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笠置寺と東大寺

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笠置寺の磨崖仏は30年程前に見物したので記憶にあったが、摩耗が激しく、殆ど何が彫られているのか識別が難しかった。

この寺の創建は7世紀、白鳳時代に遡るとされている。元の寺名は「鹿鷺寺」であったらしいが、いつの間にか笠置になったと言われている。

真言宗智山派の仏教寺院。本尊は弥勒仏。開基は天武天皇との伝承(笠置寺縁起)、歴史的には奈良の東大寺や興福寺と関係が深く日本仏教史上重要な寺院である。

30年ほど前に訪れた時、周囲の風景の美しさに見とれていたばかりに肝心のご本尊の巨大な(高さ15m)磨崖仏(弥勒)のことはすっかり忘れていた。

本日、京都新聞「凡語」欄で表面が戦乱の火災(元弘の変、1331年)と風雪により摩耗がひどく識別が殆ど難しかったが、最近、寺の依頼で、関西学研都市のベンチャー企業が高精度ノデジタルカメラで岩を撮影。

その結果、画像処理でかすかに残った肩部分と足元の蓮華座などの線刻を見つけることが出来た。

この映像を鎌倉時代の「笠置曼荼羅図」などを参考に元の姿に近いものをデジタル画像で蘇らせたと云うニュースを知ることが出来た

ここで50年以上住職を務める小林慶範さん(75)、「うちのご本尊ですから、どんなお姿だったのか復元するのが永年の夢でした、これを第一歩に、何時の日か実際に岩に弥勤さまを刻んで元の姿に戻したい」と述べている。

この画像は写真パネルにして磨崖仏の傍の「正月堂」に置かれて一般に公開されているとのこと。

(そこで筆者は思う。このような場合にデジタルカメラの威力で文化財復元に利用することはスバラシイと思うが、最近、観光寺院がデジタルカメラを使って原物と見間違うような映像を展示し、そこで”拝観料”を徴収する行為は許しがたい。)

笠置寺の所在地は、京都府と奈良県境にある笠置町にあり、東西に流れる木津川の南岸。

筆者の想像だが、昔から近隣の寺院建造の資材であった材木は、周辺の位置関係から考えて笠置町から運ばれたのでは?従って、この地は重要な商業都市であったのではと考える。

「今昔物語集」巻11には笠置の地名の起源と笠置寺の弥勤磨崖仏の由来について書かれているが、ここでは省略する。(グーグルウエキペディア参照)

最後に重要なこととして、笠置寺には東大寺開山の良弁(689-773)や、その弟子で、奈良「お水取り」の創始者と云われる実忠の伝承が残っている。

笠置寺の本坊を「正月堂」と呼ぶわけは、東大寺には二月堂と三月堂は存在するが、不思議にも「一月堂」は無い。従って、東大寺で行われているお水取りは。以前はこの笠置寺の「正月堂」から始まった可能性が考えられるとして興味深い。

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