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二つの肖像彫刻

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奈良、唐招提寺開山、鑑真和尚坐像は、我が国最古の肖像彫刻である。

鑑真は中国唐の揚州江陽県生まれで我が国に奈良時代に聖武天皇の要請で戒律を指導するために渡海して(5回失敗)到来、その後帰化して唐招提寺を起こし、天平宝字7年(763)77歳で示寂した高僧である。

筆者の考えるところ(確信はないが)この像は世界最古の肖像彫刻である。

宝字7年春、弟子の僧忍基は夢に鑑真が遷化する様子を見て、弟子数人と和尚のお姿を描き、それに基ずいて座っている姿の鑑真の坐像を造ったとされる。

残されている文書によると、常日頃から、僧思託に“我れ若し終亡せんときは、坐死を願う、汝、我がために戒壇院に於いて別に影堂を建て、旧住房は僧に与えて住まわしむべし”とある。

つまり、私が死んだら座っている自分の姿を写して別房を造って、寺の建物には僧たちに住まわせてほしいと遺言を述べていたのである。

従ってこの像は殆ど間違いなく西暦763年、鑑真入寂後間もなく作成されたものであろう。5回の失敗を顧みず仏教の戒律を我が国に紹介、苦難を重ねる間に盲目になったと言われている。その盲人の容貌をリアルに捉え、まるで鑑真が生きてそこに座っているかのように感じさせる、我が国が世界に誇れる「秀作」の肖像彫刻だと思う。

ところが、昨年(11月)大津、三井寺(園城寺)の特別展で鑑真像に匹敵する肖像彫刻を拝見する機会をえた。(写真)

それは国宝、智証大師坐像である。この像は正面を向いた、別名、円珍(中尊大師)の彫刻である。

寛平3年(891)、円珍の寂滅時、弟子により等身大坐像を造って、その像内に遺骨を納めたことで「御骨大師」と呼ばれるものである。

舎利(釈迦の遺骨)が釈迦として信仰された如く、胎内に遺骨を入れることでその人の像となり、後世に至るまでそれを智証大師として崇め尊んだ。

見るからに特徴のある容姿で唇にも個性が見られ背筋が通った生前より座禅で鍛えたと思われる体形である。それでいて、肩には余分な力が入っていない極く自然態なお姿で正に、これが“肖像”でなくて何だろうと云う感想を誰もが感じるのではないか?

智証大師に関しても彼は門人に、“われ滅度の後、我が像を造り、骨をその中に蔵し、唐坊に安置せよ”と云い残していた。

弟子たちはその命を守って、円珍の死後、2体の像を造って、一つを叡山に留め置き、他の一つを唐坊に置いて、砕骨を納めたと記録されている。

筆者の記憶では、これら2体の彫刻は世界でも稀に見られる、厳密に考証して、最古の「肖像彫刻」と考えたので紹介することした。

(京都新聞2010年11月1日、大津国宝の旅、小林剛著“肖像彫刻”吉川弘文館、参照)

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