィオペヂラム

Photo_2 パフィオペディラム、別名は何故か

「レディース・スリッパ」の名がある。

ラン科パフィオペディラム属、高さは10~50センチで花期は周年である。

花の形状からラテン語で女神のスリッパの呼び名が生まれたと云われている。

花の下半分に袋状のリップがあり、特徴に富んだ形状をしている。

他の洋ランより寒さに強く、花期は品種によって異なるが、どれかが周年開花している。(京都府立植物園温室)

|

「タイガーマスク」の意味

Photo

本日、(201134日)毎日新聞オピニオン欄で、元国税庁長官、大武健一郎氏の意見、昨年末より話題になっている“「タイガーマスク運動」を深堀りする”のコラムに注目した。

大武氏は「タイガーマスク現象は美談のようだが、この国の寄付にまつわる暗い“影”の部分を示す出来事であったと思う」と述べている。

筆者は大武氏が元国税庁長官であり、実地に我が国の寄付行為にたいする施策が、世界の標準に比較してはなはだ立ち遅れていることを認識していたことを告白されているように感じた。

大武氏は“何故マスクを付けなければ寄付できないのか?”と云うところを解析しているが、

大武氏は、かわいそうな人を助けたいと云う優しい心を持った人は潜在的にたくさん存在すると断言しながら、我が国では表立って寄付したことが明るみに出ると、ゆすりや、たかりに遭うことを恐れると共に、ひがみや、ねたみと云った感情にも直面することを嫌う人も多いのではとおっしゃっている。

次に、「何処から出てきた金」、「売名行為では?」等と云われることをも嫌う人も多いとか。

経団連会長を永く務めた土光敏夫さん(元東芝会長、1988年死去)は生前、教育機関に多額の寄付を続けていたことを隠し通した。

日本には「陰徳の精神」を尊ぶ考えが存在するからと大武氏は云う。

大武氏は“欧米では寄付に関する考え方が全く異なる”と云う。

筆者は仏教で説く「喜捨」はこれに匹敵する考えであると解釈している。

アメリカが未だ完全に統治されていなかった頃、市民は自警団を結成して自己防衛にはげまざるを得なかった。

そこで、国が何かをしてくれることを待っていれば長生き出来ない事情もあったので、自発的に自分たちが何かをしなければと云う考えが先行した。

強制的に金をとられるのは嫌いだが、成功の証として社会に奉仕することには名誉を感じる人も多くなった。(philanthropist=篤志家)

日本ではお上が篤志家のつもりになって、下々に対して“分け与える”と云う傲慢な考えが先行して、“お上から云われた通り”していれば自ら働いた分豊かになる思想に落ち着いた。

大武氏は税務当局は国民のすべての資産まで把握できていない、格差を是正しようと所得税率を上げれば金持ちは国外に逃げ出すのではと云う。

新年度税制改正大綱に寄付者への税優遇措置が盛り込まれるらしいが、そこに“魂”がなければ形だけ米国並みに変えたところで意味が薄い。

「タイガーマスクが何故現れるのか?」、この現象は国民すべてが真剣に考え、反省すべきことと思う。

本当の“篤志家”を国が育てることは、この国が“先進国”となる一里塚。

そこが元国税庁長官がおっしゃりたい本音だと感じた。

アメリカのJ F.ケネディー大統領は“国が何をしてくれるのかを問いかける前に、自分が国に何が出来るのかを考えるべき”と主張していたことを思い出した。

|

折る刃、オルファーは世界ブランド

Photo_2

筆者がかねてからスバラシー発明と思っていた「折り刃式のカッターナイフ」

の由来が“日本発、アイディアーの文化史”として産経新聞によって判った。(33日産経新聞)

これは頻繁には使わないが、手元にないと困るもので、家庭でも仕事場ででも重宝がられている器具「Olfa」。

カッターナイフ製造で国内トップ、オルファー株式会社(大阪市東成区)の岡田良男(故人)がその発明者。

同社企画部係長岡田将生氏(35)によると、当時20代の青年良男には製品化の資金がなく、アイディア自体を刃物メーカーに売ろうとした。

しかし、すぐには買い手がつかなかった為に昭和34年「折る刃」式ナイフの実用新案を出願した。

良男氏は当時印刷会社に勤めていた

半世紀以上前では、紙の裁断に使われていたのは小刀かカミソリの刃であった。

これらの材料は業務で酷使すると切れ味が劣ってしまうと実弟の三朗氏(76)が愚痴を言っているのを聞いて、“切れにくくなった刃の先端を折って、次の部分を先端にして使えば切れ味が変わらない刃”が出来るのではとアイディアーを思いついた。

この考えにたどり着いたヒントは、ガラスの破片で紙を切っていたが切れ味が変わるたびにガラスを割って使った経験と、アメリカの兵士がくれたチョコレートが切れ目通りに割れる仕組み、の二つのポイントを組み合わせたものだった。

良男氏は、そこで印刷会社を辞めて岡田商会を設立、手始めに町工場に「折って使う刃」3000本を注文したのが事の始まりであった。

今の製品にするまでには、かなりの紆余曲折があったが、昭和42年には三人の弟を集めて岡田工業を設立。

商品にはブランドが必要になり「折る刃」の聯想から「OLFA」(オルファ)とした。何故OLHAとしなかったのは、海外ではHを発音しない国があるからであった。

昭和59年になって、社名をこのブランド名に変更、現在では100カ国以上に輸出、国内の需要と半々にまで発展している。

同社の作る品種も百種類超になっているらしい。

今では炭素鋼で出来た刃のサイズ、折れ線の角度等で他国製のものを席巻して後続を許さないところがスバラシイ!

