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アラスカ購入(1867年)当時の新聞報道

1867 筆者所蔵、古新聞の山の中から、1867年5月5日付Harper's Weekly 新聞記事にアメリカの東ロシア(アラスカ)購入の記事と3面の挿絵を見つけたので、その記事内容と当時の事情を書きとめたいと思う。

何時か以前に紹介申し上げたが、アメリカはロシアの要請で戦略目的、経済的理由でアラスカを国土に加えることを考慮していた。

当時の大統領はエブラハムリンカーンの死後大統領に就任した第17代のアンドリュー・ジョンソン(Andrew Johnson,1865-1869)であった。

しかしこれの購入に実際に直接関わったのは国務長官のシュワードであった。それで、国費$700万をも費やしたことで民衆から”シュワードの冷蔵庫”のあだ名まで付いた。

以前、ジェファーソンがナポレオンから”ルイジアナ”を$1500万で買ったときと同じように、民衆から罵倒される原因を作った。

ハーパー紙によると、第一に重要なこととして、フロンティイアーの押し寄せる西部、特に「ゴールド・ラッシュ」後のカリフォルニアでの住民宅建設用の原木確保ができる事を特筆している。

ロシアとの交渉の結果同年3月30日、アメリカがアラスカ全土を$700万で購入する決定がなされ、上院特別委員会の審議で4月9日正式承認を得たことが記されている。

アラスカの面積について:広さ:481,276平方マイル。

これは、ニューイングランドに中部州のを足した面積の3倍、ニューヨーク州の約10倍、テキサス州の2倍程度の広大な領土が新たにアメリカのものとなったことを誇らしげに伝えている。

人口は約60万ー70万、その5/6がエスキモーで、この数はワシントンDCに匹敵すると言う。

主だった山はセント・エライアス(現在のマッキンレー、先住民名:デナリ)17,900フィート(約7300メートル)で、それまで最高峰だった、タコマ富士、マウント・レニエーより高く、全米での最高峰となった。

実際には、新たに金鉱が発見される以前では、石炭の埋蔵量が多いことに加えて毛皮の獲得と、鯨油(ローソク用)を重要視していた。

Seal Skin:10,000頭、sea otter,1,000頭、Beaver,12,000頭、Land otter,25000頭の存在が推計されている。

その頃、モールスによる信号が出現し、ぺりー・コリンスの全世界テレグラフ網計画に加え、ハリマンの鉄道及び蒸気船の世界一周計画が具体化する気運が持ち上がり、その後左官となるフレデリック・ジャクソン・ターナーが唱える”フロンティアーの終焉論”を助長し、南北戦争後のアメリカの太平洋圏進出の先駆け機運を盛り上げたことは確かである。

その後、20世紀に入って後のアメリカの勢力の拡大と、世界制覇に近い躍進の原動力にアラスカが如何に役立ったかは誰の目にも明らかである。

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