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アメリカを侵食した日本からのKUDZU

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アレキサンダー・グラハム・ベルが世界最初に電話での会話を実演し、レーミントン製タイプライターが登場し有名になった1876年のアメリカ最初のフィラデルフィアー万博(Philadelphia Exposition)は。日本がアメリカで最初に参加した世界博であった。

このとき日本のパビリオンで紹介された「一時間に1マイル伸びる」と云う驚異的植物種が大見出しで取り扱われている。(月刊誌アメリカン ヒストリー(American History)2011年6月号)

その名は”KUDZU”(くず)、日本では“くず湯”としておかゆの替わりとして常用され、身近なものだが、現在、アメリカではまるで怪物扱いされているのだから面白い。

“one foot a day would have been more accurate”、即ち一日で約30.48センチ成長すると言えばもっと正確ともいえるが、我々は“KUDZU”の地面を這いまわる勢力に驚くばかりだと酷評している。。

多年生で、綿毛状表面を持つ大葉で明るい紫色で美しいはなをさかせブドウに似た甘い香りを持つ広がる様子は見る者を楽しませる。

日本人はフィラデルフィアー万博で、これをどこででも根を生やし人手なしに庭で成長する“wonder vine”と云う触れ込みで初めて紹介した。

当時、これは幸先の良いスタートを切ったことは確か、年中充分な太陽と充分な湿度に恵まれた南部では安くて、強く、がけ崩れをも防ぎ、同時に美しく、甘い芳香をもったプラントとして庭の植物の賞をとったこともあった。当時の家庭雑誌でのKUDZUに関する記事は以下のようであった。(1900年)

”This is the most remarkable hardy climbing vine of the age ,and one that should be planted by every one desiring a dense shade. It flourishes where nothing else wil grow, in the best or poorest soil, and owing to its hardy nature , requires little or no care.har (Good house Keeping Magazine)

その後、収入源の少ない南部の農家の間ではKUDZUの人気は広がり、20世紀初頭頃にはこれを売りさばくメール・オーダービジネスまで出始めたほどであった。

フロリダ州の農家では当時、農地を耕作するよりも「クズ」を植えることで、肥料なしで早く成長し、すべての家畜が好んで食することを見て大人気を博した。

1927年、元漁師であったチャニング・コープ(Channing Cope)が綿花栽培に替えて、700エーカーの土地を利用 “Yellow River”と云うKUDZUファームを始めた.

夏から秋までの家畜の餌として利用でき、冬には飼育場所を移して、くずの成長を待った。

その農家のくず畑は人気を広め、一時は年間に3000通の手紙で栽培方法を尋ねられた時期もあった。1943年には”Kudzu Club of America”をも立ち上げメンバーも20,000人を得てアメリカ南部に8,000,000エーカーのkudzuファームを経営するようになった。

ところが時がたつに従って、この驚愕的スピードで繁殖するプラントが、電信棒、道路標識、放置された車、空き家、や勢いの弱い木々等をも覆いつくす勢いを発揮、1950年を境に、厄介者扱いされ始めた。ペンシルヴァニアで始まった“くず”の広がりは、ニューヨーク、ネブラスカ、オクラホマ、オレゴン各州まで覆い尽くし。現在では年間5000万ドルの経済的被害を及ぼす、とんでもないモンスターと思われるようになってしまった。

1930年大、アメリカが大不況の中にあったころでは、KUGZUは南部を中心にした農家にとっては救世主の役割を果たしたのであったが、戦後、アメリカが名実ともに黄金期と云われる時期を迎え、各州、各都市に農地よりも住宅、近代的ビジネスのビル街がスペースを占める時代になると、一度根を下ろすと排除することが面倒なKUDZUの上付けは農林省によって禁止されるようになった。

いまではKUDZUは農策物ではなく“やっかいな雑草”となり下がり「有害外来種植物」のブランド名を冠するまでになり下がってしまった・

1927年に700エーカーから始め、一時KUDZUによって有名を馳せたコープ氏の”Yellow River Farm”も今では代替わりている。(コープ氏は心臓発作で1962年死亡)

1976年にコープ氏よりイエロー・リバー・ファームを引き継いだ経営者の事務所もKUDZUの茂みに覆われ尽くし姿も見えない状態となっている。

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