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19世紀の"ICE KING"フレデリック・テューダー

Frederick_todor

10年ほど以前に、誰かが南極か北極の氷山を丸ごとサウジアラビア迄運ぶ計画を練っていることを新聞で読んで、何て馬鹿なことをする人間だとあきれ返っていたが、それは筆者の大間違いで、そんなことを19世紀初期に考え付き、実行して、”Ice King”と呼ばれたアメリカ人が実在していたことを知って驚いた。

その人の名前は、フレデリック・テュダー(Frederick Tudor,17841864)、ボストンのテュダー氷会社(Tudor Ice Company)の創業者である。

彼はアメリカ北東部から帆船で真水から出来た氷の塊を西インド諸島、ヨーロッパ、果ては、インド迄、送りつけて大金持ちになったと云われている、極端に奇想天外なアイディアー・マン。

テュダー氷会社はマサチュウセット州、コンコードにあるウオールデン池

(Walden Pond),ケンブリッジのフレッシュポンド(Fresh PondCambridge),アーリントンのスパイ・ポンド(spy Pond,Arlington)、アイアーのサンディー・ポンド(Sandy Pond,Ayer)、他、マサチュウセッツ州にある、数多の湖の真水を集めて船積みし、輸出した。

彼は裕福な、ボストンの弁護士、ウイリアム・テューダー(William Tudor)の三男、彼の兄、ウイリアムテュダー2世は文豪として名をなすが、彼は13歳の時、西インド諸島に旅行して、思い付いたのが氷を暑い南の島に輸送して金持ちになることであった。

それから10年後の1806年、23歳の時、2本マストのBrigを購入、”Favorite”{好物}と命名して、ソーガス(Saugus)にあった、父所有の池から2400キロ離れた、カリビアンのマルティニック島(Martinique)まで輸送した。

1806年2月10日のボストン・ガゼットによると、輸出荷物は無事にマルティニック島の税関を通過したと報じている。

彼はその後の氷輸出を円滑に運ぶため、兄のウイリアムと従兄のジェームス・サヴェージに依頼してキューバ島及び、マルティニック島への氷の輸出の独占権を確保を頼んだ。

船出から3週間の間に氷が解けることは当然だが、船内に残った氷を売却して4500ドルの損失を出した、次に行った3回のキューバへの輸出ではテューダーはそれよりかなり多額の損失を被った。

1810年になりテューダーは初めて1000ドルの利益を出すことが出来た。

しかし日を増すごとに、彼のロスは次第に増えて、1812から13年に至って、諸経費の支払い不能の為に監獄に入れられたことがあった。

1815年、彼はどうにかして2100ドルを借入れ、これまでの借金を清算して後、ハバナに氷の保存倉庫を借ることが出来た。

1816年になって、彼は、今までになく効率的にキューバへの輸出を伸ばしたが、年率4割の高金利で3000ドルを借りて、キューバからライム、オレンジ、バナナや梨等を15トンの氷をつけてニューヨーク向けに送った。積荷が目的地に着いた時には、全ての商品が腐って売り物にならず、再び彼は借金を増やす始末となった。

しかし、これ位では彼は負けていなかった。

今度はアメリカ南部のチャールストン(Charleston,S.Carolina),サバナ(Savannah,Georgia)とニューオーリンズ(New Orleans,Louisiana)への氷の輸送を考えた。

テューダーは、この時点で氷を輸送中、如何に解けないようにする「断熱」の方法を真剣に研究し、木屑、の使用に加えて、氷をブロックのように、隙間のないように積むことで輸送中のロスが出ないように工夫した。さらに加えて、彼は輸出地に多くの「氷室」を建設して顧客の増加を計画している。

ようやく、1825年頃には、テューダーの商売も上向きとなり、その頃、ナサニエル・ジャービス・ワイエス(Nathaniel J. Wyeth)の発明した2枚の鋸を平行に付けて、馬に引かせて氷を採取することで、これまでより3倍以上の氷の採取に成功した。

1833年、ボストンの実業家、サムエル・オースティン(Samuel Austin)が彼と合弁でインドへの氷輸出を提案した。

カルカッタはボストンから26000キロ彼方にある、

その年、タスカニー号はカルカッタに向かうこととなり、冬季に180トンの氷を仕入れて出発、9月に目的地に到着したとき100トンの氷が残った。

これは可なりの成功で、それから20年間カルカッタはテューダーにとって最大の顧客となり、総額22万ドルの利益をもたらした。

1840年以降、鉄道の敷設でテューダーの氷輸送はそれまでと比較して遥かに効率的となり、テューダーの氷輸出は全世界をカバーするまでに発展していた。彼は既にそれまでの借財を清算して、生活も遥かに豊かになった。

フレデリック・テューダーは1864年2月6日、波乱に満ちた人生を終えた、享年81歳。

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