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サウジアラビアで女性革命

Sauji 厳格なイスラム社会で女性が声を荒げて騒いでいることに筆者は注目した。

アメリカで運転免許を取得した、東部アルホバルの会社員マナル・シャリフさん(32)、サウジアラビアで女性の車の運転が禁止されていることに抗議運動に抗議、それではと、「女性集団運転」を呼び掛けたことがインターネットのコウリュウサイト「フェイスブック」などで広がりだした。

シャリフさんの訴える“女が運転して何が悪い?”のテーマの動画サイトを見た10万人以上が支持、一挙に注目を集める騒動に進展している。(5月30日、京都新聞)

これに対する「保守派」の意見は“女が運転すると、そこで見知らぬ男との出会いが増え、家庭崩壊の危険に繋がる”と主張、これに対し、シャリフさんは、“自分で運転できるのに、運転手を雇えば私の収入の3分の2が消える。”又“見知らぬ男が運転する車に女が乗っても同じことが起こり得る”と言いたげ。

そこで「集団運転」実現のためハンドルを握ったシャリフさん、すぐさま宗教警察に逮捕された。ネット上では彼女の釈放を求めるサイトが開設されて波紋がさらに広がっているらしい。

国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」は23日、警察の逮捕を批判した。

さらにアブドラ国王が直々に“女性らの為に道を開くべき”との声明を出した。

この問題では1990年、女性が集団で公道上を運転するデモが起こっている。

サウジアラビアの女性には未だ参政権がない。移動の自由もないとのことだが、女性閣僚(ノーラ・ビン・アブドッラー・アルファド,Nora bint Abdullah al-Faye)が国王命で教育副大臣として採用され(CNN報道)女子教育を担当することとなった。

ノーラ大臣は“私自身だけでなく、サウジアラビアのすべての女性にとって光栄なことで、今後はすばらしい変化をもたらすことが出来る・・・”と述べている。

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推理できないオバマ、アメリカ大統領の心中

Photo ウサマ・ビンラディンを逮捕、処刑後に行ったオバマ演説の内容には聞く耳を疑う程驚いた。

これは、イスラエル、パレスチナのこれまでの諸問題を具体的に示さず、いきなり、イスラエルに対して、1967年にイスラエルが占領した領土を放棄、第3次中東戦争以前の境界線に戻る勧告を行ったからである。

アメリカのこれまでのイスラエル寄りの姿勢から、むしろパレスチィナ自治政府やアラブ側にアメリカがすり寄ったととらえかねない演説内容を見たからである。

大統領選挙を2年以内に控え、アメリカ国内に大きな影響力を持つイスラエル社会の感情に配慮しないオバマの姿勢は勇ましく映るが、彼が信奉してやまないリンカーン大統領の精神を思い出したのではないだろうか?

ウサマ・ビンラディンを「9・11事件」の真犯人と断定して、”dead or alive”の形で拘束、即時処刑し、その翌日には海に投げ込んでしまうと言った処刑の手口はアメリカでは白人のお家芸だと思っていた。

イスラエルのネタニヤフ首相は早速、“以前の境界線では国の安全が保障できない”とアメリカ政府に強硬に異議を唱えたらしいが、議会で優勢を保つ共和党の意見も聞かずにイスラエルに領土の譲歩を迫ったオバマの心中にはただならぬ決意を見たように思う。

イスラエルの「占領地」から、ユダヤ人入植者を退去させることは結果的に「血」をみることになると思われる。

これは昨年9月、ワシントンでオバマがこの問題の解決のため、自ら仲裁に入りながら一年も経ずして「頓挫」していることを知った上で、アメリカが反イスラエルの立場をとったと思われても仕方がない。

エジプト、リビア、シリアにおける反体制運動の広がりが、やがては親アメリカの旗頭である、サウディ・アラビアに飛び火しないとは限らないこともオバマの心中にある。

イスラエルには入植を中止して占領地の返還を迫ったが、パレスチナ自治政府の「パレスチナ国家」承認問題は未だ解決していない。

5月30日の毎日新聞によると、アラブ連盟は28日、カタールの首都ドーハで会合を開き、9月の国連総会で「パレスチナ国家」成立決議を指示する意向を表明したと報道している。

インドネシアで開催された非同盟諸国会議でも、パレスチナの国連加盟がすでに採択されている中にあって、世界世論では、9月の国連総会でアメリカは「パレスチナ建国」事案には拒否権を行使する可能性大と云う。

「オバマ演説」の内容の真意がますます不可解に思えてならない。

唯、ハッキリしていることはイスラエルは如何なることがあってもアメリカに対して「矢」は放たない

従って「オバマ演説」のコンテンツは仕組まれたイスラエルとアメリカの共著とも云えなくもない。

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石油を生む奇跡の「藻」の発見

Photo_2 菅直人総理大臣が2日前、G8サミットで、日本は将来、全電力使用量の20%を太陽光発電で賄うと発言して、筆者は又、菅首相の思いつき発言かと疑っていた。

ソフトバンクの孫社長、「自然エネルギー在団」を設立し、太陽光、風力発電の事業化を目指すなど、東電原発事故後に“自然エネルギー活用論議”が急速に広まったところで、5月27日、「石油を生む藻」の発見が発表された。

発明者は渡辺信筑波大学大学院教授(63)、40年以上に及ぶ地道な研究の結果、その成分の抽出に成功、愛妻の見守る前で、トラクッターの新車に新発見の“燃料藻の液体”注入、自分で運転して畑を耕す模様の実験に成功した。

これまで世界各地に石油成分に近い液体の生成ができる「藻」の発表がなされていたが、渡辺信氏が発見した「藻」が他を遥かに上回る量の石油を生みだすことを実証したと言う。

渡辺氏は日本が世界に誇る「藻」のスペシャリストで、これまで海外から幾多の“ヘッド・ハント”の話が寄せられていたが、彼はあくまでも、これを「日本発」の研究開発とすることにこだわっていたらしい。

渡辺氏がどこで「藻」を発見したかはtop secretで、そのサンプルは限られた人しか知らされていない場所に保管されているが、今の時点で言えることは、この成分は、汚水を浄化、さらに石油を生みだすと言う人類にとって正に“奇跡の藻”と云っても過言でないと思われる。

今やそれを使用して渡辺氏が愛妻の前でトラックターを始動させたのであるから、これは疑う余地のない成功と筆者は拍手を送りたい。

大地震、津波、東電原発事故で沈みがちになっていた日本、しかし、これを機会に世界を驚かせる「奇跡の藻」に発展させて頂きたい!

