« 釈迦金棺出現図 | トップページ | ゴルファー松山英樹 »

宝永地震と富士山

The_fuji_view

富士山には南側から見て、右の中腹あたりに「宝永山」と呼ばれる起伏が見えるが、それは宝永4年に(西暦1707年12月16日)、富士山の噴火によって出来たものである。

記録に依ると(武江年表)“天暗く雷声地震夥しく、関東白灰ふりて雪の如く地を埋む、西南しきりに雷光あり、白昼暗夜のごとくなり云々”と記されている。この噴火による噴出分量は約8億立方米と推定している。

筆者が特に驚いたのは、実はその大噴火の49日以前に東日本大震災より広範囲に亘って「宝永地震」が発生している事実である。

「宝永地震」とは、宝永4年10月4日(太陽暦10月28日)中部、近畿、四国と九州にわたる広い地域にまたがる、マグニチュード8.6の大地震であった。

最近、しげしげ新聞紙上で騒がれている、東海、東南海、南海地震が同時に発生し、大凡、北陸、近畿、山陽、四国と九州に亘って発生した。

地震後、津波が房総から九州に至る太平洋沿岸から八丈島にまで及んだと云われ、最も被害の多かった地域は高知沿岸、紀伊半島から伊豆半島西岸だった。

伊豆下田では5~7m、紀伊半島では510mの津波が来て各所で地盤沈下が発生、四国の道後温泉では145日の間温泉が止まったと云われている。

あくまで推計だが、家屋の倒壊、流失2900戸、死者は2万人に及んだとも云われている。

宝永地震から304年が経過しているが、その規模と震度が問題で、しかも、地震から49日目に美しい富士の姿を変えるような大噴火が起こったと云う事実に何か身震いがするような恐怖を覚える。

去る3月11日の東日本大震災から明日で30日が過ぎることとなるが、このまま日本列島が静まってほしいと願うばかりである。(記録参照元:グーグル検索)挿絵の富士は裏側の河口湖からのもので、したがって「宝永山」は見られない。

|

« 釈迦金棺出現図 | トップページ | ゴルファー松山英樹 »