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”ジェロニモ”はアメリカ勇士の固有名

Roosevelt1905inauguralparadechiefs6 「ジェロニモ」の雄姿、1905年

アメリカ先住民保護地区“フォートシル・アパッチ民族”集団は、オサマ・ビンラディンの処刑のニュースを聞き、一時はアメリカ市民として「歓喜した」が民族の英雄ジェロニモの名前を断りなく「作戦暗号名」に使用したことで“史実誤解”の確信犯としてオバマ大統領に謝罪と訂正を求めたことを今朝のニュースで知った。

19世紀末、ジェロニモ(Goyaate,so called “Jeronimo”1829-1909)はアラバマ生まれで、アパッチ族の中で最も有名を馳せた「インディアン戦士」である。

彼は酋長に付くことはなかったが、ジェロニモの名は、彼の終生の敵であった、メキシコ人が彼に付けたあだ名である。

彼は指導力に抜群の才能をもち、勇猛な戦士として他の民族からもあがめられ、若い時から白人ファイターとして先住民族の中でも有名であり、尊敬された英雄であった。

アパッチ族の最後の酋長、ナイチの副官役をしていた1876年、ヒラ川周辺、サン・カルロスにアメリカ政府が、彼らを強制的に移住する決定をしたことに反対、猛然と白人襲撃を始めた。

その後、ジョージ・クルック少佐によって捉えられ、保留地生活を送っていたが、1885年5月突如逃亡して周辺の白人の開拓地を襲うようになる。

翌年3月再び、クルックに捉えられたが、2晩で逃亡、メキシコ領内に逃げ込んだが、今度は説得されて、アリゾナ州キャンプ・ボウウイで降伏、1886年9月、、捕虜として収監された。

その後、アラバマやオクラホマで農業に従事しながら、執拗に、アメリカ政府にアリゾナの土地の返還を要求し続けた。

その後、彼はキリスト教に改宗しながら、セントルイスの世界博覧会(1904年)、バッファロー、オマハの博覧会にも出席して、勤めて白人社会との融和を図った。

彼の人生での最高の名誉あるイヴェントはテェオドア・ルーズベルト大統領就任祝賀パレード(1905年)で馬に乗ってそれに参加したことである。

ルーズベルトとしては、フロンティアーの終結を宣言しながらも、先住民を代表する人物、ジェロニモにアメリカ政府として栄えある名誉を授けたことになる。

それから1世紀、アメリカは再び先住民の名誉を踏みにじった。

オサマ・ビンラディン追跡作戦の名称に“ジェロニモ”の名前の使用決定を下したオバマ・アメリカ大統領の責任は重いと言わざるを得ない。

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