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American Violence

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アメリカ第7代大統領アンドリュー・ジャクソンが1830年に施行したインディアン移動法、又は除去法(Indian Removal Act)によってチャロキー族をはじめ5民族がミシシッピー以西に追いやられることとなった。

当時ミシシッピー以西は全くの荒野で、白人種の住める場所とは思われていなかった。

従って、白人種が住めない土地にインディアンを放逐したジャクソン大統領の当時の趣旨では、先住民とのかかわりあいを絶つ目論見であったことはいなめない事実。

それが32年後(1862年)白人移民の増加で、ミシシッピー以西にまで開拓民が金鉱を求めて押し寄せた結果、ホームステッド・アクト(Homestead Act)が発効し、白人移民優遇のため、先住民たちは再びより小さい居住区に押し込められ、やがて「フロンティアーの終息」を迎えた。

註。homestead act ,1862は16歳以上の白人男性のアメリカ市民に160エーカーの土地を農地耕作用として無償で授与する法律、但し、家族には80エーカーと決められていた。)

ウーンデッド・ニーの虐殺(Wounded Knee massacre)は、1890年12月29日の早朝、サウスダコタ州、で第7騎兵隊が先住民(350名、内女性、子供120名)に対して行ったジェノサイド行為であった。

第7奇兵隊は先住民を近くの居留地に誘導するため、12月28日、ウーンデッド・ニーで共にキャンプをしていたが、早朝、アメリカ側が武器の引き渡しをす命じた時、先住民の中の一人が不審な行動をとったことから衝動的に発生した事件とされている。

発砲したのは奇兵隊の方で、結果的に、これは全くの皆殺し行為に終わった。

しかし、アメリカ政府はそれを虐殺とは名付けず、「ウーンデッド・ニーの戦い」として、虐殺を実行した第七奇兵隊には議会勲章まで授与している。

この戦いを最後に先住民とフロンティアーとの戦闘行為は完全に終了、インディアン達は白人によって生活環境を破壊され、絶望のどん底に追いやられ、それ以後、暫く部族内に狂気のゴースト・ダンス(Ghost dance)が流行したと言われている。

セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)は著書(1905年)でフロンティアーの終息を”the winning of the west”(西部の制圧)と表現し、さらに、英語民族の繁栄“spread of English –speaking peoples”と表現、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の出現を予言した。

このたび、アメリカ特殊部隊がパキスタン国内で、パキスタンの主権を侵犯、オサマ・ビンラディンを虐殺して裁判にもかけずに勝手に海中放棄した。

この行為は正に120年前にアメリカ人が先住民に行ったと同類のアメリカ特有の蛮行で、国際法の番人を標榜しているアメリカらしくない違法行為以外のものではない。

ウーンデッド・ニー虐殺には無抵抗の先住民をホッチキス重機関砲(Hotchikiss gun)

で打ちまくった。(写真)

(ホッチキスMle1914重機関銃は主に第一次世界大戦中に採用された、フランス製、但しフランス語ではHが発音されない為「オッチキス」と呼ばれる。筆者は日露戦争で日本軍が採用した機関銃はこれではなかったかと思っている。アメリカでは機関銃の普及がヨーロッパ諸国より遅れていて、メキシコ革命(1911年)当時でも、ガトリング銃の使用が記録されている。又、戊辰戦争で使われた機関砲もガトリング・ガンである。)

ウンッデド・ニーの殺戮は、それより60年前の1830年5月18日、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)大統領が最初に採用した”Indian Removal Act”(インディアン移動(除去)法)が完結したシンボル的な出来事としてアメリカ先住民としては決して忘れられない事件である。

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統率力に欠ける大阪教育委員会

Photo 大阪教育委員会が府知事の要請に反対、大阪府内の市町村学校の教職員に国歌斉唱時の起立を義務つけることは不必要であると反対の姿勢をとった。

橋下府知事は大阪府教育委員が、すでに平成14年に学校における国歌斉唱時には「全員起立」して、国の象徴である国旗に敬意を払うことを了承しているにかかわらず、これが未だ徹底されていないことに不満を述べて、このような、全世界で、一見当たり前の規律が成り立たないのなら、今後は政治問題として、知事からの職務命令の形式に切り換え徹底的に実現の方向に向かうべく努力すると述べている。

大阪府教育委員会中西正人教育長は”府教委の取り組みが不十分であるとの指摘もあり、真剣に受け止めなければならない”と述べながら、こんな簡単な事例が遂行できない教育長の無能ぶりを披歴している。

先生方の中には未だに国の象徴を否定する判らずやサンがいることにこの国の複雑さを改めて知らされた。

橋下知事は記者団にこんなことに9年間費やして、教育長から「必要ない」と云う返事をもらったが、これが府市民の皆さんの本心かどうかを今後粘り強く問いただして行きたいと述べた。

筆者の意見は、国旗のない国は世界中に存在しない。

オリンピックとか、海外で挙行されるイヴェントにおいては、必ず国旗が掲揚され、国歌が斉唱されるのだがこれについて大阪教育委員会はどのように考えているのだろう。

青少年の教育に責任を負うべき先生方の教育こそ教育委員会の義務だと思うのだが。

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「金」の価値の認識

Photo_3 金の価格は、丁度「イラン革命」の頃、オンス単価$350-$400程度だったものが、それを契機として一年ほどの間に$800にまで急高騰したことを記憶している。

外国、特にヨーロッパでは、何か国際的な事件が起これば「金」の値段が上がると言われる。それは勿論「金」はどこへ行っても其れなりの「値」が補償されているからである。

毎日新聞、5月18日の“水説”(潮田道夫)では、2008年を境として再び猛烈な勢いで上がり続けていて、この頃ではオンス当たり$1500を目指していると述べている。

英国銀行ではさらに3年後に$2107になる見通しを発表しているとの事。

さらに、2020年に$4800を目指すこともあり得ると誠に強気である。

筆者の経験では(全くの素人)玄人筋がこのようなことを言い出すと“危ない”と思った方が安全と思っている。

そこで“水説”の論理だが、「金」高騰の理由として、インド、中国、や新興国の一人当りの所得の伸びとの相関関係を重視している。

業者筋では「金」究極、5000ドルもあり得るとも云い、勧誘文句として、日本の国際価格が暴落した場合の保険に「金」を進めているらしい。

世界の大富豪の一人、ウオーレン・バフェット氏によれば、“世界中の「金」を集めると67フィート(約20メートル)四方になり、その時価、約7兆ドル。

時価総額のアメリカ株式の3分の1。米国の農地、約10億エーカーの価値が約2.5兆ドル”と予想。

だが、バフェット氏は“金の山を撫でているといい気持だろうが、それは何も生まない”

“それでアメリカの農地全部と、エクソン7社が買収でき、さらに手元に1兆ドルの現金が残る”、さらに彼は、“農地は綿花やトウモロコシ、大豆を生みだす”と云い、彼は彼なりに過去の「金」の歴史的高騰の行く末をやんわりと予測しているところも伺える。

現在、現実に世界各地で農地争奪戦が起こっている。

エチオピア、マダガスカルの広大な土地を外国の政府、企業が買い漁っていることも事実。

この事をもバフェット氏が知りつくしてのコメントと考えれば、「金」の価値の上がったとしても、現実に安い農地に目をつけるコングリマリットCEO、バフェット氏の予言と取れなくもない。

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歴史教科書のあるべき姿

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第二次戦争終了後、アメリカ占領軍司令部(GHQ)の命令で小・中学校の歴史教科書から、其れまでの我が国の戦争行為の歴史は見事に抹殺され教科書から消えたことを筆者は不覚にも知らないでいた。

筆者の誕生日は5月27日である。この日は日本の歴史上もっとも輝かしい日であると思い続けていたので筆者もそれを内心誇りに思っていた。

1905年(明治38年)5月27日は日本海海戦で日本の海軍がロシアが世界に誇っていた“バルチック艦隊”を全滅に近い状態で打ち破り、全世界に          有名を馳せた記念すべき日である。

日本にとって“日本海海戦”の勝利は正に、丁度、その100年前の1805年10月21日、“トラファルガ海戦”でイギリスのネルソン提督がナポレオンのフランス海軍に勝利した日がイギリスにとって記念すべき記念日として忘れられていない様に5月27日は、日本にとって最も輝かしい記念日として今でも、誰もの記憶にあるものと思っていた。

イギリスの歴史教科書でも、このトラファルガー海戦での勝利は大きく記載されている。

或日、昭和10年生まれ(現在75歳)の友人に、筆者の誕生日が昔の“海軍記念日”だと云ったら、その友人は、キョトーンとした表情で、それは何時ですか?と云われて、筆者は初めて、戦後の教科書では、“明治維新”は教えても“日露戦争”は教えていないことを知って驚愕した次第である。

戦後、我が国の教育制度が変わったことは知っているが、それがどの程度変わったか調べたことがなかった。

日本の歴史教科書に、“日本海海戦”の結果の記述がないとすれば、それは欠陥教科書であると言わざるを得ない。

筆者は「左派」でも「右派」でもない。しかし歴史は、都合の善し悪しに関係なく過去に起こったことを漏れなく知らしめるものでなければならないと思う。

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政府は被災民の救済を急げ

Photo_2 東日本の地震、津波の大震災からすでに2カ月が経過して、一昨日ようやく三井郵船の豪華客船を近くの港に停泊させてこれまで集合避難地で疲れ果てていた避難していた住民をもてなした。

こんなことは当然に最初からすべきことであったにかかわらず行っていなかったことに筆者はある種の憤りを覚える。

昨年1月のハイチでの地震発生の翌日、アメリカは大型空母と病院船を人民救済に派遣している。

これはまさに戦争状態に近い大震災であったがため、今回もアメリカは大型空母”ドナルド・レーガンを東日本震災地沖合まで送ってきた。

筆者はこのブログで、最初から船舶こそ、このような事態には欠かせない避難場所になると書いたことを覚えている。

新聞報道では、ようやく港(船着き場)の修理が完成したので客船が無事接岸できたようなことを記事にしていたが、非常時では、大型船が沖合までしか来られない場合でも、その間小型船で何回も往復すれば被災者を運搬出来たと思う。(船内にいれば余震による恐怖もない)

海洋国家日本を標榜しながら、何故今回のような非常事態に救済のため、客船や病院船を利用できなかったのか不思議でならない。

菅首相が国会で約束した、8月の半ばまでに全員に避難住宅が間に合わなかったとしても大型船を用意しておけば、再び公約違反で民主党は恥をかかなくとも済むと思っている。

この意見について、もし筆者の考え及ばない不都合があったとしたならこの場を借りてお詫びいたしたい。

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私設「山本天文台」

Photo 京都新聞2011・05・18によると、京都大学花山天文台初代台長であった、山本一清氏(1889-1959)が1942年に大津市桐生の自宅内に完成させた通称「山本天文台」に関する話題を紹介している。

同天文台は老朽化で、10年ほど以前より閉鎖されていたが、同天文台所蔵の資料が6月初旬に、すべて京都大学に寄贈されることとなり、初めて同施設内がマスコミに公開された。

新聞写真の複写で鮮明ではないが、当時天文観測の拠点となった、第二観測室の模様が判る。

屋根下に天窓つきの屋根を360度回転させるr-ル(直径4.8メートル)が張り巡らされ全方位を観測できる仕組み。

床の一部には赤道儀の重なりを通す竪穴が開けてあり、約7メートルの地下室まで貫通している。

望遠鏡接眼レンズ、カメラを収納した棚。1階には以前に太陽の活動現象を写した乾板2000枚以上が保存されてていた。

開設当時、全国から若いアマチュアーが大勢訪ねてきて、そこで寝泊まりしながら観測に没頭したと云う。

メンバーの中には火星観測の第一人者佐伯恒夫氏、海老沢嗣郎氏らも常連であったらしい。

このたび、京大天文台、研究資源、アーカイブ、宇宙物理学教室と、山本氏が創立した国内最古の天文同好会「東亜天文学会」の4者合同で事前調査を実施、京都大学への資料移動の最終会議となった。

富田教授は「京大の生駒観測所で観測を始めた以前の記録もみられ、初めての発見」とご満悦とのこと。

その他、国内外の研究者との交流で収集された数千点もの文献があり、これらは「木製」、「オーロラ」、「伊能忠敬」などとジャンル別に整理がなされていたと云う。

これらの資料の整理には数年を要するとのことだが、一日でも早く愛好家に公開されるkとを望みたい。

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英語最貧国、日本の将来はあるか?

Photo_4 随分前の、このブログで、2009年日本経済新聞が社説一段抜きで、年間3回も英語の重要性を強調して、

1.英語が出来なければ日本は滅ぶ。2.翻訳英語から脱却せよ。3.英語教師を再教育せよ、と云う趣旨の意見を述べたことで、筆者はさすがに日経だなと感心したことを記憶している。

筆者は「英語は資源」と思っている程で、反対に英語力を備えた政治経済面での論客が我が国に欠けていることを至極残念に思っている。

G8に出席しても、いつも片隅に立って写っているのが日本からの代表で、同胞として慙愧に堪えない思いである。

本日(05・17)産経に「英語貧国」-途上国に学ぶ(1)―、の欄に注目した。

東日本大震災が起きたとき、米オハイオ州のWCPOテレビ貴社、ハギト・リモールさんは取材で沖縄にいた。それから大阪、東京と移動の先々で地震関係の記事を本国に送る際、ネタをアメリカ本国のネット・サイトの情報源に頼らなければならなかったという。-それだけ日本発の英語情報が少なかったことを嘆いている。

文科省は今年から小学高学年から英語の授業を始めることにしていると聞いているが、一体、どんな教師がどんな英語を教えるのだろうか?

兵庫県宝塚市の自宅で菅原京香さん(10)がマンツーマンのレッスンをパソコンのテレビ電話機能つきの「スカイプ」を使って、フィリッピン女性講師のジューンマリー・コリタさん(28)から受けていると産経が伝えている。

京香さんは昨年からこのオンライン英会話を始めたらしい。母親の由美香さん(35)も、6歳のころから英会話学校に通ったが結局“モノ”にならなかったという思いがあった。彼女は「私たちの時代では少しでも英語を知っていればそれがプラスと思われたが、娘の時代は英語を知らなければマイナスだと思う」と言い切る。

オンライン英会話「レアジョブ」は設立から3年半だが、生徒数6万2千人の登録会員がいるとのこと。

社長の加藤智久さん(30)は勤めていた会社に或日、英語で電話がかかってきたとき返答に困った経験から、この仕事を思いついたと言っている。

英語が公用語で賃金が日本と比べてはるかに安いフィリッピンにターゲットを置いた。講師を国立フィリッピン大学生から募って25分で129円と云う安さ。加藤氏に言わせると英語はフィリッピンの資源と云う感覚、それをリアル・タイムのインターネット利用で”face to face”の英会話授業が受けられることは見事な発想と思える。

何はともあれ、決心した日が吉日と思ってトライしなければ、英語貧国の日本の将来への存続は望めない。

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ガソリン価格と国民生活

Photo 日本円が対ドル80円近くまで値上がりしているに関わらず、ガソリンの最近の価格は上がり続けている、それは何故なのだろう。

日本の消費者はこんな事象に寛容であり過ぎると筆者は考える。

輸入に頼っているガソリン、それもこの価格がアメリカを中心とする「世界メジャー・コングリマリット社等」にコントロールされているからこそ円高になれば消費者は安いガソリンを期待できるはずなのに・・・。