YKKファスナーと共にオルファーは日本が世界に誇る優れた商品になっている。

|

老舗百貨店戦国時代の行く末?

Photo

老舗百貨店の錯覚は未だに改められていないように思えてならない

大阪高島屋が増床して、今度はメンズウエヤーに主眼を置いているらしい。

詳しい事情を知るわけではないが、百貨店商売の将来を考慮すると、何か空恐ろしい感じがしてならない。

我が国の老舗百貨店の前身は殆どが呉服商であった。そこに何か、きらびやかなイメージ追及のビジネスポイントが置かれて、未だそこからの脱却がされていない感がある。

先ず殆どの大百貨店は公共交通のセンターに位置した、云わば大きな箱モノと云う感じがする。

半世紀以前ニューヨークの老舗百貨店がこぞって市街に脱出したことがあった。

それはモータリゼーションの発達で車での買い物が難しくなったことがその主な理由だったが、果してこれがアメリカに定着して続いている。

日本とアメリカでは大いに事情は異なるが、最近の傾向で目立つことは顧客のブランド思考からの離脱で、この傾向は今後さらに増幅するのではと思える。

百貨店は自己生産に頼れないビジネスで、どちらかと云えば不動産賃貸業に近い。

それなら百貨店=なんでも屋と云うイメージをこの際払拭して、むなしい競争戦争に陥るまでに、地面に足のついた手堅い手法を打ち立てることに努力をしなければ、近い将来、百貨店総倒れになるようなことになるのではと考える。

関西のビジネスの神様と云われた小林一三の精神は未だに健在であるが、それは殆ど一世紀以前の神話である。

動産価値の低落で、今では都市郊外にいくらでもまとまった土地が求められる。

危険を分散させる意味に於いても、都市集中の考えを改めて、アメリカ型のビジネス方針に切り替えるべきだと筆者は考えるのだが。

|

アメリカ・フロンティアーは何時消滅?

Stagecoach

アメリカ人が常に唱える“フロンティアー・ライン”(Frontier line)とは最初、1893年のアメリカ歴史学会に於いてフレデリック・J・ターナー(Frederick Jackson Turner,18611932)が発表した「アメリカにおけるフロンティアーの意義」から始まった。

それ以後「フロンティアー学説」として20世紀初頭から、モンロー主義と同じほど重要視されるアメリカ独特の思想として成長を遂げた。

ターナーは、「フロンティアー・ライン」について、アメリカには独立以来、“フリーランド”(所有者、居住者のいない未開拓の土地)が常に存在し、そこに移住民が住みだすことで、ラインは常に後退し、開拓が西に向かって進むにしたがってアメリカが発展した過程で、開拓地と未開拓地が描く南北の縦線をフロンティアー・ラインと定義付けた。

アメリカ独特の誠に身勝手な学説がまかり通ったところの19世紀末のアメリカ帝国主義の特徴が見出せる。

ターナーはその後、“フロンティアーの消滅”と云う論文を発表したが、その意味するところは「西部の征服」であった。

白人社会がそれより西には進めない線(太平洋ライン)まで到達したことを宣言したに過ぎない。

18世紀初頭に於いて(1803年)、ナポレオン一世から“ルイジアナ”と云う、当時までのアメリカの領地の倍以上の広大な領地を購入、イギリス。フランスと肩を並べる大国に成長したアメリカはその後、一旦は先住民をミシシッピー以西に押し込め、そこをインディアン・テリトリーと宣言した。

その後、ラッコやバッファローの毛皮を求めて白人種が西に移住するに従って、先住民をさらに限られた居住区に押し込めた。

19世紀末の鉱物資源の採掘ブームが西部で盛んになると又、さらに先住民から土地を取り上げて白人帝国を造り上げた。

一旦は終わったと思われていたフロンティアー・ラインは20世紀以降、太平洋を一飛びして留まるところを知らない。

フロンティアーは果たして何時消滅するのだろうか?

|

水上飛行機

Photo 一昨年アラスカを初めて訪れたことは以前にもこのブログで書いたが。

その時しばしば利用したのが水上飛行機だった。北アメリカ、カナダには無数とも云える大小の湖が点在する。

したがって、そこにはモーターボートの数と同じくらい水上飛行機が活躍していることに気付いた。

(アラスカで多用されている水上飛行機の一例)

静かな水面ならば100~200メートルの滑走で気持ちよく空中に飛び上がることのできるこれらの飛行機に注目した。

筆者の子供の頃に琵琶湖に遊覧用の水上飛行機があって、一度親に連れられて乗せてもらった記憶があった。

小型の飛行機は高波の出る海面ではどれほどの威力を発揮できるかは判らないが、湖水ならば問題がない。

明和工業が自衛隊向けに生産している水陸両用の救難飛行艇「US-2」は有名だが、何しろ高価なためカナダ製のものには太刀打ち出来ない。しかし、小型のものならば国内でも将来需要が望めるのではないだろうか?

国内のローカル空港はどこも経営赤字に頭を悩ましているが、常設の飛行場を必要としない水上飛行機、飛行艇などには将来性が持てるのではと思った次第である。

手軽に利用できるヘリコプターによる運送と連携すれば貨物輸送にも威力を発揮するのでは・・・?

|

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »