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相撲興行

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最近新聞欄を賑わしている事件の相壁は、東日本大震災と八百長相撲問題である。

八百長相撲の問題はまさしく日本人の個性がむき出しに曝け出された、云わば“震災”ともとれる。

日本古来の“奉納相撲”と江戸時代から始まったとされる“興行相撲”は自ずと性質の違ったものであるべきである。

明解国語辞典(金田一京介)の「興行」を調べた。映画、演劇、相撲などを催すこと、興行師とは「興行」を職業とする者とある。

大阪の吉本興業はまさに興行師が主催する組織だと考えた場合、相撲も一種の芝居と考え、あまり理屈一点張りに相撲を考えることをしない方が良いと思う。

そもそも「八百長」と云う言葉は相撲から発生したものであり、云わず語らずのうちに“了解済み”として軽く流して終止符を打つべきではないかとも思う次第である。

この他に“痛み分け”も相撲言葉として、相撲などで取り組み中、一方が負傷したために“引き分け”になることとして国語辞典にある。

詰まるところ、相撲には心による相手に対する“いたわり”がなければならない。

相撲協会の規約を替えずして八百長問題だけを掘り起こしても問題は解決しないことを冷静に再考してほしい

相撲部屋に力士(十両以上)がいない場合と、いる場合に協会の待遇に格差があったり、相撲とりが力士の資格を亡くした場合の手当ての違いも問題である。

特に、力士が家族持ちであった場合、生活問題となり、力士同士が“いわずもがな”に星の譲り合いが起こっても、見逃すことも人間社会には必要だと考える。

明治維新後、東京と大阪の相撲協会が合体、1909年(明治42年)国技として発足した。

従って日本人の相撲にたいする考え方には大凡、三つの解釈があると考えられる。

相撲を「神事」、「芝居的興行」、「国技=スポーツ」の内、現在の相撲協会はどの角度から相撲の在り方を考慮しているのかハッキリすべきではないかと考える

筆者の考えからすると相撲は催し物(興行)として、相撲協会は観客を楽しませることに専念して欲しい。

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