何故戦後、日本製の自動車がアメリカで人気を得たかは、日本車の性能が向上したからであったが、何といっても、日本車の燃料に於いての経済性が認められたからである。

アメリカ人の毎日の走行距離は恐らく日本人の10倍以上だと筆者は考えている。

ニューヨークやシカゴ等の大都会では公共交通機関(電車、バス)が発達しているが、ロスアンゼルス、ホノルルでは地下鉄さえも走っていない。

中西部の地方都市では、車なしでは生きてゆけない程、従ってアメリカではガソリン価格の上がり下がりは死活問題となる。

日本の特徴は国中に公共交通システムが張り巡らされているところにある。ロンドン、パリ、や、恐らくモスコーも、アメリカよりは便利だが、飛行機、ハイウエイーの利用が大半のアメリカは、その点、先進国中で最も遅れをとっている。

ドイツは過去の伝統をかなぐり捨てて、今後は電気自動車の生産に重点をおいて化石燃料に別れを告げると宣言した。誠にドイツ人らしい合理的な決断だと考える。

中国も今後は、技術的に複雑なガソリン車を追いかけることをしないで、電気車生産に真剣に取り掛かるのではと思う。

電力生産を石炭やガソリンのような化石燃料に頼ることは日本にとって益々困難になることは明らかである以上、風力、水力による発電技術の研究必要が益々重要視されることは明らかと考える。

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アメリカを侵食した日本からのKUDZU

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アレキサンダー・グラハム・ベルが世界最初に電話での会話を実演し、レーミントン製タイプライターが登場し有名になった1876年のアメリカ最初のフィラデルフィアー万博(Philadelphia Exposition)は。日本がアメリカで最初に参加した世界博であった。

このとき日本のパビリオンで紹介された「一時間に1マイル伸びる」と云う驚異的植物種が大見出しで取り扱われている。(月刊誌アメリカン ヒストリー(American History)2011年6月号)

その名は”KUDZU”(くず)、日本では“くず湯”としておかゆの替わりとして常用され、身近なものだが、現在、アメリカではまるで怪物扱いされているのだから面白い。

“one foot a day would have been more accurate”、即ち一日で約30.48センチ成長すると言えばもっと正確ともいえるが、我々は“KUDZU”の地面を這いまわる勢力に驚くばかりだと酷評している。。

多年生で、綿毛状表面を持つ大葉で明るい紫色で美しいはなをさかせブドウに似た甘い香りを持つ広がる様子は見る者を楽しませる。

日本人はフィラデルフィアー万博で、これをどこででも根を生やし人手なしに庭で成長する“wonder vine”と云う触れ込みで初めて紹介した。

当時、これは幸先の良いスタートを切ったことは確か、年中充分な太陽と充分な湿度に恵まれた南部では安くて、強く、がけ崩れをも防ぎ、同時に美しく、甘い芳香をもったプラントとして庭の植物の賞をとったこともあった。当時の家庭雑誌でのKUDZUに関する記事は以下のようであった。(1900年)

”This is the most remarkable hardy climbing vine of the age ,and one that should be planted by every one desiring a dense shade. It flourishes where nothing else wil grow, in the best or poorest soil, and owing to its hardy nature , requires little or no care.har (Good house Keeping Magazine)

その後、収入源の少ない南部の農家の間ではKUDZUの人気は広がり、20世紀初頭頃にはこれを売りさばくメール・オーダービジネスまで出始めたほどであった。

フロリダ州の農家では当時、農地を耕作するよりも「クズ」を植えることで、肥料なしで早く成長し、すべての家畜が好んで食することを見て大人気を博した。

1927年、元漁師であったチャニング・コープ(Channing Cope)が綿花栽培に替えて、700エーカーの土地を利用 “Yellow River”と云うKUDZUファームを始めた.

夏から秋までの家畜の餌として利用でき、冬には飼育場所を移して、くずの成長を待った。

その農家のくず畑は人気を広め、一時は年間に3000通の手紙で栽培方法を尋ねられた時期もあった。1943年には”Kudzu Club of America”をも立ち上げメンバーも20,000人を得てアメリカ南部に8,000,000エーカーのkudzuファームを経営するようになった。

ところが時がたつに従って、この驚愕的スピードで繁殖するプラントが、電信棒、道路標識、放置された車、空き家、や勢いの弱い木々等をも覆いつくす勢いを発揮、1950年を境に、厄介者扱いされ始めた。ペンシルヴァニアで始まった“くず”の広がりは、ニューヨーク、ネブラスカ、オクラホマ、オレゴン各州まで覆い尽くし。現在では年間5000万ドルの経済的被害を及ぼす、とんでもないモンスターと思われるようになってしまった。

1930年大、アメリカが大不況の中にあったころでは、KUGZUは南部を中心にした農家にとっては救世主の役割を果たしたのであったが、戦後、アメリカが名実ともに黄金期と云われる時期を迎え、各州、各都市に農地よりも住宅、近代的ビジネスのビル街がスペースを占める時代になると、一度根を下ろすと排除することが面倒なKUDZUの上付けは農林省によって禁止されるようになった。

いまではKUDZUは農策物ではなく“やっかいな雑草”となり下がり「有害外来種植物」のブランド名を冠するまでになり下がってしまった・

1927年に700エーカーから始め、一時KUDZUによって有名を馳せたコープ氏の”Yellow River Farm”も今では代替わりている。(コープ氏は心臓発作で1962年死亡)

1976年にコープ氏よりイエロー・リバー・ファームを引き継いだ経営者の事務所もKUDZUの茂みに覆われ尽くし姿も見えない状態となっている。

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原発の安全は運転停止で守れるか?

Photo_4  東電福島第一原発が3月に大震災で完全に停止し、浜岡中電原発が5月に総理大臣の「思いつき発言」によって浜岡原発は完全に発電能力を放棄せざるを得なくなった。

筆者は専門家でないので、東電福島、中電浜岡、の二つの大きな原発を失うことが日本産業に及ぼすマイナス効果がどのようなインパクトを持つのか想像できないが、梅雨以後に訪れる夏の湿度と猛暑を我々は如何に凌いでゆけるかは未だ実感していないので判らない。

今まで優柔不断であった菅直人総理大臣が、何故、国全体が未曾有の震災による困難にあえいでいる時期を選んで、彼以外、誰にもできない「総理大臣の権限」と云う“伝家の宝刀”を抜いて自分の存在を示さなければならなかったのだろうか?

勿論、この国を未然に危険から守る決断を下すことは今を逃してはないと思われたかもしれないが、その結果、どれだけの出費を国が負担しなければならないのかを綿密に計算した上の行動だったのだろうか?

菅直人の「浜岡原発停止指令」は確かに、全国民の虚を突いた発言であった。

これは、“言われてみればその通り”としか言えない「勇断」でありながら、そのことには、永久にyesともnoとも回答に苦しむ総理大臣命令であったことには違いがない。

その指令を受けた中部電力にとっては、正に「電気ショック」であったに違いない。

恐らく、社内では言うに言えない苦しみを味わったと思われるが、“仕方ない”とyesの回答を返さざるを得なかった。

中部東海地震予知は何十年このかた語り告げられてきて、未だに専門家でさえ断定できないでいた。

それが、全く一瞬に「危険回避」する命令が政府から出された。

名古屋市東区、中部電力本店の中央給電指令所。13日午前10時、発電出力を表示する電光掲示板に「解列」と云う緑も文字が浮かび上がった。

「30年以内に震度6強以上の地震が起きる確率」の一覧。文部科学省地震調査研究推進本部の調査結果に基づき、84.0%の浜岡原発の他は、全て10%を切っていた。

菅直人総理が受けたと思われる専門家からのデーター(結論とは程遠いもの?)を使えば、“浜岡以外の原発は守れる(経産省の幹部)これで行けると言うの結論に傾いた”と打ち明ける。(京都新聞、5/14日)

だが、新潟県の泉田裕彦知事は11日の会見で、“福島原発4号機は運転停止中だったが爆発した。何故(浜岡原発の)操業を停止すれば安全なのか”、と疑問を投げかける。

そこで、菅総理は13日の参院予算委員会で“私の政治判断で行ったこと、これの評価は歴史の中で判断して欲しい”と、あたかも「私の死んだ後のことは知らない」と言いたげな発言をしている。

残念だが筆者としても今回の「菅直人浜岡原発運転停止命令」に賛成とも反対とも申し上げられない。

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「御物」と「離宮」等は国民の財産

Photo_5 御物(ぎょぶつ。ごもつ」とも)天皇家に伝来した所蔵品のこと。

室町幕府8代将軍足利義政が集めた唐物名物(絵画、工芸品)を東山御物(ひがしやまごもつ)

徳川家に伝えられた名物茶道具を柳営御物(りゅうえいごもつ、柳営は幕府または将軍の意味)と呼ぶ。

1988年の昭和天皇の崩御により、翌1989年、「御物」の大部分は相続により国庫に物納され、宮内庁管轄の三の丸尚蔵館に収蔵されている。

その中には狩野永徳の「唐氏氏図屏風」、「春日権現記絵巻」、「もうこ襲来絵詞」、伊藤若冲の「鶏、植物の脚気物」等が知られていたが、この類の物件も今では御物ではなく国有財産(国民財産)となっている。

唯、昔から天皇家を象徴すると言われる「三種の神器」や歴代天皇の肖像、遺筆、など皇室経済法第7条にある「皇室と共に伝わるべき由緒ある物は未だ御物として宮内庁の管轄下にあり、皇居内の山里御文庫と京都御所内、東山御文庫に保管されている。

尚、御物は慣例的に文化財保護法の指定の対象外で、国宝、重要文化財の範疇には入らない。

従って、戦前御物と云われていたもの、皇居を始めご用地、御用邸、修学院離宮、桂離宮、埼玉鴨場などの土地建物、正倉院の宝物など全てが「国有財産」となったことははっきりしている。

これらが国有財産と呼ばれているに関わらず未だに“皇室用財産”と呼称され続け、皇室用と特定して、「御物」と呼び、宮内庁侍従職が管理していることは何故なのだろうか?

日本国憲法第88条に規定された「国有財産」が何故、未だに宮内庁管理下にあって、政府や地方自治体の自由にならないと言う矛盾には何か公にできない因縁があるとしか考えられない。

宮内庁が未だに“天皇陵”を特別視し続けて、考古学の研究に提供することに消極的姿勢を保持している事なども不可解な感が拭えない。

国有財産が国民の財産である以上、文化財や修学院離宮、桂離宮、浜離宮等は進んで国民の為に解放するべきだと思うのだが。

以上について、宮内庁の忌憚のない説明を期待したい!

(御物の性質に関してはウイキペディアの文を参考にさせて頂いた)

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菅直人首相「浜岡原発停止」命令

Photo_6 文部科学省地震調査研究推進本部が今年1月1日、全国の地震予測を発表、その中で「浜岡原発の危険度」に言及、今後30年以内にこの付近での震度6強以上の地震発生の予測を84%と発表したことは事実である。

先日、菅直人首相が独断専行の形で、国の運命を預かっている総理大臣として、そんなに危険度の高い地域に原発運転継続を許容することはできないので、これの停止を提案閣議決定させた。

与党も野党も東日本大震災の災害に恐れをいだいている時なので、この総理大臣の決断に反対する理由が見いだせなかった。

ところが、同じ1月1日に、文科省地震調査研究推進本部は、その発表の直後に起こった、福島第一原発周辺での地震発生確率を0.0%、即ち「皆無」、福島第2原発周辺での確立を0.6%と発表していた。(産経5月12日)

筆者は先日、このたびの菅首相の浜岡原発運転完全停止命令は「民主党の起死回生の大ヒット」と申し上げたが。確かにこの発表以来、菅直人に対する退陣請求の声はしばらく鳴りをひそめている。

首相の予測より我々は文科省の地震予知を重要視しなければならない。

これでは国の地震予測をどのように考えればよいのか判らない。

元旦に専門家が地震発生確率ゼロと言っていた処で3か月後未曾有の地震と大津波が起こった。

首相は6日夕の会見で、浜岡原発は東海地震の震源域内にあるある為危険度があたかも最高であるかの発言をした。しかし、現実に大地震と津波が起こった場所は専門家が安全と宣言していたところで発生、最も危ないと予言していた場所では起こっていない。

こんなことをいくら議論をしても始まらないが、もし菅首相が、自分の立場や苦境にある民主党を良くするべく、「誰もが積極的に責任をもって反対できない危険予測」を持ち出すことで、一時凌ぎを考えているとすれば国民として許せない。

中部電力は全く寝耳に水の、出まかせの首相発言で余計に2500億の追加予算を覚悟しなければならないらしい。

“死に態”状態の総理大臣の席を守る覚悟の菅直人と国民は何時まで付き合えば良いのだろう?

海江田万里経産相は「他の原発は安全上問題ない」と発言、(もし何か起これば)「国がシッカリ責任を持つ」を言っているらしいが、浜岡原発のことには一言も触れていないのが不思議!

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JR福知山線事故について

Photo_2 JR福知山線塚口駅付近脱線事故は平成17年4月25日午前9時15分に発生した。

それから6年が過ぎたが、未だに損害賠償裁判は継続されて、当時のJR西日本KK社長、山崎氏の管理責任が厳しく問われている。

この事故の主な原因は、運転手がダイヤ(時刻表)の数分の遅れを取り戻すべく「危険カーブ」地点で義務ずけられていたスピードを守らなかったためにあったとされる。

これは誠に日本らしい性質の事故で、責任感旺盛の、真面目な運転手が、数分の遅れを挽回しようと努力(会社の名誉保持のため)したことで起きたミステークであった。

筆者が知りたいことは、その「危険カーブ」場所がいつ頃から存在していたことである。

もちろん住宅の密集地の真ん中に通常のスピードで安全に走れない急カーブな線路を敷設することは常識外のことである。

もし、この「急カーブ」があっても、その周辺が田んぼか、平坦な場所であれば死者107名、負傷者562人もの大事故にはなっていなかったと筆者は断言できる。

不幸の原因は脱線電車の前方部分が鉄筋コンクリートビルの地階部分に突入して大破したことにある。

詳しい事情を知らずに結論を急ぐことは避けたいが、筆者の考えるところ、この鉄筋コンクリート建物は立地場所前方にすでに「危険なカーブ」の存在を知りながら建築したことは、この建物の形態から想像できる。

鉄道の路線の許可を出すのも、高層集団ビル建築を認可するのも国交省である。

それでは、国交省は、建築認可を出す以前に、立地場所の目前に危険な線路のカーブ在があった事を知りながら建築認可を出したと思われる。

失礼ながら、転勤生活をされていたと思われ、詳しい周辺事情を知りえなかった電鉄会社社長の責任を問うまでに、問題の、多くの死者や負傷者を生んだ原因の「ビル」に建築許可をだした、道路、建築部門の専門家集団の国交省の役人さんの意見を聴取してほしいと筆者は主張したい。

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北京市内地下鉄での風力発電実験

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「人民網日本語版」2009年8月6日報=北京建築技術発展有限責任公司が研究グループを結成して地下鉄で風力発電テスト実施したことを発表している。

それによると、今まで注意されずに見逃されていた地下鉄施設内で生じる「風」に注目、特殊設備の設置で電気に転換されて地下鉄構内の照明に利用できる可能性が出てきたと報道。(科技日報)

鐘副総経理率いるグループメンバーの報告では高速道路上の風は分散して集めにくいが、地下鉄内では密閉空間のために最適な長いトンネルがあることに注目、北京市内のすべての路線で風力テストを実施したことで「風」の回収と利用に問題がないことの結論に至ったと報じている。

トンネル内に数メートル間隔で取り付けた発電機によって列車の通過時に起きる風を利用して、地下鉄構内の電気設備に蓄え、構内照明、広告用照明が可能となった。

ところが構内に取り付ける発電機の平均コストは@1000元、一つのトンネルにかかる費用、32万元となったが、1台の発電機で年間節約240元として、3年から4年でコストの回収が出来るとの事。

2009年5月、「地下鉄トンネル風力エネルギー回収・再利用」プロジェクト」が建設部の審査を通過した。

模型が6月に完成、省エネ環境保護展でお目見え、注目を集めたとのこと。

資源大国の中国でさえこのような研究が考えだされていることを我々は注目、今後は謙虚に資源の節約に努力すべきであることを再認識すべきと考える。

それと、地下鉄のような風洞型の場所で電車通過の際発生する「風」を電力に置き換えることが可能であるばかりでなく、経済の観点から重要であることが判明したことはうれしい限りである。

国土交通省、各新幹線会社のさらなる研究でトンネル内で発生する風力を電力に置き換え将来、原発にかわる技術研究が少しでも進むことを希望してやまない。

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新幹線「トンネル内の風力」利用再考

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京都市伏見区の生田産業工業が京丹後市に2006年に学校の屋上等に設置を試みた「風力発電機」は喩え風速2メートルの微風もキャッチして発電できることを実証済みである。

同じようなアイディアーで“そよ風”でも発電する“シグナルミル1015型垂直軸型発電機でも高速道路の中央分離帯にずらりと並べて、通り過ぎる自動車が生む風をキャッチしながら羽根を回して発電、「融雪」に役立てる実験を行ったことを筆者はすでに有益なアイディアーとして既にこのブログで取り上げさせて頂いた。

「地下鉄のトンネル風で風力発電ができないか?」の何方かからのブログ(2011・04・28)も拝読した。

京都府伊根町に京都府が投資して始めた固定型の大型風車(6基)が失敗であったことを知った。海や山からの風は季節によって方角や強さが変わるので、それに大金を投じることは危険である。

たとえ小さくとも確実に風の動きを補足して、電気を蓄えることに専心、実験を重ねながら一歩、一歩努力した結果、上記2社の製品は発電を実現したことを立証した例として尊重したい。

もし上記、「シグナルミル1015型」、「京都市伏見区の生田産業工業」の類似する縦型回転羽根の発電機が、どのくらいの風力に耐えられるかが判明すれば、時速200キロから300キロで高速走行する16両連結列車がトンネル内で起こす風力で、何キロワットの電気を発生させるかを試してほしいと思うのだが・・・・・・。

筆者の考えるところ、この場合では強靭な基礎に「一方方向に回転する羽根」で役立つので特に複雑な構造もいらないと思う。

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トンネル利用「風力発電」?

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中部電力浜岡原発の操業無期限ストップが菅直人総理大臣の鶴の一声であっさりと決まってしまった!

確かに「福島東電原発」は全滅した。

民主党は今や存続の瀬戸際にある。先月の地方選挙で民主党は大敗北を喫した。

これらの事情から菅直人が出来ることは総理大臣の権限を活用して何か「旋風」を起こして人気の引きもどす為に考え出したのが、「浜岡原発停止命令」であったとしたら、これは国民の不安心を逆に利用した“起死回生策”と思われても仕方がない。

なんとも、良く考えたものだと感心せざるを得ない!

筆者は、先日のブログで、そよ風でも発電の出来ると言う、“シグナルミル1015型小型垂直型発電機”を紹介したが、これの製造会社では高速道路の中央分離帯に垂直型の発電機をずらりと並べて道路の両側を通過する車の出す風力で羽根を回して融雪のための電力を引きだすアイディアーに関心を持った。

それだはトンネルの中で高速列車が出す風力が利用出来ないものかとふと思った。

我が国には化石燃料はないが、風力を利用するには格好の材料がいたるところにある。

先日も山陽新幹線で九州に出かけたが、乗ってる間殆ど5分間隔でトンネルを出入りするので景色も満足に楽しめなかったことを覚えていたので、偶然に「トンネルは風力発電機」に流用出来るのではと思った。

日本全体でいくつ程のトンネルがあるのかは計り知れないが、日本が世界に誇れるものはトンネルの数であることには間違いない。

海底を行く世界最長の「青函トンネル」は正に日本が誇るものであり、これを風胴と考え、風力発電はできないものか?

本当に素人考えもここまでくると気違いと思われるかもしれないが、想像をたくましくして夢を持っても害ではない。

日本中の新幹線トンネルの壁や線路下に「風力発電機」を埋め込めば一体どのくらいの発電が出来るのか専門家にお尋ねしたと思っている。

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アメリカ式裁判「リンチ」

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リンチ(lynch)について、The American College Dictionaryでは“to put a person to death by hanging, burning or otherwise, by some concerted action without authority or process of law. 裁判や正当な手続きなしに犯人を吊るしたり、焼いたりして殺すことと記されている。

さらに、これはヴァージニア州のキャプテン・ウイリアム・リンチ(17421820)の始めた「Lynch’s  Law」から発生した。( named after the author, Cap. William Lynch 1742-1820 of Virginia.

“リンチ”はアメリカ特有の私的裁判制度としてごく最近まで行われていた習慣である。特に南部、西部でKKK            に代表される暴力集団が主に黒人奴隷、ユダヤ人やカソリック集団にたいして行った暴力的な裁判方法であった。

グーグルのフリー百科事典(ウイキペディア)では、この源典が、アメリカ独立戦争時のチャールス・リンチ(Charles Lynch)と書かれているが、はたしてどちらが正しいか不明である。

一昨日、アメリカ大統領命令で行ったオサマ・ビンラディンの処刑は、正にこの処刑法に準じたものであったと筆者は解釈している。

しかし、このような野蛮な処刑はアメリカ人には理解できても、文明国家間では納得のできかねるものであった。

特に黒人種を祖先にもつオバマ大統領の主導で計画されたものであったので理解に苦しむ。

無抵抗で武器も所持していなかった犯人を、問答無用のかたちで殺害、早速と洋上の船舶から邪魔の入らないうちに投棄して証拠隠滅を図ったことに何とも、やりきれない気持である。

これでアメリカ人のうっ憤は晴れたとしても、今後どのような事態になるかは未知である。

アメリカは再び大きな危険の火種を抱える事になった。

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滋賀県長浜市で思わぬ大発見

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滋賀県は京都、奈良と同じく日本の歴史上大きな役割を尽くした地方である。

国宝や重要文化財の数も全国で4番目、804件が登録されていると聞く。

今回も「先祖代々、住民が願いを託し地域を見つめてきた観音さまが国の重要文化財になるなんて」と驚いている住民も多い。(5月7日、京都新聞夕刊)

去る18日、文化財審議委員会は新たに43件の美術工芸品を重要文化財に指定した。

ここに掲げる写真は“湖国の情報と話題”、2011年5月7日から転写したもの(法寸不明)だが、滋賀県長浜市川道町千手院(岩崎英俊住職)の木造千手観音立像である。

驚くべきことに、これは最近まで、県や市の文化財ですらなかった。滋賀県教育委員会の担当者が、2009年秋に偶然この千手観音像の存在を知ったとのこと。

その後、急きょ、昨年7月に文化庁担当者がはるばる視察に現れたという。

それから僅かに8カ月後に国の重文に指定されることが決まったらしい。

写真からだけでは判りにくいが、この像は筆者の見るところ鎌倉時代彫刻の特徴が顕著に見られ、文化財の彫刻専門技官が特に注目しているところから見て、秀作の遺品であるに違いないと思われる。

重要文化財に指定が決まる場合、それ以前に地方自治体の文化財から昇格するのが普通と見られるが、今回の場合は例外であった。

近江の国は昔から来迎信仰が厚く、従って、観音、特に、十一面観音の遺作が多く点在する。

信長の比叡山焼き討ちの時、延暦寺にあった有名な大幅の二十五菩薩来迎図が慌てて持ち出され、高野山に運ばれたことは有名である。(高野山は未だに返還していない)

文化庁の奥建夫文化財調査官によると「滋賀では小さな祠などから文化財的に価値あるものが多く出ることが多い、今後、驚くべきものが発見される頻度が他府県より多いのでは」(京都新聞)

新指定需要文化財展が今、東博で開催中なのでこの像が千手院に戻されるのは今月末らしい。

国の文科省に申し上げたいことは、技官先生方は東京の官庁に座ってないで、みずから足を使って全国を行脚し、日本文化の発掘に努めてほしい。

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誕生日の花、シャクナゲ

Photo Photo_2( 5月6日の誕生日の花、シャクナゲ)

今朝NHKラジオ放送で本日、5月6日の誕生日の花がシャクナゲと云うことを知り、早速、植物園を訪問、赤、白の美しく咲き誇る姿を捉えた。

英語名:Rhododendron Ponticum主に小アジアやスペイン・イベリア半島原産とのこと。

19世紀にイギリスの植物研究家がヒマラヤの高原にて発見、母国に持ち飼ってロンドンのキュー植物園で飼育したことが知られている。

朝山英一編の園芸植物によると、これらは常緑低木で、2-3メートルに成長、葉は長楕円形で表裏とも無毛、10から15の花がまとまって咲き、ちょうど、「つつじ」が集合している様である。

花冠は5-6センチ、

花期は5月、6月で丈夫なので自宅の庭でも楽しめる上品で見ごたえのある種類である。

花が終わっても摘んでいれば次〃咲くので長く楽しめる。

筆者推奨の花である。

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”ジェロニモ”はアメリカ勇士の固有名

Roosevelt1905inauguralparadechiefs6 「ジェロニモ」の雄姿、1905年

アメリカ先住民保護地区“フォートシル・アパッチ民族”集団は、オサマ・ビンラディンの処刑のニュースを聞き、一時はアメリカ市民として「歓喜した」が民族の英雄ジェロニモの名前を断りなく「作戦暗号名」に使用したことで“史実誤解”の確信犯としてオバマ大統領に謝罪と訂正を求めたことを今朝のニュースで知った。

19世紀末、ジェロニモ(Goyaate,so called “Jeronimo”1829-1909)はアラバマ生まれで、アパッチ族の中で最も有名を馳せた「インディアン戦士」である。

彼は酋長に付くことはなかったが、ジェロニモの名は、彼の終生の敵であった、メキシコ人が彼に付けたあだ名である。

彼は指導力に抜群の才能をもち、勇猛な戦士として他の民族からもあがめられ、若い時から白人ファイターとして先住民族の中でも有名であり、尊敬された英雄であった。

アパッチ族の最後の酋長、ナイチの副官役をしていた1876年、ヒラ川周辺、サン・カルロスにアメリカ政府が、彼らを強制的に移住する決定をしたことに反対、猛然と白人襲撃を始めた。

その後、ジョージ・クルック少佐によって捉えられ、保留地生活を送っていたが、1885年5月突如逃亡して周辺の白人の開拓地を襲うようになる。

翌年3月再び、クルックに捉えられたが、2晩で逃亡、メキシコ領内に逃げ込んだが、今度は説得されて、アリゾナ州キャンプ・ボウウイで降伏、1886年9月、、捕虜として収監された。

その後、アラバマやオクラホマで農業に従事しながら、執拗に、アメリカ政府にアリゾナの土地の返還を要求し続けた。

その後、彼はキリスト教に改宗しながら、セントルイスの世界博覧会(1904年)、バッファロー、オマハの博覧会にも出席して、勤めて白人社会との融和を図った。

彼の人生での最高の名誉あるイヴェントはテェオドア・ルーズベルト大統領就任祝賀パレード(1905年)で馬に乗ってそれに参加したことである。

ルーズベルトとしては、フロンティアーの終結を宣言しながらも、先住民を代表する人物、ジェロニモにアメリカ政府として栄えある名誉を授けたことになる。

それから1世紀、アメリカは再び先住民の名誉を踏みにじった。

オサマ・ビンラディン追跡作戦の名称に“ジェロニモ”の名前の使用決定を下したオバマ・アメリカ大統領の責任は重いと言わざるを得ない。

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中国の億万長者出没の背景

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アメリカの世界的経済誌「フォーブス(Forbes)」の中国語版と中国建設銀行が共同で発表した“2010年中国私人財富白書”では中国には「千万長者」が383,000人存在し、その内の6割が不動産業従事者で占められているらしい。

その理由は10年近くの不動産価格上昇にある。

中国では政治も土地も政府の寡占企業。

金持ちになりたければ官吏と結託することが必須条件なのである。

言い換えれば国家権力が個人の資産蓄積を助け、政府と何らかの形で結びつかなければ「千万長者」になれないことを中国建設銀行が認め、フォーブス誌と共同で発表している無邪気さが面白い。富豪の資本蓄積の速度、規模は如何に密接に政府とgive & takeの関係にあるかで決まる。

社会の富は急速に極めて少数の人物の手中に集中される。

政府役人と商人は利益関係によって緊密に結ばれている、いわば19世紀末のマーク・トウエインが比喩したアメリカの“金ピカ時代”に近い。

中国共産党員であることが重大なプライオリティーで「有権者」、それに「富豪」が急速に接近、同盟共同体となって政治経済を把握。

「土地資源」、「金融資源」、「独占資源」は完全に彼ら特権階級によって把握され済み、で今後もインフラ建設、都市開発、共同施設建設、農村水利建設及びエネルギー、電力、通信等々、あらゆる業界システムを把握、それで貧富の格差の修正は将来望むべくもない。

