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古地図調査の重要性

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週刊ダイヤモンド6月11日号によると、最近、埼玉県立図書館に首都圏の不動産業者の姿が目に付くようになった。

その理由は同館所蔵の関東地方中心の古地図を調べ、“昔は沼地であった”場所を調査する目的だと云う事が判ったと記している。

最近、ニュージーランド南島のクライスト・チャーチが地震に見舞われ、多くの一見、頑丈なビルが液状化状態になった地盤沈下で崩壊、大きな損害を出したことは記憶に新しい。

又、去る、311日の東日本大震災で千葉県浦安地域の多くの住宅や地盤が液状化の地盤沈下で大きな損害を出したことで不動産の購入前に過去の周辺の状態を調べる必要性が出てきたと思われる。

同誌は、地名に、水、沼、田、津、洲、沢、池、落、浦、瀬、浅、窪、島、川等の字が入っている処は要注意と言っている。

又、「梅」「桜」も危険サインとして、大阪の梅田は「埋め田」から由来していることを示唆している。

東京でも江東区、港区の湾岸エリアー、溜池や三河島などは、現在ではどこにも水を見ることがないが昔の状態ははたしてどんな様子だったかは不明。

従って、「地名は先人が残してくれたサイン」(郡司准教授)と思って高価な土地購入以前に古地図を調べる風潮が出てきたわけ。

東京、大阪に限らず、京都にも昔から巨大な池があったことは周知の事実である。

即ち、桂川、宇治川、木津川の三つの川が合流して淀川となる周辺に大きな水域があった。

それらの川の手前の低地ではあふれ出た水が滞留し、やがて常水池となり拡がっていく。この常水的な処を人々は大池と呼んだ。

京都の小椋池の呼称は近代になって付けられた名称らしいが、地図で見れば一目瞭然で、淀城のあった地域は川の合流地帯で、その周辺の水流を巧みに利用するため有名な「淀の水車」が造られた。

京都市内の地図で、現在の国道一号線(旧五条通り)より南で、東山連峰と醍醐山の間の土地は、最近迄、(昭和中頃)少なくとも「沼地」であったことが判っている。

その空間が戦後住宅ブームで大々的に埋め立てられ住宅地に変貌した。

明治時代の地図をみれば、この小椋池が如何に大きかったことがわかる。

同誌が述べる如く、戦後の宅地開発では伝統ある地名を消し、○○丘、××野などと凡庸な地名に変えてきた。

しかし、旧地名を調べると、土地本来の姿が見えて来ると警鐘ともとれる記述を試みている。

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