« 日本政府は速やかに決断を示せ! | トップページ | 東日本被災地に国は無償で太陽光発電設備を援助せよ! »

”温故知新”を忘れるな!

Photo

天災は忘れた頃にやってくるとは良く言ったものだと思うが、スマトラ沖地震でインド洋沿岸諸国などに大きな被害を及ぼしたケースも正にその通りであったのではと思う。今年、311日に起こった東日本大震災はスマトラ地震から約7年後のことで、未だ誰もが忘れてもいない時期の事件である。

大津波を伴ったスマトラ沖地震は20041226日に発生した。その規模はマグニチュード9.3でスマトラ北西沖に発生して、そこから何百キロも離れた対岸地帯に大津波被害を及ぼしている。

驚くべきことに、その周辺で201010月までにマグニチュード78.6規模の地震が毎年のように、6回も発生している。

今回の東日本のスケールが9.0なので今後この近辺に大きな地震が続けて発生する危険は充分に予見できる。

この地帯には、ごく最近では20051117日にM6.9と云う地震が記録されている。当日の朝には津波警報が出されたらしいが幸いにも大事には至っていない。

200511月と云えばスマトラ地震の殆どまる1年後である。

東京電力の専門家や、津波に関して造詣の深い知識人がこの時点で三陸沖地震の性質について過去のデーターに注目して何らかの対策を講じていれば今回のような惨事にはならなかったのでは思えば残念で仕方がない。

1933年(昭和833日)に発生した所謂「昭和三陸地震」は現在の釜石市の東方沖約200キロで発生したM8.18.4規模の地震であった。

この時では地震による被害は比較的少なかったが津波による被害が大きかったと云われ、最大波高が岩手県気仙三陸町(現大船渡市)付近で28.7メートルとなった。死者1522名、行方不明1542、家屋全壊7009戸。

最大激震地は現在の宮古市付近で人口の42%の763人(全人口1798人)、98%の家屋が全壊したとの記録がある。

順序が前後するが、「慶長三陸地震」として記録されている1611122日(慶長161028日)にもこの周辺でマグニチュード8.1の地震が発生した。記録によると地震による被害はそれほど大きくなかったが、その後、津波が三陸沿岸及び北海道東岸に来襲、仙台藩の死者1783人、南部藩、津軽藩の海岸で「人馬死んだもの3000余」、北海道南東岸で多くのアイヌ民族が被害に遭ったと云われている。

「明治三陸地震」は明治29年(1896年)615日に発生した。その規模はM8.5で、この時も釜石市東方沖200キロの地点で起きている。その時の最高波高は38.2メートルであった。

この地震を機にこの周辺を「三陸」と云う呼び名が使用され、三陸と云えば津波を聯想させられるようになった。今回の東日本震災と明治三陸大津波を比較すると全ての点で極めて似通っていることが判る。大船渡市近辺で波高22.4メートルが記録されている。

筆者は地震のメカニズムについては判らないが、地震を引き起こす海底の形状や地理的特徴に精通している専門家にとっては、この「三陸」と云う場所は過去の前歴から要注意で、特にその近辺に原子力発電所の建造計画が出された時点では強硬に反対を唱えるべきではなかったかと思えて仕方がない。

西暦869年(貞観11526日)にも仙台周辺で大津波を伴った地震があったことは陸奥の国府、多賀城の役人によって“平安時代の巨大地震”として克明に記録されている。

こうして見て来ると、「平安三陸」、「慶長三陸」、「明治三陸」、「昭和三陸」の記録から既に4回もの大地震と大津波が襲っているれっきとした史実があるにも関わらず、何故その場所に世界で唯一の原爆被害国の日本政府が建設を許可したのであろうか。

確かに「東電福島原発」の構築物は、震度8以上の大地震に物理的には耐えられたかも知れなかったが、その後に発生した大津波を想定しなかったと言う云い訳は出来ない。

今更ながら“温故知新”の喩えを忘れるべきでなかったと言いたい!

|

« 日本政府は速やかに決断を示せ! | トップページ | 東日本被災地に国は無償で太陽光発電設備を援助せよ! »