フォーブス誌の統計データーでは、不動産業界は11.6%の千万長者を生みだした。

千万長者の約90%が投資の重点を不動産、有価証券、投資ファンドに置き、その中の投資の割合の最大部分はやはり不動産(60%)で他の分野を凌いでいる。

新規上場株の投資で多くの富豪が生まれたと聞く。

中国の富豪が短期間に巨大な富を築くことが出来たのは、それらの富の蓄積の経路と深く関係があるらしい。-これには特に説明を必要としないだろうー

権力と資本のある人種の他に、“灰色収入”に分類されている人種があると言われる。

これは鉱石採掘などの資源に関わる業種又は独占業種に従事する部類のグループと言われているが、筆者には彼らが何故に灰色なのか不明である。

従って、この“灰色収入属”にかかわる説明はword to wordの引き写しで紹介したい。

2009年の灰色収入はどのくらいであるのか?未だに確かな数値は公表されていない。中国改革基金会国民経済研究所の王小魯博士の調査研究報告書によると、2008年の中国の灰色収入は5.4兆元で、ほぼ2008年の全国財政収入に相当する。全中国の13億以上の民生の為に使う予算に相当する灰色収入が、一部の貧官に私腹を肥やしている。王氏は05年と08年の灰色収入を比較して、この3年間の灰色収入の増加はGDP成長を超えていると指摘した。こうした事態の中で、収入分配の格差はさらに激しくなって、富豪の手中の富がされに集中されるのは手に取るように明らかである。

しかも灰色収入は国民の富を収奪するルートの一つになっている。そのルートには法律に依る正式なルートもあれば、違法の裏ルートもある。政府役人は国民の富を必死に収奪して下から上へ順次賄賂を進め、下から上まで貫いている灰色収入のピラミッドを作っている。灰色収入は不正腐敗の産物として、貧富格差の拡大に拍車をかけている。云々

この様に見て来ると、もはや中国には、中国古来の倫理観は完全に失われて、「孔子」「孟子」の思想が入る余地もないと言わざるを得ない。

それでは彼等は今後、人間として世界に伍して協調体制を追及するにはどんな道徳規範(moral-code)に基づいた思想を打ち立てようとしているのだろうか?

今年早春に建てられた立派な孔子像が消えうせた背景にはどんな論争が戦わされているのか知りたいvものである。

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節電問題

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資源不足で電力消費が問題視されると、国会で政治家が“ノーネクタイ”姿で現れる。これを彼らは「クールヴィズ」と呼んでいるが、筆者はその語源についても知るところでない。

ただのジェスチャーで示すよりも、もっと具体的に、論理的に資源節約の実践方法を国民に示して説得しなければ国民は納得して同調できない。

今回の福島東電原発事故で、首都圏では間もなく「節電」が問題視されることは必至の状態である。

東京都知事の石原氏は、日本中にある無数に近い“自動販売機”と“パチンコ店”の取り扱いを問題視している。

彼は具体的に自動販売機での清涼飲料水の供給は他に方法を考えられるし、パチンコ店営業につぃても、時間をずらして深夜にでもすれば、深夜電力料金も利用でき、しかも冷房に使用する電気代金の節約にもなると言っている。

筆者も数度前のブログで推奨した「夏時間制度」の導入にも一理があると信じている。

余談だが、石原慎太郎氏は産経「日本よ」のコラム(05・02)で、在日韓国人に多いパチンコ業者が母国の韓国に、このゲームを奨励したところ、韓国の当局は“これが流行すると国力の低下につながりかねない”として、ご法度となったことも披歴している。

これが果してその通りなのかどうかは知らないが、少なくとも最近の我が国では「気の緩み」から発生したのではと疑いたくなる事件が多すぎる感があることは確か。

石原氏が提示する自動販売機の消費電力は、年間26万キロワット、パチンコ店のそれは、84万キロワット、両者を合わせると、100万キロワットを上回り、東電福島第一原発1号機の2基分以上になるとの事。

確かに石原氏の述べている如く、無制限のように、日本中どこへ行っても自販機が電気をつけっぱなしで乱立している国などは世界では珍しい。

これは我が国が平和で、安全と云う環境だから成り立つ産業で、危険性を考えれば他の国ではこのような産業は採算性は見込めないと思われる。

観光地での「美観」を重視する見地から今後、自販機に対する何らかの制限はあってしかるべきだと思う。

政府もこの非常事態に際し、思い切って制度改革を実行に移してこの難局を乗り切ってほしい。

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バルフォアー宣言に関する私見

Ts (バルフォアー)

Foreign  Office,
November 2nd, 1917.

Dear Lord Rothschild,
I have much pleasure in conveying to you, on behalf of His Majesty's Government, the following declaration of sympathy with Jewish Zionist aspirations which has been submitted to, and approved by, the Cabinet:
"His Majesty's Government view with favour the establishment in Palestine of a national home for the Jewish people, and will use their best endeavours to facilitate the achievement of this object, it being clearly understood that nothing shall be done which may prejudice the civil and religious rights of existing non-Jewish communities in Palestine, or the rights and political status enjoyed by Jews in any other country".
I should be grateful if you would bring this declaration to the knowledge of the Zionist Federation.

Yours sincerely
Arthur James Balfour

以上が1917112日、当時のイギリス首相が国会の承認を経てユダヤ人団体の代表ロスチャイルド卿宛に出された書簡である。

ここで筆者が最近気付いた、一見なんでもないように受け取られやすい項目を指摘したい。

先ず5行目末に見られる、“establishment in Palestine of a national home for the Jewish people”の下りで、普通、国家を指す場合使用されるべき名詞、”nation”や”state”或いは、“country”等が使われず、[national home]が代行して使われている事。

次に、”It being clearly understood that nothing shall be done which may prejudice the civil and religious rights of existing non-Jewish communities in Palestine”と明記されているユダヤ人に対する厳正な条件である。

ユダヤ人は非ユダヤ民族の信仰やコミュニティー生活を脅かしてはならないと明記されていることが果して順守されているだろうか?、

即ち、ユダヤ人の念願である「パレスティナへの復帰」の達成に我々は最大の努力を払う意見を持っていることをお伝えすると言う文面になっている。その部分はquotation mark(“)で区切られた、注意深く記述された文面で、俗に「バルフォアー宣言」と云われるような大層なものでないと推察できる。"His Majesty's Government view with favour the establishment in Palestine of a national home for the Jewish people, and will use their best endeavours to facilitate the achievement of this object, it being clearly understood that nothing shall be done which may prejudice the civil and religious rights of existing non-Jewish communities in Palestine, or the rights and political status enjoyed by Jews in any other country".underlineが引かれた部分に注意)

[View]とは、筆者の解釈では“見解”とか“意見”を持っているの意味であって、決定的な「宣言」とは捉えにくい。

しかも宣言と云われている主要な部分がクオーテーションで区切られて、バルフォアーの宣言ではなく、政府のロスチャイルド卿への意見書伝達程度のものではなかったのかと云う疑問を持たざるを得ない。

筆者は戦後、ユダヤ人にパレスティナに建国を許したことは旧連合国のとった大失策であると思っている。これは、19452月、ソ連邦の避寒地ヤルタで行われたルーズベルト、チャーチル、スターリンの3者会談で秘密裏に話し合われた、戦後処理についての最大重要案件の一つであったのではと筆者は想像を逞しくしている。

ユダヤ人の追放に最も意欲的であったのは、ソ連邦で、バルフォアー宣言の主役、イギリスも希望していなかったとは決して言えない。

イスラエル建国(1948年)より60年超、世界の新聞報道で一日たりともパレスティナ周辺で事件がなかったことはない。

ルーズベルト大統領亡きあと国政をトルーマンが引きついだが、彼は日本の降伏を導く手段として2度の原爆投下を強行、「イスラエル建国」ではアメリカ在住のユダヤ票を得る為の手段に利用したとの噂も絶えない。(トルーマン主犯説)

これらは単なる筆者の偏見、或いは誤解であるかも知れないが、これについての識者のご意見を伺えれば幸いである。

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